L'Amant 6

 薄暗い部屋で帰り支度をしていると、背後で身じろぐ気配があった。
「すまない、起こしたか。勝手に帰るから、セブルスはそのまま寝て
いていいぞ」
「まだ帰らなくても…。あぁ、いえ、玄関まで送ります」セブルスは素
早く起きあがると、素肌にナイトガウンを纏った。私のことをじっと見
つめるので何事かと思ったが、情事の名残がないか調べているらし
いと気づいておかしくなった。
「気にしなくて大丈夫だ。たとえ泊まっていったとしても、ナルシッサ
は余計な詮索はしない。相手への無関心は夫婦円満の最大の秘訣
だ」
呼び寄せたマントを羽織り、首の釦を留めながら笑いかけると、
「そういうものですか」と呆れているような、感心しているような微妙な
雰囲気がする返事があった。
「私たちは昔からそうだね」と言うとセブルスは肩を竦めた。元々、恋
愛感情から結婚したわけではないので、私たち夫婦は嫉妬とは無縁
だ。しかし、仲が悪いということはない。玄関で私はセブルスに口づけ
てからさりげなく「また来てもいいか」と訊ねた。セブルスが「勿論」と
短く答えたので、あらためて口づけて唇を吸い、舌を絡ませ合った。
「今度訪ねるときには梟で知らせよう。セブルスにも都合があるだろう
からな」と息を乱して唇を閉じれずにいるセブルスの耳元で囁き、耳
の下の敏感な膚に口づけた。びくりと震える身体を抱きしめると、懐か
しいセブルス特有の匂いが鼻腔を擽った。名残惜しさが募ったが、別
れの挨拶をして外に出た。来た時と変わらない汚らしく寂れた道をしば
らく歩く。セブルスに拒まれなかった。その事が嬉しいのか、寂しいの
かよくわからない。おそらく両方の感情が私の胸の中で混じり合ってい
るのだろう。


 最上級生になれば誰でも成人を迎えるということもあり、将来の自分
というものを否が応でも意識して考えざるを得ないものだ。しかし、私は
楽観的な質なのか淡々と過ごしていた。マルフォイ家の家督を継ぐべく、
修行しなければいけないことはある。結婚もその一環であり、そのために
身辺整理もして、少々厄介な目にあったりもしてるが仕方ないことだ。
私が進むべき道の先には、父がいて、祖父がいて、要するに先祖の後
に続いていけばよいのだ。私にできるのはせいぜいちょっとした新風を
入れることくらいにすぎない。家名に黴が生えないように。自分の一生を
そんな風に定義しているとは、実は悲観的なのかもしれないが、安寧な
ことに違いはない。私はその程度には現実的だ。一時的なものかもしれ
ないが、恋愛感情というものに懐疑的になっている私には、恋よりも風変
わりな一年生の世話をしている方がずっと面白かった。要は付き合ってい
た相手に別れても執拗に粘着されて辟易しており、無関係なセブルスと
いると気楽ということだったが、私が親切であることに間違いはない。
 煩わしい相手を上手く巻いて部屋に戻ると、セブルスは自分の机の上
を片づけているところだった。いつもセブルスの机には教科書や図書室で
借りてきた本が積んであり、空いている僅かなスペースで無理矢理書き
物をしている状態だったので、整理整頓は結構なことなのだが、よく見る
と様子がおかしい。書籍類は紐で束ねられ、机の傍に古びたトランクが置
いてある。片づけているのではなく荷物をまとめているのだ。セブルスは
部屋に入ってきた私に気づくとぺこりと頭を下げた。いつまで経っても他人
行儀を崩さないセブルスに微かに失望を感じたが、それよりも荷物をまと
めている理由を訊かなければならない。
「セブルス、何をしている?」
冷静に話しかけたつもりが、自分でもわかるほど鋭い口調になってしま
った。セブルスは叱責されたかのように身体を緊張させたが、私を見上
げ、きちんと視線を合わせて答えた。
「僕、そろそろ元の部屋に戻ります。今までお世話になりました」
そう言うとセブルスはまたぺこりと頭を下げた。
「どういうことだ」と説明を促すと、「すみませんでした。僕、貴方の好意
にすっかり甘えてしまっていました」とセブルスは言った。確かにその通
りではあるが、セブルスは放っておいたらずっと勉強ばかりしている子で、
こういう気の利かせ方はできないタイプだ。誰かがセブルスに余計なこと
を吹き込んだに違いない。
「一体、誰に何を言われた?」と尋ねても、セブルスは俯いて黙っていた。
やはり誰かに何か言われたのだ。セブルスをこの部屋から追い払いたい
人物には心当たりがある。セブルスが来る前にここに入り浸っていた者
だ。私から個人的な付き合いを解消して、向こうも一度は納得した筈なの
に、実はそうではなかったらしい。セブルスが来たから、自分が出されたと
いうわけではないのになかなか陰湿なやり方をするものだ。しかし、私は
むしろセブルスの判断に苛立ちを覚えた。
「セブルス、何故、私に話さなかった?他人の言葉を鵜呑みにするなぞ軽
率だぞ」
率直に言うと不愉快だった。これまでできるかぎりセブルスに親切にして
きた。それなのに、他人の意見に簡単に惑わされ、私から離れていこうと
しているのだ。怒りが顔に出ていたのだろう、セブルスは私に謝ってきた。
そうすると、少し可哀想になってしまう。
「これからは気をつけるんだよ」と薄い肩に手を置き、できるだけ穏やかな
声で言い聞かせると、
「僕、ここにいてもいいのですか」と、黒い瞳が私を見上げた。私は気軽
さを装って頷いた。
「勿論だとも。私が卒業するまではね。それまでに教えておきたいことも
いろいろある」
何となくセブルスを抱きしめると、痩せた小さな身体が私の腕の中におさ
まった。安堵したかのような吐息が聞こえたので、私の苛立ちはようやく
消えた。

(2013.7.24)
 

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