L'Amant 2

 初対面の印象はいつまでも覚えているものだ。初対面というのは、
相手と初めて会ったときではない。その存在を認めた瞬間、本当に
出会うのだ。


 私がセブルスと出会ったのは、セブルスがホグワーツに入学した年で、
私は最上級生だった。実は、最初に出会った時の事は、特に印象に残っ
ていない。その年の入学生で注目されていたのは、ブラック家のシリウス
だった。伯母からも梟便で世話を頼まれていたし、スリザリンの寮監のス
ラグホーンもスター候補の入寮を楽しみにしている様子で何かと話題にし
ていた。わがマルフォイ家の縁戚であるブラック家は純血の中でも最も古
いとされる家柄であり、スリザリンに入ると決まっているも同然だった。だ
から、組分け帽子がシリウスをよりによってグリフィンドールに入れた時、
私は少なからず衝撃を受け、監督生としてスリザリンに組分けされたセブ
ルスをスリザリンのテーブルまで連れてきた筈だが覚えてない。
 貧相で暗い子どもがスリザリンの一年生にいるのが目に付くようになっ
たのは、新学期が始まってしばらく経ってからのことだ。スリザリンの新
入生の一人がグリフィンドールとしょっちゅう揉め事をおこしていると人伝
に聞いたのが始まりで、その後、その新入生がすでに闇の魔法に精通
しているとか、森番の家畜を殺して黒魔術の生贄にしたらしいというよう
なかなり胡散臭い話を耳にした。一方、スリザリンには珍しくマグル出身
という噂もあり、何かよくわからないが入学早々浮いた存在になっている
らしかった。私は、八方美人だが何かしらの才能のある者には鋭い嗅覚
がきくスラグホーンの目に留まっていないことからして、たいした者では
ないだろうと踏んでいた。スラグホーンは、新入生ではグリフィンドール
の、例のシリウス・ブラックやその友人のポッター、マグル生まれの美少
女がお気に入りらしいのは勝手だが、やたらと得点を与えているらしく、
スリザリンの一年生から不満の声が出ていた。しかし、私はセブルス
のことを日和見主義な寮監があてにならないので、最上級生の監督生と
して一応は気にかけておくべきかもしれないと考えてはいたが、とりあえ
ず静観していた。面倒だったからだ。私が遠目に見るセブルス・スネイプ
は、いつも独りぼっちで教科書を読みながら猫背になって歩いているか、
グリフィンドールの悪童どもと喧嘩しているかだった。機会を見て、少し
話をしてみた方がいいのかもしれないとは思ったが、やはり面倒くさい気
がして静観を続けていた、そんな矢先に事件はおこった。その夜、私は
スラグホーンがお気に入りを招くスラグクラブの退屈きわまりないパーティ
ーに出席した帰りに、監督生専用のバスルームで入浴を済ませて寮に帰
った。消灯時間だというのに廊下に何故か人だかりができていて、ぽつん
とセブルス・スネイプが立っていた。そのまわりに水たまりができている。
廊下に俯いて佇んでいるセブルスは全身ずぶ濡れで、ぐっしょり濡れた黒
髪が海草のように白蝋のような顔に張り付いていて溺死体と見まがう気
味悪さが漂っていた。池や川で泳いでいる人間の足を掴んで溺れさせる
という悪霊を思わせた。私は思わず天を仰いで溜息をついたが、監督生
として廊下に出ていた寮生たちに各部屋に戻るよう指示した。見物人たち
はセブルスの処遇が気になるようだったが、ぞろぞろとそれぞれの部屋
に引きあげていき、セブルスもまた自分の部屋に戻ろうとした。
「ミスター・スネイプ、君は残って。訊きたいことがあるから」私がセブル
スに声をかけて呼び止めると、セブルスは顔を上げて私を見た。泣いて
いるのではないかと思っていたのだが、私を見上げた黒い瞳から発せら
れた視線は射るように鋭かった。相当な負けず嫌いらしい。
「私についておいで」そう言ってさっさと歩き出すと、案に相違してセブル
スは黙ってついてきた。ずぶ濡れのセブルスを連れてしばらく廊下を歩い
ていると、思いがけない人に出会った。
「やぁ、ミス・ブラック。こんな時間に寮から出ているなんて珍しいね」
 私より一学年下のナルシッサ・ブラックだった。腰より長い美しい金髪
に淡いブルーの瞳をしていて、妖精のような雰囲気の美貌の持ち主だ。
シリウス・ブラックとは従姉弟同士であり、私とも縁戚関係にある。
「ごきげんよう、ミスター・マルフォイ。梟に用事があったものですから」
 静かな声で私に答えながら、軽く顎を引いたのは、私の後ろにいるセ
ブルスがナルシッサに黙礼したらしく、それに応えたようだった。セブル
スには意外と礼儀正しいところがあるようだ。
「そう、それじゃ気をつけて」
 短い会話の後、私たちは背中合わせに別れた。溺死体のようなセブル
スを目にしてもナルシッサはあれこれ詮索しなかった。単に興味がなか
ったのかもしれないが、不用意に人の領域に踏み込んでこないところが
好ましく思えた。
 セブルスは監督生の特権の一つである専用のバスルームに連れてこら
れて明らかに困惑した顔で周囲を見渡していた。いきなり広大な総白大
理石の豪華なバスルームに連れてこられたら、普通の一年生は驚くもの
だ。セブルスは校内にこのような選ばれた者に特別な待遇が与えられる
場があることをもちろん知らなかったはずだ。
「まず、風呂に入ろう。君は既に濡れているが、汚れを落とす必要があ
る」 と気楽に声をかけ、さっさと服を脱ぐと、私の裸を見ないようにセブル
スはさっと視線を逸らした。
「僕はここに来てはいけないと思います」と顔を私から逸らしたまま、セブ
ルスが初めて口をきいた。11歳の子どもにしては堅苦しい口調だ。
「私と一緒だから大丈夫だ。いずれ、きみも監督生になればここを使うの
だから、慣れておけばいい。ん?男同士で恥ずかしがって、隠していると
かえっておかしいぞ」と私が揶揄すると、セブルスはやっと意を決したよ
うに衣服を脱いだ。予想通りの貧弱な身体で肋骨が標本のようにすべて
数えられるし、鎖骨や腰骨がとび出ていて痛々しいくらいだった。それか
ら、生傷が目に付いた。まだ新しいものもあれば、色が変わりかけている
ものもある。私はさっと見て確認してから、率先して湯に浸かり、お気に
入りの入浴剤が出てくる金の蛇口をひねって湯を薄紫に染めた。セブル
スにも湯に浸かるように促すと、セブルスはおずおずと湯に入ってきて、
私から少し離れた場所にしゃがみこんだ。温かい湯に浸かっているうちに
セブルスの白蝋化した死体のような膚も多少は血色がよくなってきた。
数分間、黙って湯につかってからさりげなくセブルスに話しかけた。
「きみを水浸しにしたのは、グリフィンドールの馬鹿どもではなく、スリザリ
ンの者だね?」
 セブルスはびくりと肩を震わせたが、黙って首を横に振った。やはり、私
の推測通り、セブルスはスリザリン内から苛められているらしい。わがスリ
ザリンは異分子に排他的なのだ。そう思ったからわざわざ遠くの監督生の
バスルームまで連れてきたのだ。誰かが聞き耳をたててもいけないし、セ
ブルスの緊張も解けないと思ったからだ。
「同じ寮の者が争うのは愚かなことだ。私が注意しよう」
セブルスは私が何人も名をあげて訊いても頑として苛めた相手の名を
明かさなかった。追求しても絶対に話さない頑なさを感じたので早々に
諦め、セブルスの怪しい匂いがする汚れた髪にシャンプーをかけて泡立
て洗ってやった。最初は素手で触るのに躊躇しかけたが、汚れが落ちて
いくのが面白くなってきたので、思い切り泡立ててごしごし洗った。
セブルスは私の手を煩わせるのを嫌がったが、「目をつむっていないと
染みるぞ」と脅すと、本当にシャンプー液が目に入ったのか目をぎゅっと
閉じたので、心置きなくセブルスの髪を徹底的に洗ってやった。いった
ん流してから、自分がいつも使っているコンディショナーを擦り込んでお
く。それでも身体を洗うのは本気で抵抗されそうだったので、背中だけ香
りのよい石鹸の泡のついたスポンジで撫でてやり、後は自分で洗わせる
と、セブルスは身体を泡で覆ったら隠せると考えついたのか、体中を泡
だらけにした。私が顔以外を白い泡で包まれたセブルスの姿に思わず
吹き出すと、怒っているような顔で恥ずかしがっているようだった。私は
一度入浴していたので自分の身体は洗わなかったが、セブルスが私の
裸をなるべく見ないようにして視線を逸らしているのに気づいて、「同じ男
同士だろう?興味ないか?大人の身体に」と揶揄すると、ぷいと顔を逸ら
した。かなり気が強い子だ。身体を覆っている白い泡にシャワーを浴びせ
かけて素早く洗い流し、動揺しているセブルスをもう一度湯に入らせて十
分に体を温めさせた。逆上せかけていたセブルスを浴室から出して、積み
上げてあるふんわりと膨らんだ上質のバスタオルを渡した。セブルスが身
体の水気を拭くと、私のガウンを着せた。ぶかぶかで肩からずり落ちてし
まいそうだったが、ベルトをきつく締めておけば、寮までは保つ。セブルス
のローブはぐっしょり濡れて藻に覆われた池の淀んだ水の臭いがしていた
ので、クリーニングの呪文をかけたとしても、せっかく清潔になった身体が
台無しになるに決まっている。セブルスの髪を呪文で乾かすと、艶やかさ
と同時に不揃いに切られていることがわかった。何故、そんな妙な髪型を
しているのだろうと思ったが、誰かに切られたのかもしれないと気づいた。
セブルスの器量を悪くみせていることは確かで、誰の仕業か知らないが
悪趣味なことに違いはない。私は屋敷しもべ妖精のような風体のセブル
スを連れて寮に戻った。我ながらおかしなことをしているとは思ったが、
この変な一年生を保護することに決めて、セブルスを一年生の部屋に返
さずに私の寝室で休ませることにした。私は最上級生の監督生というこ
とで一人で部屋を使っている。たまたま一部屋空いていたので、スラグホ
ーンにかけあったら許可してくれたのだ。スラグホーンはお気に入りの生
徒を特別扱いする傾向がある。おそらく、恩を売っておいて、卒業後には
それなりの便宜を計ってもらうことを期待しているのだ。私はスラグホー
ンのやり方が嫌いではない。ああいうやり方は確かに効果的なのだ。セ
ブルスは自分の部屋に戻ると言い張ったが、私は許可しなかった。同室
の者が苛めている可能性もあったし、少なくとも苛められているセブルス
を助けていなかったからだ。
「負けたと思われたくない」と言って歯を食いしばるセブルスの顔はせっ
かく風呂で暖まったというのにまた青ざめていた。私はセブルスをソファ
に座らせ、毛布をかけた。それから、手早く紅茶を淹れて、セブルスにカ
ップを渡した。紅茶にはあらかじめ砂糖とミルクをたっぷり入れておいた。
甘いミルクティーは薬よりも精神を穏やかにする効果がある。
「それを飲みなさい。意地になるのは愚かなことだよ」と言いながら、自分
の分を飲むと疲れがとれる気がした。奇妙なセブルスに付き合って、続け
て二度も風呂に入ってしまったのだ。セブルスは両手でカップを持って、
少しずつ甘い紅茶を飲んでいた。行儀がよいとはいえないが、その仕草
のせいかセブルスが年相応の子どもに見えた。それに、不潔な髪を洗っ
てさっぱりとしただけで、随分器量が改善されたようだ。ふと、思いついて
私が机の引き出しから鋏を取り出すと、セブルスは怯えた表情を浮かべ
た。私にも苛められると思ったのだろうか。
「少しじっとしておいで」と私はセブルスに声をかけ、ソファに座らせたセブ
ルスの髪を鋏で切り揃えていった。鼻や顎とのバランスを考えながら、肩
に少し触れるくらいの長さに揃えると、痩せて小柄な身体と頭のバランス
が良くなり、セブルスをまた年相応の少年に近づけることができたようだ。
人の髪など切ったことはなかったが、なかなか上手く出来た。セブルスに
手鏡を渡して見てみるように促すと、セブルスは不安そうに鏡を覗き込ん
だが、ほっとしたように溜息をついた。
「可愛くなっただろう?」と尋ねると、セブルスは怪訝な表情を浮かべた。
私が、おかしな髪型にしていなかったのを確認して安心しただけだったら
しい。
「僕は可愛くありません」と真面目な顔でセブルスが言うのが可笑しい。
笑いながら、セブルスの肩に落ちている切った髪を払い落とすと、セブ
ルスが床に落ちている自分の髪を拾い集めようとしたので、咄嗟に「手
が汚れるから止めなさい!」と叱ってしまった。セブルスはびくりと身体
を震わせて固まったが、「でも…」となおも床の髪を気にするので、「しも
べ妖精が掃除するからそのままにしておきなさい」と口調を和らげて教え
ると、「…しもべ妖精?」と不思議そうに首を傾げた。
「あぁ、魔法使いの屋敷には大抵しもべ妖精がいるものなのだよ。この
ホグワーツは古城だから、それはたくさんのしもべ妖精が働いている。
しもべ妖精は姿を見せずに奉仕する習性があるから見たことがなくて
当たり前だけれどね」
「しもべ妖精のことは知っていましたが、ホグワーツにもいるとは知りま
せんでした」とセブルスは驚いた様子だった。おそらくセブルスは片親が
魔法使いか魔女なのだろうがマグル育ちでは魔法生物に疎くて当然だ。
「このままにしておいて、明日、見てごらん」と提案すると、セブルスはま
じまじと自分の髪が散らばった床を見つめた。この部屋に泊まる気にな
っているようだったので、「そろそろ休もうか」と声をかけて、私のパジャマ
の上着を出して渡した。ガウン姿だとしもべ妖精に酷似しているだけでな
く、寝ている間に肩からガウンが脱げて裸になりそうだった。セブルスが
着替えたところで、杖を振ってパジャマの肩幅を縮めてやる。セブルスは
黒い眸を瞠らせて、私とパジャマを見つめた。
「どうするんですか?」と黒い眸を好奇心で輝かせて、私に質問してくる。
「簡単だよ」と言いながら、また杖を振って裾を膝下まで伸ばしてやると
セブルスは感嘆した様子で自分サイズに変更されたパジャマをしげしげと
観察した。
「今夜は遅いから、やり方は明日教えてあげよう。さ、質問は明日になっ
てからだよ、明日、明日」と言いながら、セブルスを寝台に追い立てた。
寝台は一つしかなかったし、セブルスは小柄な子だったので一緒に寝て
も大丈夫だった。
「くわしいことは明日だよ。今夜はおやすみ」とセブルスに言って布団を
被せた。目を瞑ると、すぐに睡魔が襲ってきた。何しろ風呂に二度入って
いるし、慣れない子どもの世話をしたからだ。朦朧としていく意識の中で、
とてもよい匂いを感じたが、セブルスにも自分と同じシャンプーを使ったの
で、香りが二倍になっているからだろう。意識が途切れる直前に、「おやす
みなさい」と小さな声が聴こえた。

(2013.6.26)

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