L'Amant 1

 汚れたマッチ箱のような住宅が密集している街は既に寂れきり、雑草が
生い茂っていた。人が住んでいる気配がまるで感じられない。
近くの川から漂ってくるらしい何かが腐ったような湿った臭気に思わず手
の甲を鼻腔にあてて、足早に目指す家を探した。細かい雨が降っていて、
フード付きのマントを着ていても肌寒い。道の突き当たりにはたしてその
家は見つかった。一軒、空き家のようだが、一階の窓のカーテンの隙間
から明かりが漏れている。何より、その家全体から魔法使いが住んでい
る気配が濃厚に感じられた。ペンキの剥げた扉を叩くと、しばらくしてから
軋んだ音を立てて扉が開かれた。扉は最初は細く、すぐに大きく開かれ
た。
「ルシウス!」馴染み深く、しかし久しく耳にしていなかった低く滑らかな
声が驚きを含んで私の名を呼んだ。玄関の中も外も薄暗く、お互いの姿も
はっきり見えなかったが、私は訪問相手を間違えていないことはわかっ
た。
「やぁ、セブルス。近くまで来たので寄ってみた」と真っ赤な嘘をついてみ
た。私はこういう冗談を言うのが好きだ。セブルスは呆れた表情を浮かべ
たが、すぐに私を室内に招き入れてくれた。昔から変わらない漆黒の長い
髪と切れ長な眸、青白い膚の痩身、見慣れない服装をしているが、マグル
式なのだろう。セブルスの身体が私に軽く触れると、昔と変わらず数種類
の薬草が混じった香りが微かに鼻腔を擽る。セブルスは魔法薬学の教師
を長年にわたって勤めていたし、現在も魔法薬の研究をしているので不思
議はないが、セブルスはホグワーツに入学したての頃から同じ匂いをして
いたので、セブルスの生まれ持った香りでもあるのだろう。セブルスに濡
れたマントを脱ぐようにと促されたので脱ぐとどこからかさっとハンガーが
飛んできて、私がマントをかけるとまた何処かに飛んでいった。 
「用事があるなら、私が会いに行くのに。それにしてもよくここがわかりま
したね」とセブルスは私が気軽な感じで渡した土産のエルフワインを受け
取りながら、片方の手で杖を振って暖炉の火を熾した。案内された居間は
三方の壁が書棚で、寛ぐ場というより研究室のような雰囲気だったが、い
かにも学問好きなセブルスらしくて、埃でくしゃみが出そうになるのには
閉口だが嫌な雰囲気ではない。
「ナルシッサに道を訊いた」と私が答えると、セブルスは「なるほど」と頷い
た。かつて妻のナルシッサがこのセブルスの自宅に押し掛けて、私たちの
息子ドラコのことをセブルスに守って欲しいと依頼し、魔法使いの破れぬ
誓いまで結ばせたことがあったのだ。ナルシッサが息子を愛するあまり焦
燥に駆られて異常な行動に走ったのは偏に私の不徳のいたすところだ。
私がアズカバンに投獄されていた当時、ヴォルデモート卿から息子を守る
ためにナルシッサが頼れる人物はセブルス以外いなかった。私が失墜し
たあと、デスイーター達の中でヴォルデモート卿の我が家への不興を取り
なしてくれる者は皆無だった。
 私が回想に耽っているあいだに、セブルスが紅茶が入ったポットとカッ
プを載せた盆をキッチンから運んできて、熱い紅茶を淹れてくれた。
「挨拶は後にして、風邪を引くから先に紅茶をお飲みなさい。ミルクはここ
にありますし、今日は砂糖も入れた方がいい。疲れがとれます」
セブルスは私の世話をやきながら、自分のティーカップにミルクを入れて、
紅茶を注いだ。
「あぁ、セブルスは先にミルクを入れるんだったな」
 私の胸に懐かしさがこみ上げたが、セブルスは、「ええ、入れた量が正
確にわかりますから」と真面目な顔で答えた。私の感傷に全く気づいてい
ない様子だ。同じ言葉を三十年前にも聞いたことを今でもよく覚えている。
最近は私が世間的に謹慎中の身の上ということもあって、折に触れて梟
便を送りあうことでしか連絡をとっていなかったが、会ってみれば、昔と少
しも変わらないものだ。
「セブルス、ここで誰かと一緒に暮らしているのか?」と私が尋ねるとセブ
ルスは怪訝そうに首を傾げて否定した。
アポイントもなしに訪問したのは断られるのが嫌だったからで、気まぐれ
を装ってみたが、セブルスは気にしていないようだ。昔から学究肌で浮
き世離れしたところがあったが、全く変わっていないようだ。
「いいえ。見ての通り、気ままな独り住まいですよ。何故そんなことを?」
「何となくそう思っただけだ。独りだと寂しくはないのか。長年、ホグワー
ツの大人数の中で過ごしてきたのだし、何かと面倒だろう。あぁ、通いの
メイドでも雇っているのか」先ほど、セブルスが茶の支度一式を持って部
屋に入ってきたとき、何となく第三者の気配を感じた。セブルスは昔から
食事に無関心で、ミルクを常備しているようなタイプではないのだ。
「人を雇うような家ではありませんよ。客は時々来ますが」
とセブルスはおかしそうに答えると、紅茶を飲んだ。
「昔もこうしてよく二人でお茶を飲んだな。セブルスはまだ一年生だった」
「えぇ。自分が寮監になって、あなたが規則というものをまるで無視してい
たことがよくわかりました」
「私は監督生だったぞ」と言うと、セブルスは「確かに」と答えて静かに微
笑んだ。
「本当にあなたは特別な人だった」
「私には、セブルス、おまえこそ特別だった」
 私はセブルスの顔を見つめたが、セブルスは肩を竦めた。私は立ち上が
るとセブルスの傍に行き、屈んで口づけた。セブルスは少し驚いたようだ
ったが拒まなかった。昔、セブルスはまだとても背が低くて膝に乗せると口
づけやすかったので、二人きりの時は私の膝によく乗せていたものだ。今
でもセブルスは痩せているが、当時は本当に華奢でずっと乗せていても重
さを少しも感じなかった。私はセブルスの椅子になって、私の膝の上で様
々なことを教えたものだ。今、セブルスが座っていた場所に腰を下ろして、
セブルスを乗せるとセブルスが私を見下ろす格好になった。
「セブルス、大きくなったな。昔はこれくらいしかなかったのに」
と手をひらひらさせるとセブルスは、
「私がいくつになると思っているんですか」と呆れたように言ったが、喉仏
や耳の下に口づけると、びくりと震えて溜息をついた。相変わらず華奢で
重さを感じさせない身体から次第に力が抜けてきたのを感じて、シャツの
釦を一つ外して手を中に差し入れ、ゆっくりと撫でていく。この滑らかな皮
膚がどれほど感じやすいかということもとてもよく知っている。そもそも、私
がセブルスに教えたのだ。快楽というものを。


(2013.6.25)

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