鹿と小鳥 第16話

 暖かい日差しを浴びて、セブルスは眩しそうに眉を顰めた。その縦皺
に指を滑らしてから、顎の下で結ばれた帽子のリボンが完璧な蝶結び
になるように直してやるジェームズの眼差しは春の陽気と同じ暖かさを
湛えている。膝掛けに包まれたスカートの中で細い足をぶらぶらさせて
いる事もジェームズにはお見通しだが叱ったりはしない。
 ジェームズとセブルスを乗せた馬車の前をリーマスとシリウスがそれ
ぞれ馬を走らせている。シリウスは春風を心地よく感じながら、ジェーム
ズが一緒に馬を並べていたらもっと愉快だったと思わずにはいられな
かった。シリウスはジェームズがセブルスの乳母を同行させなかった
ことに驚いていた。一泊ほどの予定だが、子どもが自分で身の回りの
世話ができるようには思えない。男の子なら構わないが、ガウンの着
替えなどはどうするのだろうとひどく気になった。隣で馬を進めている
リーマスは何も気にしていないようで、待ち合わせ場所でセブルスの
目や脈を簡単に診た後、少し言葉を交わしていた。穏やかな笑みを浮
かべて話しかけるリーマスにセブルスはか細い声でぽつりぽつりと答
えた。ジェームズはシリウスが用意してきたセブルスのマントと帽子を
早速セブルスの肩と頭に宛ててみてとても似合うと大喜びして礼を言
った。聞けば、レギュラスはジェームズとフランスの貴婦人の装束全般
の流行について文通をしているということだった。ジェームズもレギュラ
スもあんな不器量な子を熱心に飾りたてるなぞ何を考えているのかよく
わからないが、シリウスが用意したマントと帽子がセブルスに似合って
いることについては自分の見立ての良さに満足した。ジェームズはマン
トと帽子を箱に仕舞い、必ず帰りに着せるといって大切に馬車に積み込
んだ。
 予定より早く進んでいるので見晴らしのいい丘の上で早めの昼食
にすることになった。下の方にまばらに民家が見える。ポッター家の御
者は馬を休ませるために馬車の二頭の馬を下の民家に連れて行って
から、シリウスとリーマスの馬を連れに戻ってきた。ジェームズは草の
上に敷いた絨毯の上にセブルスをそっと降ろしてから、御者を労い昼食
が入った大きな籠の中から御者の分の包みを取り出して手渡した。セブ
ルスがエールの入った蓋をした壷をジェームズに渡し、それも御者に渡
された。御者は嬉しそうな顔で礼を言うと馬を連れて下っていった。
シリウスは自分たちと同じ籠から使用人の昼食を分けるポッター家の家
風を目の当たりにして改めて考えさせられた。ブラック家ならば自分たち
が食べた後で、その食べ残しを使用人たちが食べる。自分は厨房に
出入りするようになって、パンとエールを使用人たちに支給することに
したが、それは給金かちょっとしたプレゼントの意味合いであり、使用人
たちのやる気をださせる為に思いついたのだ。そういえば使用人たちが
それを食べるところを見たことはなかった。厨房頭のジョンが厨房の物
を横流しして小金を貯めていることは知っているが、ジョンが何を食べて
いるのかシリウスは知らない。適当に厨房の物を食べているのだろうが、
今日持参したバスケットいっぱいの料理はジョンが拵えたものなのに、
ジョンが何を食べているのか知らないことが不意に不思議に思えた。
シリウスが考え事をしている間に、リーマスがバスケットから冷肉やパテ、
ジェリー、パンとパイを取り出してジェームズが持参したものと並べると、
絨毯の上が埋め尽くされるほどだった。

「早くお腹にしまっちゃおうよ」

などとジェームズが軽口を叩き、皆その言葉に倣った。満腹になったセブ
ルスがうとうとし始めた。ジェームズが膝の上の小さな頭を静かに撫で、
リーマスも新鮮な空気を吸い込んでくつろいでいた。もう少しここで休ん
でいくのも悪くないとシリウスが思っていたところに、御者が戻ってきた。
眠っているセブルスを起こさないように小さな声でジェームズに話しかけ
る。

「旦那様、下の民家で馬たちに水をもらって休ませていたのですが、私の
お仕着せのポッター家の紋章を見た中年の女に声をかけられまして。
ポッター家の方たちがここにいらしているのかって。結婚前にポッター様の
田舎の屋敷で働いていたそうです」

「僕がいるって言ったの?」

とジェームズが尋ねた。

「はい、ご友人たちとご一緒だと。セブルス様のことは話してはおりません」

ポッター家の使用人は口が堅いということもあるが、説明のしようがない
からだろうとシリウスは思った。

「ジェームズ様が現在の御当主だと言うとひどく驚いておりました。前の
旦那様方が流行病で亡くなったことをおしえると泣き出してしまって…」

「名前はきいてる?」

「いいえ、何度も聞きましたが、名乗るほどの者ではないと」

「ちょっと会いに行ってみよう。僕の知っている者かもしれないし、うちに
勤めていた者が今どんな暮らしぶりなのか気になるから」

ジェームズはセブルスの小さな頭をクッションの上にそっと載せてから
マントの上に膝掛けをかけた。

「すぐに戻ってくるから、セブルスのことを見ていてくれないか。風が出て
きたら馬車に連れて戻っていてほしい」

とシリウスに頼んだ。シリウスが了承すると、御者の案内でジェームズ
は丘を下っていった。何となく目で追っていると村のはずれの民家の方
へ歩いていく姿が見えた。
ふと気になって視線を近くに戻すと、リーマスもセブルスの隣で横にな
って眠っていた。安らかな顔をして寝息を立てている。これでは自分が
番をするしかあるまい。シリウスはすやすやと眠る二人を見守りながら、
春の陽気を楽しんでいた。これほど穏やかな時間を過ごすのは、子ども
の時以来のような気がする。しばらくしてから御者がまた戻ってきた。
シリウスがジェームズはまだなのかと尋ねようとしたら、リーマス様に
お越し願いたいとジェームズ様から言づかってきたと御者は小声で話
しかけてきた。リーマスを起こそうと振り返った時にはリーマスは既に
起きあがり、

「病人がいるんだね。馬車に薬と道具が入っている箱を積んでもらって
あるからそれを降ろして、病人のところに連れていっておくれ」

と御者に声をかけた。シリウスにセブルスのことを頼んでから、ちょっと
行ってくるよと微笑んで御者の案内する後ろを歩いていった。シリウス
は苦手な子どもと二人きりで残されて困惑したが、そのうちジェームズ
とリーマスが帰ってくるだろうと思いながら眠っているセブルスの傍に
座っていた。

(2011.11.29)
 

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