鹿と小鳥 第14話

 ジェームズが予め指図しておいたので、食卓の上はセブルスが初めて
宮廷にやって来た時よりも心尽くしの品で埋め尽くされていた。中央に
は前以てブラック家から運び込まれていた、例のチーズケーキがいくつ
も載った精緻な細工が施された銀のトレイがリネンの布を被せられて鎮
座している。リーマスが少し遅れて到着すると、大人達は葡萄酒でセブ
ルスはシードルで乾杯した。
セブルスの席はジェームズの隣だが、いつものようにジェームズの膝を
椅子にしている。セブルスはリネンを取ってみるように促されて、恐る恐
る小さな手でリネンを捲ったが、いくつもの丸い物体を目にしても反応は
薄かった。しかし、リーマスが弾んだ声で

「とても美味しいんだよ」

とセブルスに話しかけると、その嬉しそうな様子に興味を覚えたらしくケ
ーキをじっと見つめていた。ほかの三人が葡萄酒のゴブレットを片手に、
レギュラスがフランスでケーキのレシピを伝授された経緯を話したり、シ
リウスがブラック家の厨房でそれを再現するべく奮闘した話をしている
間に、リーマスとセブルスはさっさと二人で一つのケーキを切り分けて
食べ始めた。こくのある甘い酸味をうっとりと味わうリーマスのいつにな
い無邪気な表情につられたのか、セブルスも小さな手でケーキをむしっ
てはよく食べた。卓上のボウルの薔薇香水入りの水で指を洗いながら、
リーマスとセブルスは満足げに目配せしあった。ジェームズがセブルス
に、

「そんなに美味しいのかい?」

と尋ねると、こくりと頷いてから小さな声で、

「満月」

と呟いた。たしかに黄色くて丸い。ジェームズはセブルスの発想に感心
しながらも、かつて夜に外に出されるような暮らしをしていたのかもしれ
ないと思い、胸が痛んだ。セブルスに新しい菓子をとってやり、ジェーム
ズもケーキを食べてその味に感心してブラック兄弟に話しかけた。

「ここだとたいしたもてなしもできなくて残念だな。ロンドンの屋敷にも
遊びに来て欲しかったのだけれど」

「いいえ、今日お招きいただいてとても嬉しかったです。明後日には英
国を発ちます。また帰国した時にはうちにもいらしてください。夏頃に
一度戻ってくるかもしれませんし、うちの夏場を過ごす城からの眺めは
なかなか美しいのでそちらがいいかもしれませんね。もちろんレディも
ご一緒にいらしてください」

「それは嬉しいな、今年はうちの田舎の家に行こうかと思っていたのだ
けれど。そういえば、昔シリウスとリーマスは来たことがあったね」

「ああ、皆まだ少年だったな。エリザベスが本当に可愛くて…」

シリウスが懐かしそうに言うと、リーマスも同意して肯いた。
その家はポッター家発祥の地にある田舎屋敷で、そこでシリウスとリー
マスはジェームズとその小さな妹エリザベスと楽しい一夏を過ごしたの
だった。エリザベスと両親が亡くなってから、ジェームズはずっとロンド
ンの屋敷と宮廷で過ごしていた。今年はセブルスがいるので久しぶり
に空気のきれいな田舎で夏を過ごそうと思ったのだろう。小さな子ども
がいると家庭的な空気が必要に思えるものだ。
 レギュラスは、ポッター家の居所の居心地のよい設え、飾らないもて
なし、ジェームズと小さなセブルスの親密な様子をさりげなく見渡し、な
るほど兄はこの雰囲気に憧れているのだなと察した。たしかに我々兄
弟が両親から与えられたことがないあたたかな平和な空気がここには
ある。暫くシリウスの私邸に滞在して、シリウスの家政への関心、リー
マスに対する深い思いやりを目のあたりにした。シリウスの家令がブラ
ック家に家政に介入するシリウスの気まぐれを嘆く手紙を頻繁に書いて
きていることはレギュラスの耳にも入っていたが、おそらく兄は真剣だ。
ジェームズへの憧れとリーマスへの執着、兄の友人達に対する感情は
兄の願望そのものだ。兄が心から欲しているものが自分には察しがつ
く。我々兄弟の胸には空洞がある。兄はそれを埋めたいのだろう。自分
はその空虚とともに生きていくつもりだが、兄の努力が、本人は無意識
の努力が眩しくも思える。レギュラスは、小さなセブルスを見つめた。
セブルスは目で何かジェームズに伝えていた。軽く肯いて応えるジェー
ムズをシリウスの視線がとらえ、それからリーマスの方に向けられた。


(2011.11.8)

 

inserted by FC2 system