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鹿と小鳥 第57話

 ピーターは夜分訪れたポッター家の居所で、既にセブルスが
髪を解き、寝間着に着替えていたので、明朝にするべきだった
と後悔した。子どものいる家の就寝時刻は早いのだ。リーマス
から急ぎの使いでやって来たのだが、緊急というわけではなか
ったので、今夜はシリウスの居所の召使い部屋に泊めてもらい、
明朝にポッター家の居所に出向けばよかったのだ。
ピーターが部屋に入るとセブルスは白い寝間着の上から毛皮を
羽織り、マルチーズたちと暖炉の傍で遊んでいるところだった。
マルチーズたちはピーターのことを覚えていて傍まで駆け寄っ
てくると、しっぽを振りたて歓迎の意を示した。セブルスはその
場を動かなかったが、突然現れたピーターに親愛の視線を送
って寄越した。
「やぁ、ピーター。外は寒かっただろう?今、温かい物を持って
こさせるよ」
隣室から現れたジェームズは不調法なピーターを叱ることもなく、
いつものように労いの言葉をかけてくれる。ピーターが夜分に訪
問した非礼を詫びると、ジェームズは明るい声で笑った。
「それがきみの仕事じゃないか。急ぎの用だったんだろう?まだ
それほど遅い時間じゃないしね。あぁ、セブルスは早く寝るよう
に言ってるんだけど聞かないんだ。困った子なんだよ」
とジェームズはまるで困っていない表情で言ったが、セブルス
は知らない素振りで犬と遊んでいた。乳母ははっきり困った顔
をしてセブルスに膝掛けをかけたり、靴下をもう一枚重ねて履
かせようとしていた。風邪をひかせたら一大事だと心配してい
るのだ。
「おや、セブルスにも手紙だよ」
ジェームズが声をかけると、セブルスはすぐに立ち上がり、ぱ
たぱたと軽い足音をたててジェームズの元にくる。セブルスは
手紙をもらうのがとても好きなのだ。ジェームズはナイフで封蝋
を綺麗に剥がすとセブルスに渡した。セブルスは印璽が押され
た封蝋を集めていてジェームズを面白がらせている。
セブルスはリーマスの印璽をじっと見つめてから、暖炉の傍に
戻り、座り込むと手紙を読み始めた。両脇にマルチーズたちが
覗き込むようにセブルスを見上げている。ジェームズはセブルス
と犬たちを愉快そうに見つめてから、ピーターに休憩するように
言い、自分も手紙の封を切って読み始めた。ピーターは家庭
的なポッター家の雰囲気に心まで暖かくなるような気がすると
思いながら、運ばれてきた熱いスープに添えてあったパンを浸
して食べていたが、ふと気づくと、セブルスが傍に立っていたの
で驚いて思わず自分も立ち上がってしまった。そんなピーターの
慌てた様子にセブルスも吃驚したように黒い眸を瞠らせたが、
座るようにと目配せしてきた。ピーターが椅子に座るとセブルス
はポシェットから小瓶をいくつか出して机の上に並べ、蓋をとって
中身を指先で摘みだし、ピーターが食べかけていたスープの上
にぱらりと振りかけた。黒と褪せた緑の粒がスープに散らばり、
ふわりと少し癖のある香りが鼻につく。
「おいしくなる」
セブルスはそう言い、ピーターに食べてみろと目で促してきた。
ピーターは高価な香辛料を自分ごときに振る舞ってくれるセブル
スの好意に嬉しくなり、木のスプーンでスープを掬うとがぶりと
飲んだ。舌がピリッと痺れるような刺激を感じ、美味かどうか
はよくわからなかったが食べているうちに体が火照ってきた。
「あたたまりますね」
ピーターがセブルスに話しかけると、セブルスはこくりと肯き、
「そういう効果がある」と小さな声で呟いた。不意にセブルスが
くわっと欠伸をし、慌てて口を華奢な手で押さえたので、
「お眠いのでは?」と声をかけると、今度はセブルスは首を左右
に振って真面目な表情で否定した。

「父上はどうしてここにいらっしゃるんですか?ご立派な御自分
の部屋があるでしょうに」
シリウスが不機嫌な様子を隠さずに父に文句を言うと、
「来客に些か疲れたのだ。お前たちのお母様はあいかわらず
社交家だね」
とブラック侯爵は息子の機嫌などまるで気に留めていない口調
で答えた。レギュラスは微かに困惑しているような表情で黙って
熱い味付き葡萄酒を飲んでいたが、こんな風に暖炉の傍で父
と兄と過ごすなど何年ぶりのことだろうと考えた。もしかすると
初めてのことかも知れなかった。兄とは生まれてから幼少期
を共に暮らしたが、多忙な両親とは年に一二度会うだけで疎
遠だったからだ。幼い頃、両親に会うと乳母に聞かされると
緊張してきまって気分が悪くなった。両親はレギュラスのことを
内気で病弱な子だと思っていたようだ。いつも青ざめた顔色を
して兄の後ろに隠れていたからだ。両親の関心は主に嫡男の
シリウスに向けられていたので、特に問題視されることもなか
ったが。そういえば、乳母に長らく会っていない。
「私の見たところ、お前たちはブラックの男子に生まれていな
がらジェームズに負けている。これ以上差をつけられないように
しなさい。そろそろ私は隠居しようと思っていたが、このままで
はいつになることか」
ジェームズを褒める父の言葉にシリウスが憮然と「何を根拠に」
と言い返した。
「ジェームズはあの若さで親から受け継いだものを着実に守り、
増やしている。領地の産業に力を入れ、陛下の覚えもめで
たい。父親が亡くなって家督を継いだ時にはとても若かった
から私が後見人になったが、今では頼られることもない。しか
し、あの小さな、なんという名だったかな」
「セブルスですか」シリウスが怪訝な表情で言うと、侯爵は肯
いた。
「そう。あの子は意外だったね」
「何が意外だったのですか?」レギュラスは父と兄の会話に初
めて口を挟んだ。父があの少女に興味を持つとは意外な気が
した。
「お前たちのお母様の話では、ここ二三年で婚姻できるだろう
と聞いていたがとても無理だろう。あまりにか細いので驚いた。
まるで豪奢なガウンに埋もれているようだった」
「でもあのくらいの年でも結婚する娘はいるでしょう」
シリウスが口を挟むと、
「それはそうだが、あまりにも弱々しすぎる。回廊で初めて会っ
た時は何か雰囲気に怯えているように震えていたし、結局声も
聞けずしまいだ」
「ああ見えてセブルスは乗馬もしますし、氷の祭典では四頭立て
の犬橇を操縦していましたよ。確かに少々人見知りですが元気
な娘です」
シリウスは事あるごとにセブルスを貶してきたというのに、即座に
侯爵に反論した。乗馬は兎も角として犬橇はスケート靴を履いた
ジェームズが併走して犬たちをリードしていたことは黙っていた。
「ほう。てっきり足が弱くてまっすぐ立っているのも難しそうに見え
たが。室内で転倒して大けがをしたそうじゃないか」
「子どもですからはしゃいで転んだだけですよ。よくあることです。
ジェームズが大袈裟に騒ぐから大事になっただけです」
「あの子がたいそう可愛がられていることは衣装を見ればわかる
がね」
侯爵は冷静にセブルスを評価していた。
「おまえたちのお母様はあの子を王妃付きの侍女に推薦したい
と言っていたが、あの内気さではとても勤まらないだろう。可哀
想だ。田舎育ちだというから礼儀作法を学ぶのに良いだろうと
いう王妃様のご内意でもあられるそうだが」
確かにセブルスに侍女の仕事はつとまりそうにない。セブルスと
社交というものはどう考えても結びつかない。シリウスとレギュラ
スは思わず顔を見合わせてお互いの顔に同意を読みとった。
「まぁ、あと数年待てば健やかに成長するのかもしれないね」
その可能性は低いと侯爵が内心で思っていることは明らかだっ
た。その後もレギュラスがセブルスがあのダンブルドアと面会し
て気に入られ文通をしていること、薬草に詳しく、シリウスやリ
ーマスが病に倒れた際には的確な処置をし、看病もしたことを
話すと、侯爵は目を瞠り、少し驚いた表情になったが、自分の目
で見た印象をあくまで優先するつもりらしかった。シリウスがそれ
にしても何故この疎遠な父子が縁もゆかりもないセブルスの話
で盛り上がっているのかと訝しく思っているところに、召使いが
やってきてピーターが手紙を届けにきたと伝えた。
「すぐここに通せ。それからピーターにも何か温かい飲み物を持
ってきてやれ。夜道の乗馬で冷えただろうから」
 ピーターはきびきびとした歩き方で部屋に入ってきたが、予期
せぬ侯爵の存在に気づくと、緊張して顔をこわばらせ、膝を折っ
て頭を下げた。
「やぁ、そう畏まらずに顔を上げなさい。リーマスは元気かね」
侯爵に気さくに話しかけられ、ピーターは真っ赤な顔になりな
がら、リーマスは忙しくしていると話した。
「手紙を送ってくるとは何かあったんじゃないのか。おや、この
印璽は?」
シリウスが手にした手紙は見慣れぬ小鳥の印璽で封蝋してあ
った。
「セブルス様からです」
「いつのまにこんなものを作ったんだ。何だおまえ、ジェームズ
のところから来たのか?」
「リーマス様からポッター伯爵のところに手紙を届けるように
言いつかって宮廷に参りました。それでセブルス様からシリウ
ス様に手紙を届けてほしいと頼まれたのです」
ピーターの説明にシリウスは納得した。
「あぁ、リーマスはセブルスの主治医だからな。またジェームズ
がどうでもいいことを質問したりしたにちがいない」
リーマスが自分に便りを寄越したわけではなかったことに落胆
しつつ、腰のナイフを抜きセブルスの手紙の封蝋を剥がした。
書かれてあった文章は短かく、シリウスは口の端を上げて肯い
た。
「レディは何と?」気遣わしげにレギュラスが問うと、
「ブーツが窮屈になったそうだ。早急に靴職人を手配してやらね
ばな。いや、ここにあの子を呼んだ方がいいか」
「どうして、あの子どもの靴をお前が手配するのかね。ジェーム
ズはあの子を飾りたてているのに」
ブラック侯爵が純粋に疑問を感じたらしくシリウスに質問した。
「靴は装飾品ではないでしょう。実用品です」
シリウスは真面目な顔で父に答えた。
「いかにも」
一瞬虚を突かれたような表情になったブラック侯爵もまた真面目
な声で答えた。ピーターがそんな二人に困惑していると、レギ
ュラスと目が合ってしまい狼狽して熱い味付き葡萄酒の蒸気で
噎せてしまった。レギュラスはますます慌てるピーターに、微笑
みかけ、今夜はここに泊まっていくようにと穏やかに話しかけた。


(2015.2.28)

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