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鹿と小鳥 第56話

 ジェームズは、蝋燭のやわらかい黄みがかった光の中、隣で
軽い寝息をたてて眠っているセブルスの横顔を愛しげに見つめ
た。自身の豊かな黒髪に半ば顔を埋もらせて眠っているセブル
スは子どもながらに中高な顔立ちをしていて、長い睫が頬に陰
影を落としていた。薄い唇が微かに開いているのがいじらしくも
可愛らしく感じられる。セブルスはジェームズの身体に触れて
いると安心するらしく、今も小さな手がジェームズの脇腹にのせ
られている。セブルスが闇を怖がらないようにと寝台の中に蝋
燭を灯す習慣は最近では自然と止めていたのだが、ここ数日
セブルスがふとした拍子に不安そうな表情を浮かべるので、
安心して眠りにつけるようにとジェームズが配慮したのだ。
今夜もセブルスは寝台に横になってからもなかなか眠らず、
すぐに目を開いてはジェームズが自分の隣にいるか確認して
いた。ジェームズはセブルスに付き合って他愛もない話をして
みたり、布団の上からセブルスの胸のあたりを拍子をつけて優
しく叩いて根気よく寝かしつけた。華奢な身体をまるめて、ジェ
ームズに密着して眠るセブルスを自分の体温で暖めるのは、
巣で雛を育てる親鳥と同じことだとジェームズは独りごちた。
よく思い返してみれば、数日前にシリウスの屋敷に戻るリーマ
スの見送りに行ってからセブルスは心細そうな様子を見せるよ
うになったようだ。あの場に居合わせたブラック侯爵とはその日
の朝に回廊で出会っていたのだが、人見知りのセブルスはジェ
ームズの後ろに隠れてしまっていた。行儀のよい態度ではない
がセブルスがジェームズの背に隠れていれば安全だと考えてい
るらしいことがジェームズには嬉しくてならなかったものだ。
ブラック侯爵は既にセブルスのことを知っていて、セブルスを
紹介する国王に適切に話を合わせ、セブルスを可愛らしいと
誉めていた。午後のリーマスの見送りで再会した時は、セブ
ルスに直接優しく言葉をかけ、あからさまに緊張した様子の
セブルスから返事がなくても、微笑を浮かべてセブルスを見
つめていた。セブルスの侯爵に対する態度は、かつてのシリ
ウスへの態度と似ているとジェームズは思う。あれは排他的
なところがあるシリウスの態度にセブルスが敏感に反応して
いたことによる緊張状態だった。しかし、侯爵の場合は、シリ
ウスと違って、セブルスに対して冷淡な態度で接したというこ
ともなかったので、セブルスが侯爵を苦手とする理由が見あ
たらず、ジェームズは戸惑いを覚えた。
 リーマスを見送った後、ブラック家の面々とも別れて、厩舎に
セブルスのポニーに会いに行ったのだが、セブルスはまだ緊
張が解けない様子だった。手入れの行き届いたポニーの胴を
撫で、持参した果物の砂糖漬けを与えてからもかなり長い時間、
ポニーの傍を離れたがらなかった。セブルスは首を傾げてポニ
ーの鼻息に聞き入り、気だてのよさが表れている穏やかな眸と
見つめあい、あたたかな身体に触れて飽きることがない様子だ
った。そして、帰りは疲れているのではないかと心配したジェー
ムズが抱いて帰ったが、おとなしくジェームズの胸に顔を寄せて
黙り込んでいた。
「ブラック侯爵が怖かったのかい?国王陛下は別として、貴族
の筆頭の方だから独特の威厳がおありだよね」
 その日の夜、寝台の中で二人きりになった時にジェームズが
尋ねると、セブルスは驚いたように黒い眸を瞠らせはしたが、
首を左右に振って否定した。
「怖くなかった」
「そう?侯爵とお会いした時、セブルスは緊張しているようだっ
たから」
セブルスはまた首を左右に振った。
「それならいいけど。今日はなんだか元気がなかったから、
ちょっと心配していたんだよ。リーマスが帰ってしまって寂しく
なったのかい?」
ジェームズがセブルスの額に口づけると、セブルスは小さな
手をジェームズの首に絡みつけて抱きついてきたので、ジェ
ームズもセブルスの細い腰を抱き寄せ、背を撫でた。
「実はね、僕からみても侯爵は昔から不思議な方なんだよ。
ブラック家は、高貴な、実をいえば今の王家よりも古い家柄
だからかな。あの一族は全員特別なところがあるけれど、
侯爵は特に変わってるんだよ」
「レギュラスに似てる?」ジェームズの胸に耳を当てたまま
セブルスが呟くと、ジェームズは、
「そうだね。雰囲気が似ているね。でもあの一家は全員よく
似ているけどね。そういえば、リーマスの事をずいぶん親身に
気遣われていたんで驚いたよ。雇い人ぐらいに思われてるんじ
ゃないかと僕は思ってたのだけれど違っていたようだね」
と答えた。
侯爵は出発間際、リーマスに人に奉仕しすぎて自分のことを
くれぐれも疎かにしないようにと言い聞かせていた。傍で露骨
に苛立ち、話を遮ろうと試みるシリウスを見やり、
「こういうことはお前が配慮して然るべき事だが」と嘆息して、
ますますシリウスを苛立たせたのでジェームズは内心可笑
しくてならなかったものだ。
リーマスは侯爵の気遣いに感謝の意を伝え、わざわざ見
送りに来てもらったことに恐縮していた。
「いや、宮廷で会えてよかった。もう少しゆっくり話がしたかっ
たのだがね。私はしばらくこちらに滞在するから、また会お
う。妻からの手紙で君の仕事ぶりはよく知っているが、あまり
根を詰めて働きすぎないようにしなさい。医者が病気になっ
てはおかしいからね」
ブラック侯爵は、息子たちとジェームズとセブルスとともに
リーマスたち一行の姿が見えなくなるまで見送った。その後、
ジェームズと気軽に言葉を交わし、息子たちを従えて去って
いったのだった。
 今でもセブルスはジェームズ以外の人間では、乳母やリーマ
ス、ピーター、最近ではブラック兄弟も含まれるが、ごく親しい
間柄の人間以外とは接触を持たないし、むしろ無関心な態
度で通している。国王夫妻に対してはジェームズと乳母に
言い聞かせられ、何かと親切にされてもいるのでセブルス
なりに尊敬の念を抱いているようだ。セブルスが侯爵を怖が
っているとまではいかないが、緊張した様子を見せたのは
かなり異例のことだといえる。シリウスとの関係は時間がか
かったがかなり穏やかな雰囲気に落ち着いたので、侯爵とも
何度も顔を合わせればそのうちセブルスの警戒心も解ける
のかもしれない。しかし、侯爵は一時帰国しているだけなの
でセブルスと親しくなる機会はなさそうだった。そうすると、
気長にセブルスの動揺を宥めていくしかないだろう。ジェーム
ズにはそういうセブルスの神経質な一面も愛おしく思え、自分
に密着して眠っているセブルスの髪を直し、頬にそっと口付け
を落とした。


(2015.1.23)

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