..

鹿と小鳥 第55話

 朝の礼拝を済ませて居所に戻ったジェームズとセブルスはい
つものように用意されていた朝の食事を摂り始めた。今朝の
セブルスは礼拝帰りということで緑の天鵞絨の美しいガウンに、
同じ色のリボンを洗いたての髪に結び、首にはトレードマーク
のPの金文字がついた真珠のネックレスが輝いている。
朝一番の礼拝に参列できた喜びに溢れた乳母がセブルスに湯
気の立っているスープを運んできた。やわらかくなるまで煮た
蕪を丁寧に裏ごしして拵えたポタージュだ。
「さぁ、体が温まりますよ。舌を火傷しないように気をつけて
召し上がれ」
セブルスは既に右手に匙を握って待機していたが、こくりと肯い
てからおもむろに匙をポタージュの中に入れた。すかさずジェー
ムズがポタージュに塩を振ってやり、「胡椒もかけるかい。ピリッ
として体が温まるよ」と尋ねると、首を横に振って断った。セブル
スはゆっくりとポタージュを飲み、ジェームズが食べやすい大き
さにちぎったパンを摘んだ。ジェームズはセブルスの世話をし
ながら、自分もポタージュやハム、チーズを一通り平らげた。
「それにしてもさっきは驚いたねぇ。ブラック侯爵が英国に戻られ
ていたなんて知らなかったよ。セブルスは初めてお会いした
ね」
 蜂蜜を塗ったパンをもぐもぐと咀嚼中だったセブルスは、ジェ
ームズと目を合わせ、こくりと肯いた。ジェームズは林檎の
コンポートをセブルスの木の椀に取り分けてやり、
「今年の氷の祭典は盛大だったからねぇ。あの方は外交官だ
から外国で過ごされることが多いんだよ。シリウスが病気の
時も帰国されなかったくらいだ」
セブルスは林檎のコンポートに匙をつっこんでいるところだっ
たが、手を止めて首を傾げ、
「似てる、似てない」と小さな声で呟いた。
「うん?何だい?」
ジェームズはセブルスに聞き返したが、セブルスは重たげ
な黒髪を小さく振り、頭を傾けて何か考え込んでいる様子だっ
た。
 今朝、礼拝を終えたポッター家の一行が回廊を歩いて居所
に帰る途中、国王の行列に遭遇した。国王も専用礼拝所に
重臣たちと礼拝した帰りで、回廊の端に一列に並んで恭順の
礼をして控えていたポッター家一行を目にすると傍に歩み寄っ
てきた。
「ポッターたちも礼拝の帰りか。おぉ、余の小さな家臣もおる
ではないか。顔を上げよ」
 セブルスがそろりと顔を上げると、国王はすぐ傍まで近づき、
セブルスの白い額に手を当てた。
「怪我をしたと聞いて心配したぞ。跡が残らなかったのは幸
いだった。もう痛くないな?」
ジェームズが王妃特製の湿布を賜った礼を述べると、国王
は鷹揚に手を振って応えた。そして、ふと後ろを振り返り、
「ブラックよ、そなたは初めて会ったのではないのか?余の
宮廷の一番小さな家臣だ。可愛かろう?」と声をかけた。
すると、穏やかだが、よく通る声で返事があった。
「はい。妻から話は聞いておりましたが初めてお会いしまし
た。本当に可愛らしい方ですね。ジェームズ、久しぶりだね」
「侯爵、ご無沙汰しております。ナルシッサの婚礼の折りに
ご挨拶させていただいたきりですね」
 大人たちが挨拶している間にセブルスはそろそろと後ずさ
りジェームズの後ろにそっと隠れてからこっそりブラック侯爵
を見あげた。以前、レギュラスに聞いた通り、ブラック侯爵は
驚くほどシリウスとレギュラスの兄弟に似ていた。豊かな黒
髪には白いものが混じり、目にも年相応の皺が刻まれはし
ているが、それは衰えではなく美貌に風格を与えている。
隣で憮然とした表情で立っているシリウスと比べると、ブラ
ック侯爵には年を重ねた男の熟成された知力というものが
備わっていた。ジェームズの背に隠れて、ブラック侯爵をひそ
かに観察していたセブルスは、シリウスの横に並んでいる
レギュラスの親しみのこもった視線に気づいて、自分も見つ
め返して応えた。その時、侯爵の息子たちと同じ灰色の眸
がセブルスを見つめていることに気づいたのだ。無遠慮さや
悪意とは無縁の優雅な眼差しだったが、ブラック侯爵はセブ
ルスの姿を真摯に見つめていた。元々人見知りなセブル
スはすぐにブラック侯爵の眼差しを避けてジェームズと乳母
を楯にすべくさらに後ずさって侯爵の視界から消えたが、小
さな胸はしばらく早鐘を打っていた。
 午前中は、ジェームズは仕事に出かけ、セブルスは普段と
同じように乳母の傍で習字をしたり、書物を読んだり、マルチ
ーズたちを構って少し遊んでやったりして過ごした。昼食にジ
ェームズが戻り、その後予定通りシリウスの屋敷に戻る
リーマスの見送りに居所を出た。ジェームズはセブルスに新
しいガウンに着替えるように説得したが、本人に厭がられ、
乳母にも必要がないと難色を示されたので仕方なく諦める
ことになったので少しがっかりしていた。それでも寒いから
という理由をつけて狐の毛皮で縁取られた深緑の肩掛けを
セブルスの華奢な肩に着せかけてせめてもの慰めにしたの
だった。セブルスは帰りに自分のポニーにも会うつもりで、
ポニーに食べさせようと果物の砂糖漬けをハンカチーフに包
んでポシェットに仕舞いこみ、ジェームズと手を繋いでとこと
こと歩いていた。相変わらず痩せて小柄だが、シリウスに贈
られたブーツを履くようになり、乳母が豪華なガウンを二枚重
ねて自慢するようなジェームズの悪趣味を諫めて止めさせた
ので身軽に動けるようになったのだ。薄着だと風邪を引くかも
しれないとジェームズは主張したが、乳母は馬鹿馬鹿しい
と一蹴して、セブルスに自分が編んだ毛糸のぶ厚いつなぎ
の下着を着せた。ジェームズはまるで農民の男の子みたい
だとひどく嘆いているが、セブルスはとても暖かいので気に
入っていて春になるまで着ようと思っていた。
 ジェームズとセブルスが厩舎の傍までくると、既にブラック
侯爵家の馬車が停まっていた。従者たちが荷を積み込み、
出発を待っている。ジェームズとセブルスに気づいたレギュ
ラスが近づいてきて、
「もうじき出発します。兄さんがリーマスにいろいろ持たせて帰らせたがって荷物が増えてしまって。後から送ればいいのに」
と少し呆れた声でそう説明してから、セブルスにやわらかく
微笑み、狐の毛皮付きの深緑の肩掛けがとても似合ってい
ると誉めた。セブルスは少し困惑した表情でレギュラスの
賞賛を受け、目でリーマスを探した。
「やぁ、セブルス。来てくれたんだね」
医療道具の入った箱を抱えたリーマスがやってきた。ピータ
ーも両手に荷物を提げ、小太りの短い足でせわしなく馬車の
周りを歩きまわった。
「何をいっているんだよ!このセブルスのためにきみにわざわ
ざ来てもらったんじゃないか。本当に本当にありがとう!」
ジェームズは熱く語り、友の肩を抱き礼を述べた。
「いや、僕は何もしていないよ。こちらこそ氷の祭典を見物で
きたし、楽しかった。おかげでピーターを喜ばせることがで
きたしね」リーマスはいつものように穏やかに話した。ジェーム
ズに促されたセブルスがリーマスに「ありがとう」と感謝の言葉
を言うと微笑んで、
「僕は何もしていないよ。また会おうね。手紙はいつでも送って
おいでね。楽しみに待っているから」と優しく声をかけた。セブ
ルスがこくりと頷くと、小さな頭を撫でてくれた。
「おや、またお会いしたね、可愛い人」
セブルスはいきなり声をかけられたので気が動転し、その場に
固まり立ちすくんだ。
「父上がリーマスの見送りにくる必要なんてないでしょう」
明らかに不機嫌になっているシリウスが棘のある口調で父親
に話しかけた。
「リーマスは我が家で支援してきたのだ。私は貴族のリーマ
スが医師になることに賛成ではなかったがね。しかし、援助
を惜しんだことはない。リーマスを自分勝手に独占している
のはお前だろう。困ったものだ」
穏やかな口調だが、ブラック侯爵の言葉には息子を黙らせる
威力が備わっていた。セブルスはそろりと顔を上げて、ブラック
侯爵を見た。優雅な灰色の眸もまた小さなセブルスを見つめて
いた。

(2014.12.24)

inserted by FC2 system