鹿と小鳥 第53話

 夏に流行病の感染を恐れたジェームズがセブルスを連れてポッ
ター家の領地へと避難した時、乳母はジェームズの頼みで不幸に
も感染したポッター家の召使いに付き添い、倫敦のポッター家の
屋敷に戻ったのだが、屋敷にも既に病人は出ていた。医者が呼
ばれ、乳母も直ちに看護にあたった。乳母はかつて自分の子を幼く
して亡くしており、だからこそジェームズに引き取られてきた当初
の、虐待されていたことでひどく衰弱していたセブルスを親身にな
って世話をした。その事でジェームズの信頼を得て乳母になった
のだが、ずっと人の世話をすることを自分の慰めとして生きてきた
人だった。だから病を恐れることなく、献身的に看護にあたり、幾人
かの命を回復する手助けをし、幾人かの最期を看取った。子を亡く
した経験は乳母を篤い信仰に導きもしていたので、病は乳母にとり
憑くことができなかったようだった。別れ際にセブルスから渡された
病に効くという薬草を半信半疑で煎じて病人に飲ませてみると、症
状が軽くなる者が多かったことは乳母を驚かせたものだ。セブルス
はダンブルドア大司教と修道院で面会し、薬草園を見学させても
らってからというもの薬草に興味を持ち、熱心に自分で取り寄せた
花や葉を乾燥させては分類して保存していたのだが、乳母は可愛
らしいままごと遊びのようなものだと思いこんでいた。今回、セブ
ルスは病の流行の兆しが見え始めた時、すぐにダンブルドアに手
紙を送って効果のある薬草を教えてもらい、ジェームズに頼んで
かなりの量の薬草を確保していたのだ。乳母は薬草を煎じながら、
遠く離れた地にいるセブルスの無事を祈った。慎重に病の流行の
終焉を見極めていたらしいジェームズがセブルスを伴い、倫敦に
戻ってきたのは秋のことだ。ブラック侯爵家の次男レギュラスも一
緒で、シリウスと同じく美男で知られるレギュラスの訪問に屋敷
中の女たちが色めきたったが、迎えに出た乳母はレギュラスに
恭しく手をとられて馬車から降り立った小さなセブルスの姿に目
を奪われた。暖かそうな緋色の旅行用マントを羽織ったセブルス
はまるで小鳥のようだった。田舎の空気が子どもを健康にしたの
か、顔色がとてもよくなり、溌剌とした足取りで歩いている。セブ
ルスは出迎えの人間の中から乳母の姿を認めるとまっすぐに駆け
寄ってきた。その事に乳母は驚き、胸が痛くなるほど嬉しくなった。
セブルスはジェームズに保護される前、かなり過酷な扱いを受け
ていたらしく、ジェームズ以外の人間には心を閉ざし、話もできな
いほどだったのだ。宮廷で別れる時も、一見淡々とした様子だっ
た。乳母がセブルスを抱きしめ、再会の喜びを口にすると、セブル
スはこくりと頷いて同意した。それからは別離の空白などなかった
かのようにポッター邸で乳母はセブルスの世話をして過ごした。
ジェームズは相変わらずセブルスを溺愛していて、早速衣装屋を
呼ぶとセブルスの宮廷用のガウンを金に糸目をつけず何枚も誂え
出した。レギュラスはジェームズに意見を求められて相談に乗った
り、セブルスの遊び相手を務めていた。物静かで優美なレギュラス
はセブルスと波長が合うらしく、一見大人と子どもの不思議な組み
合わせにも関わらず、穏やかに親睦を深めていた。セブルスの断
片的な話によると、ポッターの領地での暮らしはとても楽しいもの
だったらしい。ことにブラック兄弟に、リーマス医師、従者のピータ
ーが訪ねてきてからは、毎日が充実していたようだ。セブルスの
たどたどしい話の中に病気という単語が出てきて乳母を心配させた
が、皆一応は無事だったらしかった。驚いたことにセブルスは乗馬
を習い覚えたということで、ポニーも倫敦に連れてこられていた。
セブルスがポニーとブーツをシリウスがくれたのだと説明したが、
乳母にはその経緯と動機がまるでわからなかった。しかし、セブル
スが活発になったのは、シリウスが贈ったブーツのおかげである
ことは理解できた。
 乳母はセブルスはもう大丈夫だと確信した。周囲から可愛がられ
て元気に成長していくに違いないと。セブルスは自分が心配しなけ
ればいけないような可哀想な子ではなくなったのだ。
ジェームズに女子修道院に入りたいと申し出たのは、その確信を
得たことで決心がついたのだが、ここ数年考えていたことでもあっ
た。セブルスがポッター家に来なければ既に出家していたかもしれ
ない。そして、この夏の流行病で若者が命を落とす世の無常を目
の当たりにして乳母は神に仕えて心の平安を得る時がきたので
はないかと考えたのだった。乳母の篤い信仰心をよく知っている
ジェームズは理解を示したが、もちろん慰留した。
「気持ちはわかったけれどもう少し時間をかけて決めた方がいい。
秋は人を寂しくさせるものだから、春になっても気が変わってい
なければその時に話をしようよ。君が女子修道院に入ってしま
ったらセブルスとも滅多に会えなくなるだろう。あの子が寂しが
るよ」
「セブルス様には伯爵がついていらっしゃるのですから何の心配
もございますまい。あの小さな方とお別れすると思うと私も切ない
気持ちで胸が一杯になりますけれど」
「ほらほら、やっぱり気持ちが揺れているね。ここで暫く考えたら
いいよ。僕たちは宮廷に行くけれど、また戻ってくるしね。僕はこ
れからはここと宮廷を頻繁に行き来しようかと考えているんだよ。
セブルスの教育と健康のためにね」
 ジェームズはそう言って、乳母にこの館をセブルスが暮らしや
すいように整えてほしいと頼んだ。庭にセブルス用の薬草園を作
る計画は乳母も聞いていて、庭師がセブルスが決めた場所を耕
しはじめている。
セブルスは乳母が宮廷に一緒に来ないと聞いて、眉をしかめて訝
った。それでもジェームズに連れられておとなしく宮廷に出発して
いったので、また離れて暮らしているうちに自然と疎遠になるだろ
うと乳母は思いながら見送ったのだ。しかし、セブルスが怪我をし
たという知らせに乳母が宮廷に駆けつけると、セブルスは当然の
ように乳母に世話をしてもらいたがった。毎日、ずっとそうしてきた
かのように。ジェームズもセブルスが怪我をした衝撃で心配のあま
り過剰に興奮したり、落ち込んだりと感情が不安定になっていた
ので何かと乳母を頼りにしたので、尚のこと乳母は宮廷を離れられ
なくなってしまった。
「セブルスのこと、君になら任せられるよ。あの子のことを心から愛
してくれてるだろう?」
 二人で眠っているセブルスの髪や身体を熱い湯に浸して固く絞っ
た布で拭きながら、ジェームズはしみじみとした口調で呟いた。
「この子を引き取った時も、こんな風に一緒に看病したね。もうずい
ぶん昔のことのように思える。今の僕はセブルスのいない生活なん
て考えられない。セブルスは僕のすべてなんだ」

(2014.10.25)

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