鹿と小鳥 第51話

 刻々と夜が更けていく中、シリウス・ブラックの居所ではブラック
兄弟が浮かない表情で暖炉の傍の椅子に座っていた。シリウスは
召使いたちに始終暖炉の火をもっと熾すようにと言いつけたり、
夜食をすぐに出せるようにしておくようにと命じ、弟のレギュラスは
黙りこんで廊下から靴音が聞こえてこないか耳を澄ませていた。
「やっぱり向こうに様子を見に行ってみるか」
 シリウスがレギュラスにそう提案するのは既に五回目だ。
「いいえ、リーマスが戻るのを待ちましょう。宮廷の侍医が先に診
察したと聞きましたし、大事ない筈ですよ」
レギュラスはいつものように落ち着いた口調で兄を諭したが、表情
は暗く不安そうだった。
「氷の祭典で事故に遭ったのならわかるが、自分の部屋で怪我を
するなんて一体何があったんだ。病気じゃないのか?」
 シリウスが不審そうに呟くと、レギュラスも困惑した表情で頷い
た。
「診察は宮廷の侍医で間に合うが、セブルスはずっとリーマスが診
てきたからな。リーマスに診察が終わったら、こちらに来るように
使いを出しておいたからじきに戻ってくるだろう」
シリウスは先ほどから同じことを繰り返し話していて、レギュラスも
同じように頷いていた。今日、いつものように兄弟揃って氷の祭典
から引き上げてきて、シリウスの居所で熱いエールを飲んでいる
ところに、シリウスの屋敷から連絡がきたのだ。
「セブルス様が怪我をしたのでポッター伯の要請でルーピン医師は
急ぎ宮廷に向かっている」との知らせに兄弟は驚愕し、すぐにポッ
ター家の居所に駆けつけようとしたが、連絡してきた召使いに止
められた。セブルスの治療を最優先にしたいというジェームズの
意向で面会謝絶になっているということだった。それから、一度
様子を探るべく使いを出したが、兄弟は部屋でリーマスが来るの
をやきもきしながらずっと待っているのだった。
 シリウスの従者が急ぎ足で部屋に入ってくると、まもなくリーマ
スが部屋に着くと報告した。兄弟は目配せし合うと、素早く部屋の
状態を確認し、主人たちの気配を察して召使いたちは扉の前で
リーマスを出迎えるべく並んで立った。重厚な樫の扉が開かれ、
リーマスはピーターを連れて部屋に入ってきたが、物々しい出
迎えに驚いた表情になった。
「レディの容態は?」
 レギュラスの短い問いに、リーマスは優しく微笑むと、
「大丈夫。大した怪我じゃなかったよ。僕が行った時にはもう治療
もすんでいた」と説明した。
「まずは暖炉の傍であたたかいスープでも飲めよ。何も食べてい
ないんだろう。おい、ピーター、大丈夫か?」
 シリウスが、リーマスの傍に立っているピーターが顔面蒼白に
なって足を震わせているのに気づいて声をかけた。
「ピーターは瀉血の血を見てしまってかわいそうに気分が悪くなっ
てしまったんだ。どこか椅子に座らせてやってくれないかな」
リーマスの説明に、レギュラスは驚いて常になく叫ぶような声
を出した。
「瀉血ですって!レディはご無事なのですか?」
「セブルスは大丈夫だよ。瀉血をしたのはジェームズなんだ。
興奮しすぎていたからね。放熱の必要があって少し血を抜い
たんだよ」
 レギュラスは安堵の溜息をついたが、シリウスは大袈裟に騒
いでいるジェームズが脳裏に浮かび嘆息した。
「ピーター、お前も一緒に暖炉の傍の椅子で休め。誰か、葡萄酒
は色が血みたいだな、熱くしたシードルを持ってきてやれ。それ
から食事の支度をしてくれ。俺とレギュラスも一緒に食べる。安
心したら腹が減った」
召使いたちに号令をかけてからシリウスは恐縮するピーターの
肩を軽く叩き、自ら食卓まで連れて行ってやった。
「ジェームズから早馬でセブルスが怪我をしたと知らせが来て
すぐにピーターと一緒に宮廷に向かったのだけれどね。ポッター
の居所に着くと、もう宮廷の侍医の治療は終わっていたんだよ」
 リーマスはシリウスが蜂蜜を注いで甘くした熱いシードルを啜
りながら話した。
「セブルスの怪我の具合はどうなんだ。そもそもどうして怪我し
たんだよ。ジェームズがいつでも過保護にしてるってのに」
「部屋の中で転んだそうだよ。何でも歩いていたセブルスの前
を横切ってきたマルチーズに足を引っかけてつまづいてしまっ
たそうだ」
「それだけなのか?」シリウスが半ば安心、半ば呆れながらそ
う言うと、リーマスは苦笑した。
「いや、とっさのことでセブルスは思い切り顔を床に打ちつけて
しまったんだよ」
「あの子はいつもふらふらした歩き方をしているからな。運動神
経が鈍いんだよ。あの犬たちもまるっきり躾られてないから平気
で飼い主の前を横切るんだ」
大したことではなかったことに気が抜けたシリウスがぶつぶつ
文句を言い出すのを遮るようにしてレギュラスが、
「顔を打ったってどういうことですか?まさか傷が?」と、真剣
な表情でリーマスに訊ねた。
「一番目立っていたのはおでこのたんこぶだね。かなり腫れて
色が変わっていて痛々しかった。でも、数日で治ると思う。後
は鼻を少し擦りむいていた。これもすぐに治るよ。あと犬をひっ
かけた方の足を挫いてしまったのだけど湿布をしてしばらくお
となしくしていれば問題ない。幸いにも骨も歯も無事だった」
 リーマスがポッター家の居所に到着すると今か今かと待ち構
えていたジェームズがセブルスが怪我をした時の状況や、宮廷
の医師の治療についてひどく興奮してまくしたてた。ジェームズ
によると侍医はセブルスのたんこぶに蛭に血を吸わせる治療を
施し、足に特製湿布を貼っていったという。リーマスは話を聞き
ながら、暖炉の傍の寝椅子に横になっているセブルスに近づい
た。セブルスは自分の腹の上でマルチーズを一匹抱えてうとうと
と微睡んでいたが、ジェームズの大声に目を覚ますとすぐにリー
マスに気づいた。身体を起こそうとするセブルスを制止し、リーマ
スはセブルスの傍に膝をつき、優しく微笑みかけた。
「大変だったね。気分はどう?頭痛や吐き気はしないかい?」
 セブルスは首を横に振った。リーマスはセブルスの額に巻かれ
た包帯を解くと瘤の様子をよく調べてから、足首も触ってみたり、
少し動かしてみながらセブルスにいくつか質問した。セブルスは
落ち着いた態度でリーマスの質問に答えたが、一通り診察が
終わるとリーマスにマルチーズを差し出し、
「前足」と訴えた。セブルスの言葉にリーマスがマルチーズを観
察して見ると確かに前足が不自然にぶらぶらしている。どうやら
セブルスがこの犬に躓いた時に犬の前足の関節がはずれてし
まったらしい。動物の医者ではないリーマスは内心困惑したが
セブルスから犬を受け取り、ピーターにぐったりしている犬を抱え
させて、勘で犬の脱臼を元に戻した。セブルスは深刻な表情で
その様子を見つめていたが、床にそっと降ろしたマルチーズが
何事もなかったように歩きだし、他の二匹と合流したので、ほっ
と溜息をつき、リーマスとピーターに感謝の視線を送ってきたの
だった。
「吸蛭治療は、俺も槍試合で怪我をした時に受けたことがある。
傷口に何匹も蛭をくっつけられて気味が悪かった。俺の血を吸
って蛭がまるまる太っていくのが嫌だったな。おい、ちびはそ
んなに悪かったのか?」
シリウスの話に、やっと気を落ち着けて兎肉のシチューを食べ
ていたピーターが表情を強ばらせた。
「あんなに可愛らしい、華奢な方がそんな恐ろしい目に遭うなん
て!」
 レギュラスも常になくショックを隠せない様子で嘆いた。
「いや、この場合、吸蛭治療自体は間違った治療法ではないよ。
しなくても自然に治ったと思うけどね。セブルスはこの治療法に
ついて僕にいくつも質問してきたよ。そうだ、蛭に吸われた痕が
痒いって言ってたな」
 リーマスはおでこにたんこぶを拵えたセブルスに質問責めに
されたことを思いだして楽しそうに笑った。侍医も最高の治療を
と強く迫るジェームズに半ば押し切られる形でこの治療を行った
らしい。自分が希望した治療に衝撃を受けたジェームズは心配
が高じてリーマスが到着したときには錯乱寸前の有様だったの
で、リーマスは落ち着かせるために瀉血を施したのだ。血を抜か
れて大人しくなったジェームズを心配そうに見つめるセブルスに、
明日には回復するからなるべく安静にしているように、必ず沸か
した飲み物をこまめに与えるようにと教え、ジェームズの血を見
て卒倒しかけていたピーターを抱えてリーマスはポッター家の
居所を後にした。帰り際にセブルスに明日も来てくれるのかと
訊かれたので、必ず来ると約束したのだった。
「それじゃ、しばらくこちらにいるんだな?」
「うん、そうさせてもらうよ。あまり長くもいられないんだけどね」
「俺たちも見舞いに行ってもいいし、ジェームズがセブルスの
たんこぶを見せたくないのなら何か見舞いの品を届けさせよう」
リーマスが宮廷に滞在することになったので露骨に機嫌がよく
なったシリウスが陽気な表情で明日の予定を提案した。 

(2014.8.31)

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