鹿と小鳥 第50話

 凍てついた夜道をシリウス・ブラックとジェームズ・ポッターを乗せた
馬車は慎重に王宮へと向かっている。シリウスとジェームズは厚い
マントを着込んで並んで座り、仲良く一枚の毛皮つきの毛布で両者
の足を覆って寒さを凌いでいたが、外で馬車を運転している御者と
灯り持ちの従者はおそらく顔が凍りつきそうになっていることだろう。
「やっぱり夜はかなり冷えるね」
ジェームズがミトンをはめた手で血色の良い頬を擦りながらシリウ
スに話しかけると、
「だいぶ時間が遅いからな」
と、幾分気だるい声で返事があった。
「朝早い時間だと凍死体がごろごろ転がっていたり、寒さで木が裂
けて倒れていたりするらしいぞ。昼に宮殿から人がやってくる時間
までに片づけているそうだが」シリウスは生まれながらに完璧な形
をしている眉をひそめた。
「そうらしいね。うちはセブルスが死体を見ないようにいつも少し遅
めに出発することにしているよ。日が昇りきってないうちに外に出
て風邪を引かせてもいけないしね」
相変わらずのジェームズの過保護ぶりにシリウスは苦笑したが、氷
の祭典を楽しんでいる者など実はほんの僅かな恵まれた人々にす
ぎないのも事実だ。
「おや、オレンジの花の香りがする」
シリウスがこれも完璧な造形の鼻をわざとらしくひくひくうごめかせ
ると、
「きみからは麝香の香りがするよ。好みがかわったのかい?」
と、ジェームズも応酬し、お互いの首筋に顔を寄せ合ってから視線
を絡ませて声を出して笑った。
「今夜の牛攻めは凄かった。昨夜の熊苛め以上だった」と、シリウ
スが話を振れば、すかさずジェームズも、
「陛下も立ち上がって叫んでいらしたな。牛をけしかけるあの犬た
ちの獰猛さときたら、こっちまで興奮させられたね」と答える。
「きみの女は雌牛のように激しかったのかい。目の下に隈がでて
るよ」
「おまえこそ、牡牛のように女を組み敷いたんだろう。鼻息が荒い
ぞ」
ジェームズとシリウスはお互いに揶揄して肩をぶつけ合った。 
 牛攻め観戦を堪能した二人は興奮が収まらない勢いでどちらが
言い出すともなく娼館に行くことにした。入り口で御者と従者にそ
れぞれに二人から小遣いを与えたので、二人ももう少し格が落ち
る類似の店か、酒を出す店に連れだって休憩に出かけた。店に
入るとジェームズとシリウスは愛想の良い笑顔を浮かべた主人
の挨拶を受けた。この店は元々二人が贔屓にして遊んでいた
店で、仮装パーティーを開いて愉快に騒いだことも幾度かあり、
金払いがよく、本人たちも魅力的な貴族の若者ということで
主人と娼婦たちから歓迎されていた。
「さっき従者にも言った通り僕は泊まっていかないけど、きみ
はどうする?」
主人が運んできた葡萄酒を飲みながら、ジェームズがシリウス
に確認した。
「俺も帰るよ。明朝、陛下のミサにレギュラスと出席することに
なっているから」
同じく葡萄酒の注がれたゴブレットを軽く揺らしてシリウスは明日
の予定を口にした。
ジェームズがシリウスとこのような場所に来るのはセブルスを引
き取って以来初めてのことだった。宮廷でも、時々、数時間姿
が見えなくなることがあるので、何処かで誰かと性的な処理を
しているのだろうとシリウスは見当をつけていたが、それは
至極当然の話だ。ジェームズはセブルスを呆れるほど溺愛し
ていて寝所まで同じくしているが、セブルスはまだ子どもだ。
一時、二人の性的な関係をひそかに疑ったことがあったが、
夏にポッター家の領地で一つ屋根の下で暮らし、乗馬を教え
るなどしてセブルスと直に接してみることでその疑いは完全
に晴れた。セブルスはシリウスの見たところ、かなり変わっ
ているし、可愛いとも美しいとも思えないが、子どもであるこ
とは確かで、まだ女ではない。会うごとに少しずつ変わった
印象を受けるのは成長している証だろう。シリウス自身も
大病を患って以来、宮廷の恋愛遊戯にほとんど興味がなく
なっている。奇跡のようにリーマスとの関係が深く穏やか
なものになったからだ。シリウスは性的欲求の解放以外の
目的では女性と関係を結ぶ理由が見あたらないことに最近
気づいたのだった。今夜のように闘いで流された血を見て
興奮している今、リーマスが傍にいないのだから仕方ない。
しかし、自分はリーマスの身体に興奮をぶつけたくはない。
大切に慈しみたい。だから、傍にいなくてよかったのかも
しれない。リーマス本人が知ったら、怒るだろうか。それとも
呆れてしまうだろうか。それでも許してくれるに違いない。
リーマスはシリウスのことを自分勝手な王子様か何かだと
思っているのだ。シリウスがそんなことを考えている間に、
ジェームズは相手の品定めを済ませて立ち上がった。栗色
の髪をしている長身の健康的な娘だ。
「それじゃ後でね。きみも早く決めなよ。遅くなったら置いて
帰るよ」
栗色の髪の娘に連れられて足早に部屋を出て二階に向かう
ジェームズをシリウスは苦笑を浮かべて見送ってから、主人
に誰がお勧めか尋ねてみた。心得た風の主人が、漆黒の髪
と瞳の美女を手招いてシリウスの前に立たせた。シリウスは
従姉のベラトリックスに少し顔立ちが似ているような気がした
が、美人というと親戚の誰かに似ているというのも困ったも
のだ。
「若様、この娘は如何でしょう。たいそうな人気がある娘です
が、お客を選ぶのでございますよ」
主人がそう紹介しても娘は英国有数の大貴族の子息である
シリウスに気後れした様子もなく、シリウスを見つめた。
「ほう、俺はどうだ。気に入ったか?」
「見た目は。美しいから」娘は悪びれることなく答えた。
「そうか、聞き飽きた答えだが会話を楽しむ時間がないから
ちょうどいい。俺もお前の顔が気に入った。この娘にする」
最後の言葉は主人に言い放つと、憮然としている娘に構わ
ずに部屋を出た。階段を上っていると背後から足音が聞こ
えてきた。
「私がご案内します。どの部屋かご存じないでしょ」
娘はシリウスを追い越すと、上の段に立って振り返った。
「声が聞こえてこない部屋ならいいんじゃないのか」
シリウスの言葉に、黒髪の娘は紅い唇から綺麗な歯を見
せて笑った。妖艶だが、陰がある美貌だ。
「案内してくれ。時間がない」
「無粋な人ね」と言いながらも娘は白い手を差し伸べた。
「しばらく我慢しろ」シリウスが娘の手を掴むと、娘は先に
立ち、廊下を歩きだした。ふと、シリウスは、昔リーマスに
娼婦の性病と妊娠について注意を受けたことを思い出した。
「おまえは娼婦のことなんか何も知らないだろう。あぁ医者
として診たことがあるのか?」とシリウスがうそぶくと、
「いや、彼女たちは産婆の管轄だよ」と真面目に答えられた
のだ。気がつくと、扉の前で娼婦が怪訝そうにシリウスを見
上げていた。
「急ぐんじゃないの?」
「あぁ、そうだ。早く中に入れてくれ。手っ取り早く済ませよう」
館の何処かで先に事を始めているジェームズに追いつかなけ
れば置いて帰られると思いながら、シリウスは室内に足を踏
み入れた。

(2014年7月31日)

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