鹿と小鳥 第5話

 宮殿の回廊をシリウスとジェームズは連れだって歩いていた。二人の
若々しく華やかな雰囲気に行き交う人の目が自然に向けられていたが、
本人たちはそれと知りつつも特に気に留める風でもなく馬鹿な話をしては
笑い合っている。
これまでなら、馬を走らせて宮殿の外に食事をしに出かけることも珍しくは
なかったのだが、ジェームズが宮廷に復帰して以降、その類の外出は
一切なくなった。ジェームズが自分の所用以外の時間は居室で過ごして
いるためだ。シリウスは親友の変化に大いに戸惑っていたが、表面上は
特に何も言わなかった。否、忠告や諫言しなければならないことは何も
なく、それがシリウスの胸の凝りとなっていることにシリウス自身は気づい
ていなかった。
 一際華やかな一団が目に入ったので、シリウスとジェームズは、その
場で恭しくお辞儀をした。王妃と侍女たちが礼拝から戻ってきたところ
らしい。見れば、乳母に抱かれたセブルスがいる。今日は深い緑色の
ガウンに銀糸の刺繍が施されたグレーのペチコートを身につけている。
髪は相変わらず結わずにふわりとおろし、髪飾りにはフランス風に宝石
をあしらってあった。シリウスはジェームズの一風変わった、しかし洗練
された趣味に内心舌を巻いたが、着飾らされている当人からは何の感
情も読み取れず相変わらず気味が悪かった。

「まぁ、貴方たちももっと信仰を深くしなければいけませんよ。こんなに
幼い者もきちんと礼拝に通っているのですから」

王妃が優しい口調で窘めると、若者たちは膝を折り、王妃の手の甲に
口づけて詫びの言葉を述べ、明日の朝の礼拝には必ず参列すると誓っ
た。王妃は肯くと、乳母に抱かれたセブルスの額に口づけて祝福を与え
た。去っていく王妃一行を見送り、ジェームズの居室に皆で向かう。
シリウスは、先程の王妃の会話からジェームズがどこかから拾ってきた
子どもが何の違和感もなく宮廷で過ごしている事実に改めて驚いていた。
宮廷では日に七回礼拝が行われ、誰でも日に二回は都合をつけて出席
することになっているが、信心深いセブルスの乳母は毎日四、五回必ず
参列して熱心に祈りを捧げていた。

「まさか、宮廷に参ってこれほど敬虔な生活を送らせていただくことが
できましょうとは思いも寄らないことでございました」

 乳母は、といっても実際は身の回りの世話をする侍女だが、そう言っ
て宮廷での生活をジェームズに感謝していた。
 ジェームズは乳母の信仰の深さを尊重して好きな時間に礼拝すること
を許していたが、自分がいないときにはセブルスを一人にしないようにと
言いつけていた。それで乳母は、セブルスを大切に抱いて礼拝所まで
連れていくのだった。もちろん、ジェームズ自身が礼拝する時には必ず
セブルスを伴っている。そういうわけで、セブルスが人前に姿を見せる時
は礼拝の行き帰りであったので、ごく自然に信仰心の篤さが人々の目に
印象づけられた。歩くこともおぼつかないほど身体が弱い子どもが、大人
に抱えられて礼拝に通う姿に悪意を抱く者はいなかった。
実際のところ、王の寵姫になる可能性がないというのも好意的に受け入
れられる要因かもしれなかった。ジェームズ・ポッターが後見をしている
子どもは信仰心のヴェールを纏っていた。実際、乳母と礼拝に赴いた姿
が王妃の目に止まり、王妃のミサの末席につくことを許されたのだった。
同じ修道院で学んだシリウスは、ジェームズの信仰心が深くないことを
当然知っていたが、ジェームズはこの新しい習慣をまるで昔からそうだっ
たかのような態度で過ごしていた。

 ジェームズの居室に戻ると、真っ白な塊が飛び出してきた。聞けば、
国王からマルチーズを三頭賜ったのだという。今日のように、廊下でセブ
ルスが王妃に祝福されているところに偶然国王が通り合わせ、王妃と
ジェームズから話を聞いた国王が後で犬を届けてきたのだという。国王は
愛犬家で知られるが、犬が部屋にいれば病弱な子の慰めになるだろうと
いう心遣いから贈られたということだった。
国王は偉大だったが、同時に気難しい人柄でも知られているので、今回
のような配慮がなされることは珍しかった。

 変化はそれだけではなかった。これまで滅多なことがなければ、宮廷
に来なかったリーマスが、頻繁に宮廷に来るようになった。
ジェームズがセブルスの健康を気にして、しょっちゅう問い合わせの手紙
を送るので、ジェームズの居室に出向いてはセブルスを診察するという
よりは、ジェームズの相談相手になっているらしかった。
 それも理由の一つだろうが、ジェームズの居室の暖炉の上で温められ
ている菓子パンや野菜スープ、蜂蜜入りの温めたミルク、杏の砂糖漬け、
味付葡萄酒などの子どものためにいつでも用意されている軽い食事を
相伴することが目当てのような気がシリウスはしていた。ジェームズの
居室で一緒に食事をすると、平常よりずっとリーマスの食が進んでいる
ことにシリウスは気づいていた。シリウスの邸で出される食事にリーマス
が文句を言ったことなどただの一度もない。リーマスが好みを伝えてくれ
れば、料理人に作らせる。食事に限らず、リーマスが生活の不満を述べ
ることは一切ない。折に触れ、リーマスはシリウスに感謝の言葉をくれる。
しかし、シリウスがリーマスに与えているものは、リーマス自身が欲して
いるものではない。その事実が、いつでもシリウスを苛立たせていた。
 今日もジェームズのところにくればリーマスがいるような気がしていた
のだが、乳母の話では礼拝の前にセブルスを診察して、用事があると
言ってシリウスの邸に戻ったということだった。
セブルスを膝に乗せたジェームズと葡萄酒を飲んだが、味がよくわから
なかった。マルチーズたちが縺れ転がりながらテーブルの周りを走り
回っているのも落ち着かない要因だった。シリウスは猟犬が好きで、
どんなに高価でも愛玩犬は嫌いだった。
セブルスは最近、シードル(林檎酒)が好きになったなどとどうでもいい
情報を披露するジェームズに適当に相槌を打っていたが、ジェームズの
召使いをシリウスの居室に使いを出し、邸に戻る船を用意させることに
した。夕食をここで食べていけばいいとジェームズは言ったが、セブ
ルスが鶉を好もうが、猪肉を嫌おうがシリウスには興味がないし、今は
無性にリーマスの顔が見たくて仕方なかった。

(2011.7.29) 
 
 
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