鹿と小鳥 第4話

 テーブルの上には、温めたエールと葡萄酒、今朝焼かれたパンとケー
キ、新鮮なチーズ、塩漬けや燻製の肉、砂糖漬けの果物などが並べられ
ている。暖炉に掛けられたシチューポットからは、香辛料と煮た野菜の混
然となった美味しそうな香りが漂っていた。

「再会に乾杯」

 宮殿のジェームズの居室で、ジェームズ、シリウスとリーマスは葡萄酒
の入ったゴブレットを持ち上げた。
 ジェームズの膝の上でセブルスは眠たそうだったが、寝室に連れて行
かれるのを嫌がって、すぐ閉じかける瞼をなんとか上げておこうとだんだ
ん重くなる瞼と戦っていた。
リーマスはジェームズから前もって宮廷に到着した日にセブルスの健康
状態を診察して欲しいと頼まれていたので、シリウスとともにジェームズの
居室に出向いたのだった。

 ジェームズの居室は、先行して届いた家具や、絨毯、タペストリーによっ
て大がかりな模様替えがされていた。壁に張り巡らされたタペストリーに、
暖かそうな絨毯の上に毛皮やベルベッドのクッションが幾つも無造作に
置かれ、何とも愉しげで居心地のよい設えだった。暖炉も調理のできる
大型のものに替えられている。他に寝室と使用人専用の部屋もあるが
そこも模様替えがされているはずだ。リーマスはジェームズの居室には
数えるほどしか訪ねたことがなかったが、頻繁に入り浸っていたシリウス
はその変わりように目を見張っていた。
 変わったのは部屋ばかりではなかった。シリウスとリーマスが先に部屋
で待っていたところに、ジェームズ一行が到着した。ジェームズの腕に抱
かれて部屋に入ってきたセブルスは素晴らしい白貂のケープに包まれ、
病気で死にかけていた時の面影はどこにもなかった。
早速リーマスが診察したが、ロンドンのジェームズの屋敷で診た時に比
べ、頬に赤みがでていくらか顎のラインがやわらかくなり、髪も艶やかだっ
た。澄んだ瞳は栄養状態がよい証拠だ。
子供用の服を着ていてもまだおかしくない年頃だが、ジェームズは大人と
同じガウンを着せることにしたようだ。緋色のベルベッドのガウンの胸飾
り、袖、裾は真珠で縁取られている。ガウンと同じ緋色のフランス風のヘ
ッドドレスをつけているがベールはつけず黒い髪を肩におろしているところ
だけは幼く、その豪華なガウンとのアンバランスさがセブルスに不思議に
似合っている。
リーマスが診察している時も、ジェームズの膝に座り、シリウスとリーマス
とジェームズが軽く飲みながら食事を摂ろうとすると、一人寝るのを嫌が
る素振りを見せたセブルスの気の済むようにジェームズが食卓に同席さ
せて、しかも自分の膝に乗せている。二人の自然に密着している様子に、
リーマスは伝え聞いたセブルスの今までの境遇からすると、ジェームズと
の間に信頼関係ができていることは良いことに思えた。もちろん、ジェー
ムズの人格への信頼があるからいえることだが、最初にセブルスを見た
時の悲惨な様子からすれば、現在のベルベッドで作った赤い小鳥のよう
な可愛いセブルスの姿はジェームズの献身の賜物だろう。
 シリウスは、子どもを溺愛する親友を目の当たりにしてしばらく唖然と
していたが、なるべくセブルスを見ないようにしてジェームズと会話して
いた。自分で味付き葡萄酒にブランデーを足して飲みながら、国王夫妻
の最近の様子や、新しく購入した馬のことなどをいつもと変わらない調子
で話した。
しかし、リーマスに宮廷まで出向いてもらった礼を言うジェームズに、

「気にしないで。もうしばらくここにいる予定があったから」

とケーキを食べながらリーマスが答えた時には、聞き捨てならないと鋭
い声でシリウスは理由を尋ねた。

「君のお母様、ブラック公爵夫人からの依頼だよ。夫人のサロンで美容
薬と、愛の妙薬の調合をしろとの仰せなんだ。前にした時の評判がよか
ったそうだよ」

そんなくだらないことは無視しろと不愉快な表情になったシリウスに、

「そういうわけにはいかないよ。ブラック公爵家は僕のパトロンになって
くださっているんだから。おかげで大学も出してもらえたし、ヴェネチアに
まで修業にも行かせてももらえた。本当ならぼくは修道士になって薬草
園で働かせてもらいながら医療の勉強をするしかなかったのだから」

ますます不機嫌な表情になったシリウスと

「大丈夫、体に悪いものは作らないからね」

と微笑むリーマスを、二人の立場、心情を理解しているジェームズは
おやおやといった表情で見つめていた。その腕の中では、瞼に砂を撒く
妖精に遂に陥落したセブルスが胸にもたれてぐっすり眠っていた。


「…ん? 誰かいるの?」

 ジェームズの居室からシリウスの居室に戻ったリーマスは、いつもの
ように客間で休んでいた。シリウスに与えられた居室はブラック公爵家の
嫡子に相応しく、ジェームズの居室より数倍広く、部屋数も多く豪奢だ。
シリウスは、宮廷人の誰もが憧れるこの空間が嫌いで、しょっちゅうジェ
ームズのところや、馴染みの侍女の寝室を渡り歩いているらしい。ジェー
ムズと宮殿を抜けだして、如何わしい界隈で遊ぶことがあることも知って
いる。
 寝台の傍に誰が立っているのかわかっていた。上掛けと毛布ををめくっ
てやると、無言で潜り込んできた。宮廷一美しい伊達男には、暗闇の中
ですら香水と自身の匂いを混じらせた香りで魅了させられずにはいられ
ない。指と唇がリーマスの身体の隅々に触れる。あたたかな舌に舐めら
れたところがひんやりとする。しかし、身体の中は熱くなりかけてきた。
この指と唇は、リーマスの身体がどこに触れれば妙なる音楽を奏でるの
か知っている。それだけではない。唇を合わせて、舌を絡ませ合う。リー
マスの身体の中心から、その中に自身を埋めて繋がる。彼が望むなら、
いつでもそうしてきた。今夜もリーマスは彼のすべてを受け止めた。


(2011.7.5)

 
 
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