鹿と小鳥 第48話

 天幕の内に入ると、ジェームズはすぐに中心に焚かれた火の
傍に置かれた椅子にセブルスを座らせた。待機していたポッター
家の従者が火にかざして暖めておいた厚い膝掛けでセブルス
のスカートを包み、同じく暖めておいた乾いた布をジェームズに
手渡すと、ジェームズはセブルスの髪や顔を優しい手つきで拭
いた。自分は簡単に水気を拭って済ませると、セブルスの隣の
椅子に腰掛けた。セブルスは毛皮のマフから手を出して火に
翳している。氷の祭典に初めて来た日には、天幕の中で火を
焚くと氷が溶けるのではないかとセブルスは心配してジェーム
ズに訴えた。ジェームズが笑いながら、この氷は少しばかり
の火では溶けないほど分厚いと説明してもしばらく不安そうに
地面を凝視していたが、数日経つうちにロンドンの過酷な寒
波が作り出した氷でできた地面の頑丈さを理解したのだった。
何しろ陸上にある大抵のものはこの氷上に移動して小さな街
のような活気に溢れているのだ。
ジェームズとセブルスが熱いマールワインを飲んで一心地つ
こうとしていると、天幕の入り口がにわかに騒々しくなり、従者
の案内を待たずにシリウスが中に入ってきた。レギュラスも
一緒だ。
「やぁ、早くここで火にあたりなよ。寒かっただろ」
ジェームズが片手を挙げてシリウス達に声をかけ、従者たち
に指図すると、たちまちのうちにシリウス達にも椅子や乾い
た布、膝掛けや熱いマールワインが渡され、炙った肉の串
焼きや焼きたてのパンが外の出店から買ってこられた。乾い
た布で顔を拭いただけでいっそう美貌が増したように見える
ブラック兄弟が天幕の中にいるだけであたりは明るくなった
ようだった。レギュラスが犬橇に乗っていたセブルスの様子
を冬の妖精のようだったと誉めるとジェームズはひどく喜んだ。
「フードをかぶっているから髪型が見えないのが残念なのだ
けれどね、白のアーミンでセブルスの顔をふちどると黒い眸
が引き立つんだよね」
今はフードを背中に下ろしているので、綺麗に編み込まれて
結い上げてあるセブルスの髪型はよく見える。髪をまとめて
いると、セブルスの顔がとても小さく、ほっそりと華奢な首を
しているのがよくわかる。ジェームズがセブルスのマントの
前を少しゆるめて膝掛けを取ると、緋色のマントの下に深緑
のガウン、更に同じく緑だが銀糸で総刺繍が施されている
ガウンを重ねているのが見えた。厚い膝掛けをとられたセブ
ルスが自由になった細い両足を挙げて火にかざしたので華
麗な衣装の裾飾りが波のように揺れる。
牛肉の串焼きをかじりながらシリウスはセブルスを検分した
が、過剰包装気味ではあるが色合わせは着ている本人に似
合ってはいると思った。無造作に両足を挙げるのは貴婦人に
あるまじき振る舞いだが、まだ子どもなので構わない。橇遊
びをした後なのでいつも青白い肌も鼻や頬に赤味が差して
いて年相応に幼く見える。
「陛下にはお会いしたのか?橇のお礼を申し上げたか?」
とシリウスがセブルスに話しかけると、レギュラスの話を聞
いていたセブルスはシリウスの方に顔を向けて、こくりと
肯いた。ジェームズの話ではセブルスが乗った犬橇が疾
走していく様子をご覧になった国王は大変満足され、セブ
ルスに直接声をかけられた。ジェームズが丁重に橇を賜
った礼を述べると、セブルスも一緒にお辞儀したのだった。
それから、橇を引く大型犬が怖くないかと聞かれたり、
以前賜ったマルチーズ達の近況、何故かポッターの領地
で放牧されている羊のことなどを国王とセブルスは話した
らしい。
「春に生まれる子羊と羊毛を献上することになったよ」
とジェームズは嬉しそうな顔になった。レギュラスはポッタ
ーの領内をジェームズについて歩いた時のことを思い出
した。ここ数年、ジェームズは領地に帰っていなかったそ
うだが、帰郷すると領民たちと気さくに話をしていたもの
だ。農民たちに囲まれて、ロンドンで人気の野菜を教え
て種を取り寄せる約束をしたり、セブルスのポニーが障害
の練習ができないように持ち出した木製のバーを振りまわ
して喧嘩の仲裁に入ったりするジェームズの行動力にレギ
ュラスは驚かされた。
「羊はいいよね。羊毛は製品になるし、食べても美味しい
し」
ジェームズは大らかに笑った。元々血色のよい顔は連日の
スケート遊びでますます赤らんで元気そうだ。
国王に献上して、ポッターの羊の名を広める心づもりらし
い。
「ポッターの領地はとても良い土地でした。皆、親切で実
に楽しかった」とレギュラスがセブルスに話しかけると、
セブルスもこくりと頷いた。
「そうだ、熊苛めは見たか?」
とシリウスはジェームズに尋ねた。シリウスとジェームズは
熊苛めの見物するのが好きで毎年一緒に観ていた。
「いや、セブルスがいるからね。あれは面白いけど血がね」
とジェームズが答えると、シリウスはセブルスに氷上の熊
苛めの面白さについて解説した。
「熊いじめは熊に獰猛な犬を数頭けしかけるんだ。氷の上
だと熊も犬も氷で滑るので面白さが倍増だ。昨夜は熊が
滑って犬の首を爪で掻いて、熊も犬も死んだので拍手
喝采だった」
セブルスは難しい顔でシリウスの話を聞いていたが、
何が面白いのかさっぱりわからない様子だ。
「今夜は牛攻めらしいぞ。一緒に観ないか。牛はその場
で炙られるらしい」
と、セブルスの困惑を意に介さずシリウスは誘った。ジェ
ームズはセブルスを思い遣って断ろうとしたが、レギュラス
が自分がセブルスを宮殿まで送り届けると申し出た。
「僕がレディをお送りしますよ。ジェームズは兄さんと観て
きたらいいですよ。国王ご夫妻もご臨席になるそうですよ。
僕は血なまぐさいのはあまり好きじゃないので」
ジェームズはそわそわして躊躇う素振りだったが、結局
シリウスと牛攻めを見物することにした。セブルスが観て
来いという目でジェームズを見つめたからだ。
「それじゃ悪いけどセブルスを送ってもらえるかな。従者
たちには言いつけておくから」
ジェームズの願いをレギュラスは丁重に受け、セブルスに
微笑みかけた。

(2014.5.31)

inserted by FC2 system