鹿と小鳥 第47話

 例年よりも厳しい寒波がシティを襲い、街中を雪景色に模様
替えして瞬く間にテムズ川を凍り付かせた。国王は毎日人を
派遣して氷の厚さを報告させていたが、ある日ついに冬の祭
典を行うと発表した。宮廷が凍り付いて長大なスケート場と化
したテムズ川に移動してきたので、華やかな祝祭を見物しよ
うと市民たちも凍った川に押し寄せ、雪と氷の世界は熱気と
喧騒に溢れた。
 ジェームズ・ポッターはセブルスとレギュラス・ブラックとと
もに故郷の領地から引き上げて長らく留守にしていたロンド
ンの自邸に滞在していたが、冬の祭典の開催に合わせて宮
廷に戻ってきた。宮殿で先に戻っていたシリウスと再会する
とレギュラスは兄の居所で過ごすことになったが、頻繁に手
紙のやりとりや、ポッター家の居所に兄弟で出向いていたの
で、田舎で暮らしていた時と同じような雰囲気が部屋に溢れ
ることになった。それは去年との明確な違いだ。
冬の祭典へ出かける時も馬車を連ねて行き、華やかなブラッ
ク兄弟のおかげで人々の注目を浴びるからという理由でジェ
ームズのセブルスの衣装と髪型の凝り方が先鋭化し、毎日
セブルスを困らせているのだった。
「賑やかで楽しいですね。リーマスも一緒に連れて来たらよ
かったのに」
レギュラスは隣の兄に話しかけた。二人は鯨の骨のエッジ
のついたスケート靴を巧みに操り、アイスリンクを自在に滑っ
て遊んでいるところだ。美貌の兄弟は揃って氷の上を滑って
いるだけで人目を惹いていたが、二人とも慣れきっているの
で無関心だった。
「誘ったんだが断られた。冬は寒いから病人が多いらしい。
夏は夏で暑くて病気になるんだからきりがない」
シリウスが不満を漏らすと、レギュラスは面白そうに微笑ん
だ。シリウスが自分も大病を患い、リーマスに献身的な看護
を受けたことをすっかり忘却していたからだ。もしかすると
自分は例外としているのかもしれない。
「リーマスは仕事熱心な人ですから仕方ないですよ」
レギュラスのおざなりな慰めの言葉にシリウスは肩を竦め
てみせたが、半ば同意しているような表情を浮かべた。
「何と愛らしい」と呟くレギュラスの視線を追ったシリウスは、
思わず苦笑した。四頭の大型犬に曳かせた橇に白いアーミ
ンの毛皮で縁取りされた緋色のフードを被ったセブルスが
いつもの仏頂面で座っていたからだ。傍をスケート靴を履いた
ジェームズが併走している。運動神経のいいジェームズは、
犬橇に負けないスピードで滑りながらも、笑顔で何事かセブ
ルスに話しかけている。セブルスの方は前を向いていないと
怖いのか、横のジェームズにちらちら視線を送りながら、時々
頷いて返事していた。
実は冬の祭典の開催が決まると同時にジェームズはセブル
スがスケートをすることを危険すぎると言って禁止した。
シリウスはおろかレギュラスすら乗馬ができるのだからスケー
トもできる筈だと言ったのだが、ジェームズは頑として譲らなか
った。骨折したり、転んで顔に怪我でもしたら取り返しがつかな
いことになる。そう力説するジェームズに、「たいした顔ではな
いだろう」とシリウスがうっかり本音を漏らしてしまい、尚更ジェ
ームズは意固地になってしまった。セブルス本人は凍って陸と
同じように移動できるようになったテムズ川には興味を示して
見物したいと漏らしてはいたが、冬の祭典というものを具体的
に想像できないらしかった。氷の上で行われる、熊いじめや闘
犬、芝居などはジェームズから連れていってあげると言われて
いたが、そもそも通常の陸で行われるそれらも観たことがない
ので、特に楽しみでもなかった。ジェームズの強い意向でセブ
ルスは氷の上に設えられた天幕の中にいることになったのだ
が、そこに思いがけない方向から横槍が入った。
ジェームズが国王の御前に伺候した折のことだ。
「余の宮廷の一番小さな家臣は達者でいるか?」と尋ねられ
たジェームズが田舎の空気がセブルスの健康によかったよう
だと適当に答えた。すると国王はそれは何よりだと喜んで、近
従に目で合図した。すぐに近従が彫刻が施され美しく彩られた
子供用の橇を運んできて、恭しくジェームズの前に置いた。
「これを余の一番小さな家臣に授けよう」
ジェームズは恐縮したふりをして何とか辞退しようとしたのだ
が、
「遠慮するな!」と一喝されてしまった。
「冬の祭典は、小さな者にこそ楽しんでもらいたいのだ。足の
強い犬もつけてやろう」
ジェームズが不満を押し隠して礼の言葉を述べると、国王は鷹
揚に頷いて見せた。一部始終を傍で見ていたシリウスは笑いを
堪えるのに必死だった。
 湯気のように白い息を吐きながら走る4頭の大型犬の曳く橇
に乗った小さなセブルスは、たちまち見物人たちの注目の的に
なった。大型犬たちの逞しい動作と、洒落た橇に乗った小さな
セブルスの子供らしからぬ落ち着いた態度とアーミンの白くや
わらかい毛皮で縁取られた緋色のマントが不思議な印象を
人々に与えた。いざ、セブルスが橇に乗って人々の賞賛を浴び
ると途端に上機嫌になったジェームズが常に一緒にスケートで
併走しているので、いっそう不思議な趣が加わっていたが、セブ
ルス本人は何も気にしていないようだった。しかし、もしも絵心が
ある人が見れば、一見無表情に見える黒い眸が、凍りついた氷
の銀世界の全てを観察して輝き、特徴のある鼻は、炙られた肉
や香辛料を入れてあたためた葡萄酒の香り、降ってくる雪の匂
いまで感じとり、フードに隠れた耳は、リュートの音色や犬の鳴
き声、興奮した人々の声を敏感に聞きとっていることに気づいた
に違いない。
「あっ、ジェームズがセブルスの橇を引いている犬たちを止めた
ぞ」
「本当ですね。天幕で休むつもりなんじゃないでしょうか。僕たち
も行って見ましょう」
 ジェームズはセブルスの両脇を持ち上げて橇から降ろすと、手
を取り近くの天幕まで歩きだした。セブルスは普段通りシリウス
からプレゼントされたお気に入りのブーツを履いていたが、ジェー
ムズはエッジのついたスケート靴を履いていたのでいつもより身
長差が大きくなってまるでぶらさがっているように見える。ジェー
ムズは自分を見上げるセブルスの頬に風に煽られた黒髪がほつ
れかかっているのに気づいて、わざわざ氷に膝を突いて優しい手
つきで直した。セブルスが小さな顔を擽ったそうにふるふると振る
と、ジェームズは愛しげにセブルスに笑いかけた。それから、二人
は天幕の中に入っていった。

(2014.4.30)

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