鹿と小鳥 第46話

 シリウスは久しぶりに戻った自邸でリーマスと午餐をとった後、
居間の暖炉の傍の寝椅子にだらしなく寝そべっていた。シリウ
スはポッター家の領地からロンドンに戻ると一旦宮廷に参内し、
早速出席した舞踏会で貴婦人たちをその美貌で魅了したので、
ブラック侯爵家の嫡男の宮廷への帰還を宮廷は大歓迎した。
シリウスは数日、騒ぎ、踊りあかすと疲れはてた様子で館に引
き上げてきた。宮廷では親友のジェームズがいないので大袈裟
に騒いで気を紛らわしてきたのだが、屋敷に帰ってリーマスと過
ごすと一転して穏やかな心になり、しばらく宮廷に行くのはやめ
ようと思いながら寛いでいる。リーマスとは特に会話がなくても
一緒にいるだけで楽しいのだ。
 扉をノックする音がしてから、手紙を持ったピーターが部屋に入
ってきた。ピーターはリーマスの助手だが、近頃では侍従として
の身のこなしも板についてきている。
「レギュラス様からです」
ピーターはシリウスに手紙を渡すと、暖炉に薪をくべて火を熾し、
炎を調節すると、きびきびとした足取りで部屋から退出した。
シリウスはすぐに寝ころんだまま受け取った手紙の封を指で破
って読み始めたが、身体をおこして葡萄酒の入っているゴブレッ
トに手をのばした。
「レギュラスはジェームズたちと一緒にロンドンに出立したらし
い」
と、傍で書物を読んでいたリーマスに話しかけると、
「それじゃ、じきにここに着くね」
リーマスは書物から顔を上げて、シリウスに笑顔で答えた。
シリウスは夕食から寝そべる前まで、酒精をかなり飲んでいた
ので美しい顔は朱に染まっていたが機嫌は良さそうだった。
リーマスは急患に備えてあまり酒を飲まないので、いつも通り
の穏やかな表情だ。
「いや、ロンドンのポッター邸に数日滞在して、そこから宮殿に
向かうそうだ。俺もその頃に宮廷に戻ろうかな」
以前なら、シリウスはすぐにロンドンのポッター邸に駆けつけ、
ジェームズたちと合流しようとした筈だ。シリウスとジェームズは
兄弟のように仲がよい親友同士だからだ。
「ジェームズたちと一緒に宮廷に行かないの?」
「いや、宮廷で会えばいいだろう。ジェームズは、ロンドンの屋
敷に衣装屋を呼んでセブルスの衣装を山のように新調するつも
りらしい。レギュラスまで張り切ってる。あいつら、ちょっとどうか
してるよな」
シリウスはそう悪態をついたが、面白がっているようだった。
「セブルスは困っているだろうね。あの子は着飾ることに興味
がないようだから」
シリウスはセブルスの仏頂面を思い出して声を出して笑った。
シリウスの美的基準からするとセブルスは着せかえ人形として
愛玩されるような容姿ではないと思うのだが、ジェームズは目に
入れても痛くないほどの溺愛ぶりだ。おまけに弟のレギュラスま
でセブルスを賞賛している。まったく二人ともどうかしているとし
か思えない。
「そういえば、リーマス、マントを作ったらどうだ?俺も何着か衣装
を作るから」
ふと、シリウスは気になっていたことを提案してみた。
「僕は今着ているもので十分だよ」
予想通りリーマスは断ってきたが、シリウスはなお食い下がっ
た。
「ジェームズが用意したマントは人にやってしまっただろう。今着
ているものはもう何年も着ているじゃないか」
ポッター家の領地からの帰りに寄った患者の家が困窮して暖炉
用の薪もない有様だったので、リーマスが着ていた新しいマント
をその家の者に与え、シリウスに頼んでジェームズが持たせてく
れた羊毛の織物や食料品を分け与えたのだ。
「僕は医者だから綺麗に見せる必要はないよ。ジェームズがくれ
たマントはとても暖かくて有り難かったけれど、必要な人に譲れて
よかったよ」
シリウスは自分が勝手に注文して作ってしまおうと考えた。出来
上がったものを渡せば、リーマスも受け取るだろう。
「おまえがマントをやった家族は、大丈夫なのか?よければ援助
するが」と、内心の計画を隠してさりげなく申し出たシリウスに、
リーマスは瞳で謝意を伝えた。
「しばらくは大丈夫だと思うよ。ジェームズが持たせてくれた食料
品を分けてあげたし、君がお金を施してくれただろう」
「ほんの少しだけだぞ」
あの時、シリウスは乞われて金の革袋ごとリーマスに渡したのだ
が、セブルスのポニーやブーツを買ったのでそれほどの金貨は残
っていなかった筈だ。
「あれぐらいの額があれば、一家で二ヶ月くらいは生活できるん
だよ」リーマスにそう教えられてもシリウスはよくわからない。食
べるだけで精一杯の生活というものが想像できなかった。
「ほう、そんなものなのか」シリウスがとりあえず相槌を打っておく
と、リーマスは切なそうに頷いた。
「あの家の子の事を診ていたんだけど、疫病が流行し始めてから
忙しくなってしまって、君まで倒れて…。でも気にかけておくべき
だった」
「その一家はジェームズが面倒見てたんじゃないのか?」
シリウスの問いに、
「どうしてわかったんだい。僕、話したっけ?」
とリーマスは気まずそうな声で答えた。
「お前とピーターを待ってたら、薄汚れた感じの小娘に指さされて
言われたんだよ、王子様だって」
「君、しょっちゅう王子様って呼ばれるだろ。夢のように美しいプリ
ンスだって」
「いや、そんなこともないが。それで、今日はお姫様が一緒じゃな
いって言われたんだよ。それで、思い出した。ジェームズたちとダ
ンブルドアに会いに行ったときに、途中で休憩したところでポッタ
ー家の元召使いという女の家をリーマスが往診しただろ。あの時、
俺はセブルスのお守りで一緒にいたんだ。あの娘にはセブルスが
お姫様に見えたんだな。まさに馬子にも衣装だ」
その衣装を見立てて贈ったのはシリウスだ。シリウスが可笑しくな
って笑うと、リーマスはあきれた表情で、
「何言ってるんだよ。確かにあの時の一家だけど」と言って溜め息
をついた。
「ジェームズが面倒を見てたんじゃないのか?」
「そうだよ。足の悪い男の子がいてね。きみに声をかけたのはその
子の姉だよ、たぶん。他にも弟妹がいる。ジェームズが援助して、
僕が往診に通える場所に引っ越してきたんだよ。でも、疫病が流
行しだしてから、連絡が途絶えてしまったらしい。ジェームズも避
難するのに忙しかっただろうし、忘れてしまってたんじゃないかな」
 シリウスにジェームズが面倒を見ていた一家だと秘密にする必要
はないのだが、ジェームズの過失をわざわざ話すこともないとリー
マスは考えて話さなかったのだ。実際、リーマスが最後にその家を
訪問した時には、ジェームズの援助でまともな暮らしができている
と女主人は話していた。だから、今回の訪問であまりに困窮してい
たので驚いたのだ。リーマスはジェームズに手紙を書くか、直接会
って話をするつもりだった。
「ジェームズらしくないな。いつも細かいところに気が付くのに。
使いの者が疫病騒ぎで逃げたんじゃないか」
シリウスは首を傾げながらそんなことを言った。確かにそんなところ
だろうとリーマスも思った。ジェームズはとても親切な人間だ。野心
的ではあるが、思いやりが深い。セブルスを掌中の珠のように大切
に育てていることもそうだし、領民からも慕われている様子だった。
気がつくと、シリウスの顔が間近にあった。そのまま口づけを受け
た。甘い葡萄酒の味が口中に広がる。一度、離れた唇をまた合わ
せて、深くなっていく口づけにリーマスは次第に夢中になっていっ
た。

(2014.3.5)

inserted by FC2 system