鹿と小鳥 第45話

「それじゃ、一足先に帰る。ジェームズもそろそろ戻った方がいいぞ」
黒いベルベッドの帽子を粋に被り、黒テンのマントを纏ったシリウス
はいつも通りその美貌で人目を惹いていた。隣のリーマスは、病後
間もない身をジェームズが気遣って用意した、羊の皮をなめしたマン
トを羽織り、中に毛糸を編んだ厚手の上着も着込んでいるので暖か
そうだった。どちらもポッター家の羊で作られた品だ。
「ここの雑用が片づいたら、君たちを追いかけるよ。道中気をつけて
ね」
ジェームズがにこやかに話す横で、セブルスは一見無表情で立って
いたが、内心がっかりしていた。リーマスから薬草や医術の話を聞
くことと、シリウスから乗馬を習うことが日々の楽しみになっていた
からだ。朝食の席で、シリウスとリーマスがロンドンに帰ると聞か
されて、ジェームズが大袈裟に二人を引き留める傍らで、セブルス
はショックで食べかけていた好物のデニッシュをそっと机の上に置
いたのだった。
 リーマスが出発前に、この地で皆と過ごせてとても楽しかったこと
への礼と、病気で迷惑をかけてしまったことの詫びと看病してくれた
ことへの感謝をポッター家の全員の前で話した。シリウスは病後の
リーマスを一人で帰らせるわけにはいかないので付き添って行くと
いうことだった。一緒に来たレギュラスは残り、セブルスの後ろに立っ
て兄とリーマス一行を見送っていた。レギュラスも一緒に戻るつもり
だったのだが、ジェームズに自分とセブルスがロンドンに戻る時に
一緒に戻って欲しいと頼まれたのだ。急に皆が帰ってしまうとセブル
スが寂しがるからという理由だった。レギュラスが向かいの席のセブ
ルスに、
「私が残った方がいいですか?」と軽い口調で問いかけると、生真
面目な黒い眸がひたとレギュラスのブラック一族の特徴である美しく
整った顔を見つめ、こくりと頷いた。
「それでは私は残って、レディのお相手をいたしましょう」
レギュラスはそう答えると、楽しそうに微笑んだ。
「セブルス」
リーマスに名を呼ばれてセブルスが見上げると、リーマスは優しい
声で話しかけた。冷気を心配してジェームズが暖かな厚手のショー
ルを羽織らせたので、セブルスは冬の羽を膨らませて寒さをしのぐ小
鳥のようにまるまっていて、一見無表情だが少々拗ねているらしい
様子が可愛らしかった。しばらくの間、一つ屋根の下で過ごしてセブ
ルスと親しくなれたのは大きな収穫だった。
セブルスへの気がかりはあるが、ゆっくりと時間をかけていかなけれ
ばならない問題だし、時間が解決する問題でもあるとリーマスは考
えた。
「また会おうね。手紙を送っておくれ、私も書くからね」
セブルスは黙って肯いた。シリウスは馬に乗る前に、セブルスの耳元
で今履いている靴がきつくなったらすぐに手紙を寄越すようにと囁いた。
ジェームズが騒々しく出立する人たちを送るべく指示をだしている傍で
セブルスはまたこくりと頷いた。靴はシリウスに任せれば、歩けるもの
を用意してくれるのだ。
ジェームズが急いで土産にと手配した新鮮な野菜や、羊や豚肉の加工
品、地酒、羊毛製品を山と積んだ馬車が用意されてポッター家に仕えて
いる若者が二人御者としてつけられ、馬車の前をシリウスたちが、後ろ
をピーターが付いていくことになった。屋敷の者たちも全員玄関に揃っ
て見送る中、訪れた時より何倍もの荷物を持って一行は出立した。村
人たちにも伝達があったらしく、道端や畑で働く手を休めて一行にお辞儀
するのだった。名残惜しい気持ちでいるシリウスとリーマスがポッター家
の領内だけはと考えてゆっくりと馬を進めているとセブルスが普段乗馬
の練習をしているあたりで、マルチーズたちが遊んでいるのが見えた。
宮廷の脆弱な愛玩犬は田舎暮らしで逞しく生まれ変わり、半ば野生化
している犬たちは元気に走り回っている。一頭がポニー用の障害のバー
を跳び越えると、残りの二頭も後に続いた。
「マルチーズって、元気のよい犬なんだね」
リーマスが感心したように言うと、
「いや、あんな風になってるのは初めて見たぞ。あれなら猟犬にもなれ
そうだな」と、シリウスが首を傾げて答えた。
「ロンドンの屋敷に戻る前に、ちょっと寄りたいところがあるんだけど」
リーマスがそう言って切り出すと、
「患者か?」と尋ねられたが、シリウスは知っていて訊いているのだ。
「うん。長い間見に行っていないから気になっていてね」
「止めても行くんだろ。近くで待ってるからピーターとさっさと見て来い
よ」
「ごめんね」
リーマスが謝ると、シリウスは彫像のように整った横顔の口元を歪ませ
て苦笑したが、機嫌は悪くないようだった。

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