鹿と小鳥 第41話

 ポッター館の夕食は客人達と主人であるジェームズとセブルスだ
けで食堂でとることになっていたが、隣の部屋に使用人や村人のた
めの料理がたっぷりと用意されていたので、館内は賑やかな空気
が充満していた。後から到着したピーターは、使用人用の食事をと
ろうとしていたところをジェームズに声をかけられ、主達と同じテー
ブルにつくことになった。ピーターは最初は恐縮して末席に着いた
が、セブルスの世話はジェームズがつきっきりでしているし、上座か
ら美味しそうな料理の載った皿が次々に回されてきたので、気がつ
けば夢中で料理を腹一杯になるまで詰め込んでしまい、ブリーチが
窮屈になってきていた。おそらく近いうちにシリウスはピーターのお
仕着せを新しく作ることになる筈だ。セブルスはシリウスから乗馬
を習うようになってから運動量が増えたことに比例して、以前より
食が進みようになっていて、ジェームズが食べやすいようにナイフ
で削ぎ切りにして塩を振ったローストチキンを手で摘み、フィンガー
ボウルの薔薇の香りをつけた水で指を洗った。それから、同じくジ
ェームズが味付けした兎肉と野菜のシチューをスプーンで掬って口
に運びながら合間にジェームズが小さくちぎった白パンをそのまま
口に放り込んだり、シチューに浸して食べた。ドライフルーツの入っ
た菓子パンも一切れ食べてから、最後に新鮮なクリームと白葡萄
酒で作った白いシラバブを木の椀に取り分けてもらい、スプーンで
泡立てられたクリームを掬って口に運んだ。
「このシラバブはとても美味しいですね。きっとクリームが新鮮だか
らだな」と、セブルスが一口シラバブを食べて、シラバブの器を素早
く小さな手で抱えて確保したのを見ていた向かいの席のレギュラス
が興味を引かれて食べてみて少し感嘆した様子でジェームズに話
しかけた。
「うちのすぐ傍で飼ってるからね。このあたりは牧草の質もいいんだ
よ。僕の曾祖父の代から試行錯誤しながら土地を改良してきたん
だ」
ジェームズは誇らしげにそう答えてからセブルスに蜂蜜かジェリー
を足したらもっと美味しくなるかもしれないよと提案して断られた。
セブルスはレモンの風味が好きなのだ。
「バターやチーズも美味しいものな」と塩と胡椒とエールをかけたラ
ムチョップにかぶりついていたシリウスが話に加わると、傍のリー
マスも同意して頷いた。リーマスが黙々とシラバブを食べている
セブルスに美味しいかい?と目配せすると、セブルスが真面目な
顔で重々しく頷いたので、リーマスも笑ってシラバブを器に取って
食べだした。
「ロンドンに戻ったらうちでも牛を飼おうか。厨房の人間を増やして
チーズやバターを作らせたらいい」
頬張っていたチキンを自家製エールで喉に流したシリウスが何とな
く思いついたことを口にすると、リーマスが「君は屋敷の近くに専用
牧場を持っているじゃないか」と冷静に指摘した。驚いたシリウスに
「一度、牛が病気で呼ばれたことがあるんだ。僕は動物の病気は
わからないからすごく困った」とリーマスが真顔で言うので皆笑っ
た。
「なんだ、牧場があったのか。馬にしか興味がないから忘れてい
た。でもうちの乳製品は特に旨くないな。きっと草がよくないんだろ
う。帰ったら、一度見に行ってみるか。その前にここの牛の飼い方
を見せてもらっておくか」
「兄さんは家政に口出しして家令から苦情がでていると母上から聞
いていたのに、自分の資産を把握していなかったら後で困ったこと
になりますよ。前にチーズケーキを作らせた時、厨房頭のジョンが
乳製品は自家製だと言っていましたよ」
浪漫的なレギュラスが意外にシビアにシリウスに警告したので、ジ
ェームズは可笑しそうににくっきりした太い眉をつり上げた。
「レギュラスはフランス宮廷仕込みの洗練された貴公子なのに、実
際的でもあるんだよね。うちの村人たちも君に気さくに話しかけて
もらえてすごく感激していた」
シリウスがセブルスに乗馬を教えていた間、レギュラスは村を見
回るジェームズに同行して出かけていたのだ。病み上がりのリーマ
スが日陰で乗馬の訓練を見物していると言うのでさりげなく気を利
かせたつもりだった。セブルスは子どもだし、ピーターも似たような
ものなので数のうちには入らない。
「いえ、あなたこそ村人にとても慕われているので驚きました。ブラ
ック家の人間が領地を歩いてもあんな風に歓迎されることはありま
せんよ」というレギュラスの言葉に、
「這い蹲るか、騒ぎ立てるか、だな」シリウスが言葉を足した。
「元は彼らと同じくこの土を耕して暮らしていたんだからね、僕の家
は。今でも心安く思われているんだろう。僕の先祖は彼らの先祖よ
り少しばかり野心的だったのだけれどね」
わずか四代前に受爵したことを恥じることなくジェームズは説明し
た。惜しみなく蝋燭が灯されている部屋は明るく、美味しい料理の
匂いが漂い、皆が満ち足りていた。ずっと以前から、こんな風に
食卓を囲んでいたような錯覚を皆が覚えた。

 寝室で二人きりになった時、リーマスは少し酔って頬を染めてい
るシリウスの端正な顔の、灰色の切れ長な眸の中に欲望を見つ
けて、戸惑いと同時に自分はそれを待ち望んでいたのだと思った。
もうずいぶん長い間、シリウスが病に倒れる前からずっと肌を合
わせていない。二人は幼なじみであり、親友だ。肌を合わせなく
ても、一緒に生活している上で不都合はなかった。シリウスは病
み上がりのリーマスの身体を労って、優しく髪から爪先まで口づ
けていった。リーマスは久しぶりの愛撫にひどく感じて、歯を噛
みしめて声を殺して耐えた。時間をかけて蕩けさせたリーマスの
上にシリウスが被さって身体を繋げると、リーマスは痛みとそれ
を上回る歓びに貫かれてシリウスを強く抱きしめた。シリウスが
喘ぎ声を漏らすまいとしているリーマスに気づいて低く笑うと、
リーマスに口づけて唇でも繋がってから、腰をゆっくりと動かしは
じめた。
「無理させたな。すまん」
リーマスがぼんやりと目を開けると、シリウスが寝台の脇に裸の
ままで立って、リーマスを心配そうにのぞき込んでいた。どれくら
い気を失っていたのかわからないが、リーマスも裸のままだった
が、毛布がかけてあった。
「平気だよ。ごめん、気持ちよくて眠ってしまった」
とリーマスが言うと、シリウスは一瞬面食らった表情をしてから
照れたような笑顔になった。
「ブランデーと葡萄酒があるけど飲むか。暖炉の火が落ちてるの
で温められないが」リーマスが葡萄酒を所望するとシリウスはゴ
ブレットに葡萄酒を注いで持ってきた。リーマスが身体を起こして、
ゴブレットに口をつけると芳醇な香りが鼻腔を擽った。思っていた
以上に喉が渇いていてあっと言う間に飲み干してしまうと、シリウ
スがボトルを持ってきてもう一杯注いでくれた。
「久しぶりだったからな。途中までは気をつけてたんだが、つい我
を忘れてしまった」
シリウスが申し訳なさそうに謝ってきたので、リーマスは急に恥
ずかしくなってしまった。宮廷一の伊達男として名高く、ここ数年
途切れることなく浮き名を流し続けてきたとは思えないほど、シリ
ウスは朴訥としたところがある。
「君はこういうこと、ここではしたくないと思ってた」
とリーマスが呟くと、シリウスは怪訝そうに整った眉を顰めた。
「ここはジェームズの家だから」
と、口をついてでた言葉にリーマスが自分で驚いていると、シリ
ウスは気にした様子もなく同意した。
「あぁ、ジェームズは身内みたいなものだからな。こういうのがば
れると照れるな。レギュラスもいやだ」
レギュラスが気づいていると知っているリーマスが曖昧に微笑む
と、シリウスはしきりに首を左右に振っていたが、リーマスに微
笑み返した。
「一緒に寝ていいか?」とおずおずと声をかけられたリーマスが
すぐに横に身体をずらしてシリウスが寝る場所を空けたので、
シリウスはするりとリーマスの横に身体を横たえた。
「ロンドンに戻ったらセブルスにダンスの教師をつけようと思うん
だがどう思う?」
唐突な話題にリーマスは面食らったが、とりあえずどうして?と
尋ねると「体力をつけるためだ」と答えが返ってきた。「ダンスの
訓練は、バランス感覚を養うのにいいしな。セブルスの頭がよく
ぐらぐら揺れているのは姿勢が悪いからすぐに疲れてしまうんだ」
リーマスはブラック一族が乗馬と舞踊の名手として知られている
ことを思い出したが、それは幼少時からの厳しい訓練の賜物な
のだ。
「いいと思うよ。過保護のジェームズが賛成すればだけど。ブー
ツを履いて、乗馬を始めてからセブルスはずいぶん健康になった
と思うよ。それにしても、いつの間にか君はすっかりセブルスの
保護者みたいだね」
「ジェームズがまるでわかってないのがわかったからな。子ども
ってものをさ」
シリウスは先日セブルスの足元の問題が明らかになり、セブル
スの存在自体への不信感の靄が完全に晴れたのだった。ジェー
ムズに引き取られるまでの経歴も不明だし、本人の時と場合に
応じて変化する行動に不審なものを感じていたのだが、何のこと
はない、無理な靴を履かされているか、脱いでいるかというだけ
のことだった。シリウスは事実に気が抜け、ずっと胡散臭い目で
見ていた罪悪感と、ひたすらセブルスを飾りたてて可愛がるばか
りのジェームズの馬鹿らしさに危うさを感じるようになったことで、
セブルスのことを急に親身になって考えるようになったのだった。
「ジェームズはセブルスのことが可愛くて仕方ないんだよ。あの
子を最初に診察した時はそれは可哀想な状態だったから」
「まぁ、そういう事情があるにしてもだ。ジェームズは妹がいた
のに貴族の子女の育て方がまるでわかっていない」
珍しくジェームズに呆れているらしいシリウスの言葉にリーマスも
首を傾げて見せたが、
「寒くないか?」と、またしても唐突に話を打ち切って、シリウスはリ
ーマスを気遣った。毛布を肩まで引き上げると、リーマスを抱き寄
せる。シリウスの身体は温かく、眠くなっていることがリーマスに
伝わってくるとほどなく規則的な息が聞こえてきた。明日の朝、
暖炉係の召使いが部屋に入ってくる前に隣の寝台に移っておか
なければいけないと思いながらリーマスも目を閉じた。

(2013.9.30)

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