鹿と小鳥 第42話

 レギュラス・ブラックがポッター屋敷の主であるジェームズの寝室
の扉をノックすると、すぐに扉が開かれた。廊下に立っている完璧な
身支度をしたレギュラスを見て、扉を開けた洗いたての清潔なエプロ
ンをかけている若い娘は頬を赤らめ、慌ててお辞儀した。
「おはよう、レギュラス。さ、入って、入って」ジェームズの朗らかな声
に促され、レギュラスが部屋に入ると、数人の娘たちが、湯の入った
木桶や陶器のボウル、リネンを片づけているところだった。皆、レギュ
ラスの貴公子然とした様子を恥ずかしそうに見つめて、自分の仕事に
戻った。ジェームズは、早朝に掃除されたばかりの薪が煌々と燃えて
いる暖炉の前に置いた椅子にセブルスを座らせて背後に立ち、セブ
ルスの髪をブラシで丁寧に梳いているところだった。スカートに隠れ
て見えないが、今日もセブルスはブーツを履いている筈だ。
「ごめんね、朝食前に呼び出しちゃって。今日は君が教えてくれたフ
ランスの宮廷で流行している風にセブルスの髪を結おうと思ってるん
だけどね」と話しながらジェームズはじっとしているセブルスの髪を器
用に分けて編んで纏めていった。レギュラスに横のウエーブのつけか
たやシニヨンの位置を確認しながら、綺麗に髪を結いあげた。
セブルスの漆黒の髪を貴婦人のように結うと、ほっそりとした首にか
けられた、セブルスのトレードマークになっている中心にPの文字が
ついた真珠のネックレスが普段以上に美しく輝いて見えた。耳の上
あたりの宝石かリボンを飾るといいとレギュラスが勧めて、ジェーム
ズも傍の卓に無造作に蓋を開けたまま置いてあったセブルスの宝石
箱の中から、あれこれ取り出してセブルスの横髪にあてて見たのだ
が、当のセブルスは乗り気ではなさそうだった。
「乗馬をしている時に落ちてしまうから」とセブルスは理由を説明した
が、ジェームズは「失くしたらまた誂えればいいよ。それか今日は乗
馬の練習はお休みにしたらどうだい?毎日、練習しているから疲れ
ているんじゃない?」とセブルスに話しかけた。ジェームズは、シリウ
スが教授するセブルスの乗馬レッスンをひどく危険なものだと思い
こんでいるのだった。レギュラスがジェームズの村の視察に同行
した時、ジェームズはレギュラスにずっと愚痴をこぼしていた。レギ
ュラスがブラック一族の乗馬技術の伝統、シリウスは一族の中で
も特に乗馬に秀でていると説明して宥めても、「セブルスはまだ小
さすぎるよ」と自分の留守中に練習することを恐れて持ち出した障
害用のバーを馬上で抱えなおしては櫂を漕ぐように揺すりながらぶ
つぶつ言い続けていた。一方、セブルス自身はポニーに乗ることを
気に入り、毎日、熱心に練習に励んでいて、シリウスとの一種の緊
張関係も緩んできている。
「夜の食事の時には髪飾りをつけることにしては。ガウンも着替え
るでしょう?」レギュラスがそう言って取りなすと、セブルスはほっと
して頬を緩め、ジェームズは仕方なさそうにセブルスに銀製の手鏡
を渡した。
「どうだい?今日の髪型は気に入った?」
気のない様子で手鏡をのぞき込んだセブルスの小さな顔に驚きの
表情が浮かんだので、ジェームズはくすくすと楽しそうに笑い、レギ
ュラスもやわらかく微笑んでセブルスを見つめた。
「やっと自分が美人だって気づいた?この髪型はセブルスによく似
合うね。新調するガウンは全部フランス風にしようか」と陽気に揶揄
うジェームズにセブルスは首を左右に振って、手鏡を胸に伏せた
が、軽く動揺しているようだった。レギュラスがフランス宮廷仕込み
の優雅さと、生まれついた優しさが合わさった眼差しと言葉でセブ
ルスの容姿を讃えたが、セブルスは少し困惑した表情で、どこか
上の空だった。そして、手鏡の柄を握りしめていた。
「レディ、貴女に足りないのはほんの少しの自信ですよ」
レギュラスはそう囁いて不安そうなセブルスを慰めた。ジェームズ
も同意して宝石箱の蓋を閉めると、二人に下の食堂で朝食を食べ
ようと誘った。手鏡を伏せたまま置きかけたセブルスがそっと鏡
を裏返して、もう一度自分の顔を見た。それから素早く鏡を裏返
して卓に置くと、軽い足音を立ててジェームズを追い越していった。
「セブルス、待って。走ったら転ぶよ。階段を一人で降りるのは危
ないからね」
そう声をかけながらジェームズは大股でセブルスを追いかける。
レギュラスはそんな二人の後をゆっくりとした足取りで歩いた。駆
けるように足早に歩くセブルスの足取りは軽かったが、その小さな
顔に浮かんでいた興奮と哀しみを誰も見なかった。

(2013.10.31)

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