鹿と小鳥 第37話

 ダンブルドアはお気に入りの椅子に腰掛けて、格調高く、さりげなく贅を
尽くした部屋の調度品を眺めた。世俗とは別の権威の頂にダンブルドアは
君臨し統べている。その自覚なくして、迷える人々を導いていくことは不可
能だ。目の前のピーターはこの部屋とダンブルドアの威厳にのまれまいと
緊張して落ち着かない表情だ。ぽっちゃりとしているが小柄なので、爪先
を床につけようと頑張って伸ばしている様が可愛らしい。小者のピーター
でなくても、この部屋でダンブルドアに会う人は少なからず緊張しているも
のだ。国王ですら、このダンブルドアには秘密裡に良心の呵責を打ち明け
に来ることがある。しかし、稀にそうでない者もいる。不意にダンブルドア
の脳裏に、ピーターの背後の彫刻が施された樫の扉から颯爽と入ってき
た美しく剛胆な青年の姿が蘇った。高貴な生まれにして野心家、長い年
月、多くの人の浮き沈みを見てきた老ダンブルドアの目にはいつでも危な
っかしく映っていた魅力的な青年だった。最後にここで会った時も彼は若
々しく、微塵も死を恐れてはいなかった。
「あぁ、そうか」
 沈黙していたダンブルドアが声を出したので、ピーターは丸めた背中
をびくりと震わせた。
「驚かせてすまぬ。年寄りという者は昔のことを急に思い出すものなの
だよ」
 ダンブルドアがピーターに微笑みかけると、先ほどの張りつめた空気
がふわりと解け、ダンブルドアは机の上にいつも置いてある壷から果物
の砂糖漬けを掴みだしてピーターに与え、自分の口にも放り込んだ。
「わしはシリウスを見ると、アルファードを思い出すのじゃ」
 困惑した表情のピーターにダンブルドアは説明した。
「アルファードはシリウスの叔父じゃ。似ているのも道理だが、性格もど
こか似ておる。ブラックらしく、またブラックらしくない男だった」
「アルファード様にお会いしたことはありません」
 ピーターはおずおずとダンブルドアに話しかけた。ダンブルドアはピー
ターを通り越して遠くを見つめているような目をした。
「さよう。アルファードはずいぶん前に反逆罪で死刑になった。そなたが
生まれる前であろう」
 ピーターはダンブルドアの言葉に衝撃を受けたが、詳しいことを尋ねる
勇気がなかったので黙り込んだ。あの華麗なブラック侯爵家の方が死
刑になることなどあるのだろうか?
「わりとよくあることなのだよ、このようなことは」とピーターの心を読んだよ
うにダンブルドアは話を続けた。
「無論、貴族階級の死刑は一般公開されないし、名誉は守られる。アル
ファードの領地の大部分は今はシリウスが相続している筈じゃ」
 ダンブルドアは特に何の感傷も示さずにピーターに事実を教えた。シリ
ウスは両親の、特に母親の悪口をよく言うが、他の親戚の話はほとんどし
たことがないので、ピーターは驚きを隠せなかった。
「実は、リーマスはアルファードがわしに預けたのじゃ。アルファードが逮
捕される直前に幼いリーマスをここに連れてきた」
 ダンブルドアはさらりとさらに驚くべきことを言い出した。ピーターは一瞬
訳が分からないと思ったが、あっと声を出した。
「もしや、リーマス様はアルファード様の?」
以前、リーマスがピーターに母親を大切にするように話してくれた時に、
ふとリーマスは摘出の子ではないかと考えたことがあった。貴族の子弟と
して教育を受けた人が医者になっている事が不思議だったのだ。
「いや、リーマスはルーピン子爵の息子じゃよ。実直な男じゃったが、リー
マスが生まれてすぐに病気で亡くなってしまった。リーマスは母親似じゃ
が、口元などは父親に生き写しじゃ。しかし、アルファードがルーピン未
亡人を愛していた事は事実じゃ。もちろんブラック一族は大反対じゃったか
ら正式には結婚できなんだが」
 アルファードがダンブルドアにリーマスを託した晩、人払いしたこの部屋
でダンブルドアはアルファードに自制するよう説得した。自分の城で謹慎
し恭順の意を示せ、自分が国王の疑惑を解くまでおとなしくしているように
と。国王も本心ではそなたを捕らえたくはないのだと話すと、アルファード
は可笑しそうに笑った。
「私を処刑なさると陛下はきっと後悔なさるでしょうね。私は良い遊び相手
でしたから。狩りでもテニスでもね」とのんびりした口調で話すので、ダン
ブルドアが渋面になると楽しそうに笑った。
「でも、ただの疑惑ってわけでもないんです。どうしてバレたのかなぁ。兄
上か義姉上が密告したのかな?」
 アルファードはダンブルドアが口に出せないことをあっさり言ってのけて
から、真顔になってダンブルドアを見つめた。
「リーマスのことを頼みます。僕はあの子の父親として過ごせて楽しかっ
た。とてもいい子ですよ」
 アルファードは深く頭を下げてから、優雅に立ち上がり、入ってきた時
と同じように颯爽と部屋を出て行った。ダンブルドアはこの危なっかしいが、魅力的な青年と二度と会えない暗い予感を覚えながら、逞しい背を
見送った。アルファードが逮捕され、ロンドン塔に送られたのはそれから
まもなくのことだった。 

「おや、砂糖菓子をお食べ。手のひらで溶けかけておるよ。嫌いならアー
モンドケーキを持ってこさせようか」
 自分の思い出話に聞き入るあまり、砂糖菓子を手で握りつぶしかけてい
るピーターにダンブルドアは優しく声をかけた。ピーターは慌てて、砂糖菓
子を食べ始めた。
「さぁ、今夜はここに泊まってから、明日の朝発って、お母さんのところに行
きなさい。土産を用意しておくように言っておくから忘れずに持っていくのじ
ゃよ。ポッターの領地へは直接ここから送ることにしよう。リーマスやセブ
ルスに手紙を書くからそれはそなたが預かって届けておくれ」
 ピーターは恭しく頭を下げて、砂糖菓子の礼を言い、ダンブルドアの言い
つけを承った。混乱しているらしく頬が紅潮させ、ぎくしゃくとした動きで扉
に向かったが、扉を開ける前に、はっとした様子で砂糖でべたついた手を
上着で拭いてからノブを捻り部屋を退いた。
 ダンブルドアは優しい眼差しで挙動不審なピーターを見送ると、机に広
げた紙に、インク壷に浸した羽ペンを滑らせていく。まずはセブルス宛の
手紙から書き始めた。セブルスはまだ幼いので、わかりやすい言葉を選
ばなければいけないが、向学心のある子どもに知識を授けるのは楽しい
ものだ。
 ふと、先ほどピーターが座っていたあたりから凛とした声が聞こえたよう
な気がした。そこはかつて、アルファードと最後に対面した場所でもあっ
た。
「ごきげんよう。もうお会いすることはないでしょう」
 若い娘は深くお辞儀した後、顔を上げると姿勢を正した。黒々とした豊か
な黒髪を綺麗に結い上げ、知性的な額をしている。強い意志を秘めた黒
い眸がダンブルドアをひたと見つめた。恋の情熱を宿した黒い眸は、健気
であり、哀れでもあった。ダンブルドアの言葉を待たずに娘は部屋を出て
いった。記憶の情景がダンブルドアの澄んだブルーの眸にまざまざと蘇っ
た。この部屋から出て行った後、あの娘が不幸になるのはわかっていた。
過剰な情熱は宿り主を焼き尽くすに決まっている。そして、あの娘は二度
とダンブルドアの前に現れなかった。

(2013.5.31)

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