鹿と小鳥 第35話

 晴れた青空のように澄んだブルーの瞳は、穏やかな光を湛えて
ピーターを見つめていた。ピーターはダンブルドアが発した質問を
とりあえず頭の中で反芻した。シリウスとリーマスが夜中にお互
いの寝室を行き来しているか否か。
「夕食をお取りになられた後は、いつも居間で一緒にお過ごしで
すが」
 おずおずとピーターが答えると、ダンブルドアは首を軽くふって
微笑んだ。
「わしが尋ねておるのは、もっと遅い時間のことじゃ」
 ピーターは困惑した。一体ダンブルドアは何が知りたいのだろう
か。自分をブラック家に送り込んでまで、あの二人の何を気にか
けているのか。宗教家のダンブルドアが気にするとしたら、罪に
纏わることに違いないが、あの献身的に医療に従事しているリー
マスがどのような罪を侵しているというのだ。そして、あの高貴な
シリウス・ブラックはリーマスの最大の保護者だ。シリウスの惜
しみない援助を受けて、リーマスは多くの命を救ってきた。
「夜中にリーマス様のところに往診を頼みに来る者がございます。
わたしがリーマス様のお部屋に出向いて直接お伝えしますが、
シリウス様がそこにいらっしゃったことは一度もございません」
 ピーターはありのままをダンブルドアに話した。ダンブルドアは
ピーターの顔に視線をあてたたまま質問を続けた。
「シリウスの部屋はどうじゃ。リーマスは出入りしておらぬか?」
「シリウス様のお部屋に夜中に行く用事はないのでわかりませ
ん。日が変わってからひどく酔ってお帰りになられて寝室までお
運びしたことはありますが」
 ふむ、とダンブルドアは白い髭を指でいじった。ピーターは脇が
汗ばんでいるのに気づいて嫌な気分になった。ダンブルドアが
再び口を開きかけたのと同時にピーターがあっと声を出した。
「何か思い出したのかな?」
「シリウス様が病気でふせっておいでの時は、リーマス様もシリ
ウス様の寝室に詰めておいででした」
 ダンブルドアは少しがっかりしたように、それは罪ではないと
話したので、ピーターはぎょっとして身体を竦ませた。
「シリウス様とリーマス様が罪をおかしているとお疑いなのです
か、やはり」
 ピーターは自分の発言で二人への疑いをはらせないものかと
必死で考えたが、汗が噴き出してくるばかりで焦った。ダンブル
ドアが疑っているのは倫理上の問題だろう。ダンブルドアが国
王に注進すれば、罪を問われかねない。同性同士の不埒な関
係は下手をすれば死罪だ。まさか、殺されはしないだろうが、
二人が引き離されることは確実だ。ピーターが身悶えせんばか
りに動揺していると、突然、ダンブルドアが笑い声をあげた。
とても愉快そうな朗らかな笑い声だった。
「まったく、おまえときたら、すぐに誰のことも好きなってしまっ
て!安心しなさい。わしはあの子たちを悪いようにはせぬ。気
になったから聞いてみただけじゃ」
 ピーターが恐る恐るダンブルドアの顔を見ると、先ほどと少し
も変わらず明るいブルーの瞳がピーターに微笑みかけていた。
「まぁ、そこの椅子を持ってきてここにお掛け。わしも座ろう。
もう少し、話しておきたいことがある」
 ダンブルドアは内心の失望を露ほども見せず、ピーターに声
をかけた。まだ全てが終わったというわけではないのだ。むしろ、
これからというべきかもしれない。自分のもとにいるべき者を戻す
試みは失敗した。しかし、より大きな流れを老練なダンブルドア
は感じとっていた。


「兄さん、しっかりしてください」
 レギュラスとリーマスが酩酊しているシリウスを抱えて客用の
寝室に運び込んだ。久しぶりの親友との再会に思う存分羽目を
外した結果だ。ジェームズも屈強な召使いに支えられて先に
セブルスが休んでいる寝室に引き上げて行った。
「楽しかったんだね、ジェームズと会えて。昔から二人で騒ぐと
こんな風だった」
 苦笑しながらリーマスが寝台に寝かせたシリウスの胸元を寛
がせると、シリウスは気持ちよさそうに息を吐いた。紅潮した頬
のせいでいつもより若々しく見える。レギュラスがシリウスの足
からブーツを引っこ抜くと、シリウスは横を向いて楽な姿勢をとっ
た。
「このまま、朝まで寝かせておきましょう」
 レギュラスの言葉に肯くと、リーマスは部屋を出ていきかけた。
この部屋には寝台が二つしかなく、リーマスは隣の部屋を使う
事になっている。
「あなたは横の寝台を使えばいい。僕が隣の部屋に行きますよ」
 レギュラスの申し出にリーマスは困惑した微笑みを浮かべた。
「兄弟が同じ部屋の方が自然だよ。シリウスの鼾が気になるか
もしれないけど」
 冗談めかして答えると、
「あなたとシリウスが一緒にいる方が自然だと思いますよ」
 レギュラスは淡々とした口調だったが、リーマスの頬は微かに
強張った。
「すみません、あなたを困らせるつもりじゃないんです。ただ本
当にそう思うんです。それにここでは人目を気にする必要はな
いでしょう?」
 リーマスは黙っていた。暗がりだとレギュラスは兄にそっくりに
見え、まるでシリウスに話しかけられているように錯覚しそうだっ
た。
「シリウスがあなたを連れ出したんでしょう。あの清浄な世界か
ら。僕はあなたはすぐにあの場所に戻ると思ってました」
 しばらく沈黙が続いた後、リーマスは静かに首を横にふった。
「修道院を出たのは僕の意志だよ。シリウスに罪はない」

(2013.4.28)

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