鹿と小鳥 第29話

 シリウスは供も連れずに一人でポッター家の居所に向かって回廊を
歩いた。いつもならそこかしこに誰かいて挨拶を交わすためになかな
か進まないことが多いのに、今日はシリウスの足音だけが響いてい
る。ポッター家の居所の扉を叩いたが、内側から扉を開け出迎える
近侍や女中は現れず、シリウス自ら扉を開けて部屋に入った。
部屋の中は静まりかえっており、暖炉の薪がはぜる音だけがする。
夏場でも暖炉の火だけは絶やされることがないのだった。暖炉の
傍の絨毯の上に小さなセブルスが一人で座っていて、その周りを
所在なげに純白のマルチーズが三匹うろうろしていた。普段なら必
ずジェームズか乳母がついているのに珍しいことだ。召使いが一人
も見あたらないこと自体が常にないことではある。セブルスは部屋に
入ってきたシリウスにちらりと視線をむけたが、すぐに読みかけてい
た紙切れに視線を戻した。セブルスが挨拶をしないのはいつもの
事だが、シリウスがセブルスが何故一人でこの部屋にいるのか、
ジェームズはどこに行き、いつ戻るのかと尋ねると、セブルスは
小さな声で、国王陛下、ご挨拶と呟いた。ジェームズは国王に
暇乞いの挨拶に赴いたのだろう。それでも召使いたちが一人もいな
いのは妙だが、セブルスはこれ以上シリウスと会話する気はない
らしく、籠につめた薬草の束の整理を始めた。ついに宮廷でも疫病
に倒れる者が出た。国王御一家も急ぎ離宮に避難されることになり、
宮廷中が移動の準備をしているところだ。シリウスも親友に別れの
挨拶にきたのだった。

「ジェームズが戻るまで、待たせてもらうからな」

と、言い捨てて崩れるように長椅子に腰を下ろした。暖炉の火のせい
か息苦しくて、上着の釦もいくつかはずす。シリウスは、こんな無表
情で愛想のない子どもを溺愛しているジェームズの気が知れなかっ
た。いつだったか、野の草花でジェームズが花冠を編んでやり、微笑
みながらセブルスの頭にのせてやっていた。清楚な妖精だとか妄言
を囁いているジェームズに礼を言うでもなく、見えない冠に眉根を
寄せていたセブルスは痩せた小さな手で花冠を毟りとると、花冠
を凝視した。そしてジェームズに目で合図すると、セブルスの様子
を見守っていたジェームズはたちまち相好を崩して二つ目の花冠を
作り出した。シリウスには何がどうなっているのかさっぱりわから
なかったが、器用に花を編むジェームズに、時々セブルスが次に
編む草花を指示して、たちまち二つ目の花冠ができあがった。次々
にできた花冠を細い腕に通してセブルスはジェームズに抱えられ
て部屋に引き上げていったのだが、数日後にポッター家の居所を
訪れたときに飾り棚の上に花冠が並べて干してあり、萎れた草花
の輪がロンドン塔の晒し首を彷彿させ、シリウスは気味悪く思っ
たものだった。シリウスの親戚でそのような最期を遂げた者は
少なくない。野心的な一族は血を流してでもより高い地位を望
むからだ。そんなことをとりとめなく思い出しているうちにシリウス
は喉の渇きを覚えた。ブランデーでも一杯もらおうかと思った時に、
ふと気配を感じた。いつの間に寄ってきていたのかシリウスの
目の前にセブルスが立っていた。手にいつぞやの花冠のなれの
果てをもっていて気味が悪い。セブルスは手に持った花冠の枯
れた花や草をを毟っては、口に放り込み、くっちゃくっちゃと噛み
だした。これは俺の来訪を快く思っていないという意思表示なの
だろうか。いやしかし、腹を壊したらまずいから止めた方がいい
のだろうかとシリウスがセブルスの突然の奇行に戸惑っている
と、セブルスはペッと噛んでいた草の塊を小さな手のひらに吐き
出し、さらにそれをシリウスの胸にべたりと貼り付けた。これで
明らかに嫌がらせと確定されたが、セブルスはそのまま踵をか
えして暖炉の方にとことこと走り去った。シリウスが胸に草の塊を
つけたまま呆気にとられていると、セブルスは水差しを床に置き、
またとことこと駆けて新たな花冠と乾燥させた茸までいくつか
かかえて戻ってくると、それを水差しに投げ入れた。それから
暖炉脇に置いてあった火掻き棒を細い腕でよろよろと持ち上げ
て水差しの中に突っ込んだ。ジュッと音がして青臭い匂いがたち
のぼる。シリウスは、咄嗟に何をしている!と怒鳴りつけたつもり
が、水の中にいるように自分の声がよくきこえなかった。セブルス
は火掻き棒をまた両手でふらつきながらもとに戻すとゴブレットを
床に置き、水差しの中の液体を注いだ。セブルスはゴブレットを
両手で持ち、シリウスに向かって突進してきた。怒鳴りつけよう
と開かれたシリウスの口にゴブレットを傾け、不気味な液体を流
し込んだ。勢いよく流しこまれたために、シリウスの首から胸元に
盛大にこぼれたが半分くらい飲んでしまった。シリウスは身体が
痺れたように動かないことに気づいた。今、盛られたのは毒に
違いない。吐こうにもろくに身体が動かせないのがもどかしい。
 セブルスは、ろくに歩けないのではなかったのか。いつもよたよ
たと危なっかしい歩き方をしていて、実際、ジェームズがセブルス、
あぶないよ!だとか、疲れただろう?などと言ってはすぐに抱き上
げてしまうのが常だった。シリウスがセブルスを鬱陶しく感じる
理由の一つにチビのくせに目線がほぼ同じということがあったのだ。
あのセブルスのひ弱さは、ジェームズをたぶらかす悪魔の申し子
の手管だったのではなかろうか。今や本性を現したあの悪魔は、
足音もたてずに部屋中を凄い速さでグルグルと走り回っているで
はないか。俺を弱らせ、呪文をかけて殺すつもりに違いない。悪魔
と一緒になって三匹の犬がキャンキャン甲高く鳴きながら駆け回
るので耳が痛み、目が霞む。それでも、あの悪魔に一矢報いて
やらねばとシリウスは朦朧とする意識の中、気力を振り絞って立と
うとした。その時だった。寝室から毛皮付きの毛布を引きずって
きたセブルスがシリウスに止めとばかりに毛布を被せた。頭まで
厚い毛布をかけられ息が出来なくなる。シリウスは苦しくてもがき
ながら死を思い、遠く離れたリーマスの優しい顔を求めた。

(2012.10.31)


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