鹿と小鳥 第24話

 時間をかけて梳られ艶やかに輝く黒髪を、ジェームズは満足気に見つめ
た。手にはブラシを持ち、朝晩の日課にしているセブルスの髪の手入れを
し終わったところだった。ジェームズとセブルスは既に寝間着に着替えて
いて、後は天蓋のカーテンを引いて休むだけだ。隣の小さな寝台ではマル
チーズたちが眠っている。セブルスはジェームズのブラッシングが終わる
といつものように小さな頭を振って髪を揺らした。その仕草が可愛らしい。
寝台に横になると、セブルスはジェームズの脇の下あたりの定位置に
身体を丸めた。ジェームズはそのか細い身体を優しく撫でていたが、ふと
可笑しそうにセブルスに話しかけた。

「この間のお話の返事はどうする?」

 怪訝そうに眉を顰めてジェームズをじっと見るセブルスの眉間の皺を
指で撫ぜて馴らしながら、

「ブラック家からの婚約の申し込みのお話だよ。君をシリウスの花嫁に
迎えたいって」

と囁いた。

「や」

一言で拒否したセブルスに、

「ふふ。宮廷中の女性がシリウスと結婚したがっているのに。彼ほど美
しく家柄の良い若者はこのイングランド中を探してもいないよ」

と揶揄うように笑いかけると、セブルスの小さな手がジェームズの寝間着
の胸のあたりをぎゅっと掴んでしがみついてきた。小さな身体を抱き寄
せて安心させるように暖めながら、

「まぁ、セブルスには結婚はまだ早いね。それにあんな名門に嫁ぐとなる
と面倒なことの方が多い。これからも僕のところにいなさい」

 手放すつもりは毛頭ないのにそんな風にいってきかせると、セブルスは
しばらく心配そうな表情をしていたが、やがてぐったりとジェームズに凭れ
てきた。眠くなったらしい。

「安心しておやすみ、可愛い人」

 セブルスのいない暮らしは最早あり得なくなっている。この間の小旅
行ではのっぴきならない事情からシリウスにセブルスを預けたが、出発
を遅らせても自分がセブルスの世話をするべきだったと後から後悔した。
こちらからの質問にセブルスがぽつりぽつり答えた内容が、馬で川を渡
ったばかりか、寄り道先で食事をしたりと衝撃的で、セブルスはシリウス
に懐くこともなく何処か怖がってすらいた。しかし、面白くないこともなか
ったらしく、親切にしてもらったとも言うので詳細は不明だった。シリウス
たちがダンブルドアから預かったピーターという少年はシリウスとセブル
スの供をして一緒に宮廷に戻ったのだが、ポッター家の居所にも度々
使いとしてやってくるようになって、セブルスとも顔馴染みになっている。
セブルスとシリウスの縁談は、あの小旅行からしばらくしてからブラック
侯爵夫人がさりげなく打診してきたので、ジェームズも些か驚いていた。
宮廷の回廊をシリウスがセブルスを抱えて歩いたことが噂になっている
ことは知っていたが、ブラック侯爵夫人がセブルスに次の侯爵夫人の白
羽の矢をたてるとは想像もしていなかった。シリウスにもその事が伝わ
ったらしく、直接ブラック侯爵夫人の先走りを詫びられたので一笑に付さ
れたのだが、ブラック侯爵家から花嫁に望まれたこと自体は光栄な話
だった。それよりも、話の発端となったポッター家の元使用人一家の様子
を見に行くために、時々遠出するとセブルスがその間食事をしないと乳母
から報告を受けており、帰るまで寝ないで待っていることが気がかりだっ
た。何度言い聞かせてもセブルスは聞く耳を持たないので、早く問題を
解決して不要な外出をやめなければいけない。明日の予定を確認して
から、セブルスの明日の衣装を決めるとジェームズも眠りに就くことにし
た。すやすやと眠っているセブルスの髪から爽やかな野の香りがした。
この頃セブルスはポプリをつくることに夢中だからだろう。清浄な香りに
包まれて良い夢を見ることができそうだった。

 セブルスの定期検診のためにリーマスとシリウスがポッター家の居所
を訪ねるとジェームズはまだ外出から戻っていなかった。先触れに送っ
ていたピーターは、窓際で何かセブルスの手伝いをしている。
セブルスは、部屋に入ってきたシリウスとリーマスの方を一度ちらり
と見たが、いつも通り挨拶するでもなかった。シリウスが近くまで行って
見てみると、セブルスは薬草の花びらを全部毟って日向に置いた笊の
中に放射線状に一枚ずつきちんと並べているところだった。乳母や召使
いたちがシリウスたちを恭しく出迎え、主人が戻るまで何くれとなくもて
なそうとしている様子には目もくれず、ひたすら不気味なままごとに熱中
しているのだった。シリウスがそのようなことをしていると魔女の疑いを
かけられて火炙りにされるぞと脅かすとわなわなと小さな痩せた身体を
震わせたところを見ると話しかけられている内容は理解しているわけだ
なとシリウスは考えたのだが、リーマスに聞かれていて珍しく強い口調
で窘められた。

「セブルスはこういう仕事が好きなのかい。とても上手だね」

とリーマスが優しく話しかけると、セブルスは微かに頬を緩めて乳母に
目で合図して大きな箱を持ってこさせた。セブルスが箱のふたを開ける
と乾燥した草の束が整然と入っていた。モスリンの小袋に小分けされ
てあるのは乾燥した花びらが入っているのだろう。セブルスのたどたど
しい話によると、ダンブルドアが薬草と一緒に保存方法を記した手紙を
送ってきたらしい。高名なダンブルドアの一介の幼女に対する破格の
親切にシリウスは驚いたが、リーマスはセブルスの言葉に一つ一つ
深く頷き、次の言葉を引きだしながら会話していた。セブルスはダンブ
ルドアが教えてくれた香り玉を作りたいらしい。材料はジェームズが
揃えるだろうが、シリウスは屋敷に珍しい香辛料があることを思いだ
して、セブルスに気前よく分けてやることにした。厨房頭のジョンが
勝手に横流ししていなければかなりの量があるはずだ。貯蔵庫に鍵は
かけてあるが、ジョンなら勝手に開けかねない。久しぶりにジョンと
対面して駆け引きするのも面白そうだ。シリウスは近日中にリーマス
とピーターと一緒に屋敷に戻ることにした。シリウスが上手にできたら
自分たちにも分けてくれと言ったら、セブルスは何故か躊躇する素振り
を見せてから不承不承頷いた。材料を分けると言っているのに吝嗇な
子どもだとシリウスは呆れたが、リーマスは楽しみだと優しく微笑んだ。
ジェームズが帰ってくるまでセブルスが一人で応対したのはこれが
初めてのことだったのだが、その事には誰も気づかなかった。

(2012.5.31)

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