鹿と小鳥 第23話

 隣国の弟からの手紙を読み終えて、シリウス・ブラックは溜息をつい
た。弟のレギュラスとは幼少時ともに育ったので仲が良いのだが、英国
から遠く離れたフランスの宮廷にレギュラスが赴いてからは、折に触れ
ての手紙のやりとりだけの交流だった。先日、レギュラスが久しぶりに
帰国した際には一緒に過ごせて愉快だったのだが、その時にレギュラス
は偶然出会ったジェームズが拾ってきた不気味なセブルスのことが気に
入り、フランスに戻った後も兄への手紙で何かにつれ話題にし、ポッター
家にも手紙や物を送っているらしい。最近では短いながらもセブルス直筆
の返事が来ると喜んでいた。我が弟ながら変な趣味だが害はないだろう
と思って気にしてはいなかったのだがそのレギュラスからシリウスの軽率
な振る舞いをやんわりと窘める手紙が届いたのだ。ジェームズが計画した
修道院への小旅行にシリウスとリーマスが同行した帰りに、思いがけない
事情からシリウスがセブルスを連れて宮殿に帰った時のことだった。途中
の村で休んだが、日没前には到着した。セブルスを馬から地面に降ろす
と、セブルスはよたよたと覚束ない足取りで歩きだした。リーマスはセブル
スの足は悪くないと言っていたが、一応前に進んではいるもののまっすぐ
に進めていないしひどくのろい。シリウスは痺れを切らしてジェームズの
ようにセブルスを腕に抱えて、さっさとポッター家の居所に向かった。セブ
ルスは無言だったがいつものことだし、廊下の女官や貴婦人たちの視線
を感じないではなかったが、ジェームズがいつもしていることなので自分が
しても同じ事だと思っていた。後ろをダンブルドアから預かったピーターが
従いていたので二人きりというわけでもなかった。ピーターに抱えさせれば
よかったのかもしれないが二人の身長にそれほど差がないのでガウンの
裾が汚物の落ちている床に擦れてしまいそうだったのだ。後からジェーム
ズから礼を言われたのでそれで済んだはずだった。それが遙か異国の地
のレギュラスの耳にまで届いて心痛させる事態を引き起こすとは思いもよ
らない事だった。兄さんはとても人目をひく存在なのだから、レディと接す
る時にはくれぐれも慎重に、さもないと醜聞は避けられませんとレギュラ
スは書面で警告してきた。あの痩せっぽちの子どもをレディとは笑わせる
が、冗談めかしてリーマスに愚痴ると、

「そういえば、ブラック侯爵夫人にセブルスのことをきかれたよ」

という返事が返ってきたので心底驚いた。母親は相変わらずリーマスを
自分のサロンに呼びつけているらしく腹立たしいが、今はそれを問題にし
ている場合ではない。

「それはどういうことだ?俺の母親が何故あのチビの事をおまえに聞く
んだ」

意味が全くわからなかった。リーマスは淡々と話を続けた。月の光の
ような金髪に色素の薄い穏やかな瞳はいつもとかわりなくシリウスの
心を慰めてくれる。

「王妃様に付き従われて礼拝所に行かれたときに、乳母に連れられた
セブルスを何度か見かけられたそうだよ。とても内気なようだが、慎み
深く清楚な令嬢だと感心されていた。君がしょっちゅうポッター伯爵家に
出入りしていて、セブルスとも顔見知りだということももちろんご存じで
ね。きみがセブルスにガウンを贈ったことも知っておられて、内気な女
の子を懐かせていくにはよいやり方だとおっしゃっていた。女の子は
綺麗なものを身に纏うことが好きなものだからとおかしそうに笑って
いらしたよ」

「ガウンではなくマントと帽子だ」

そんなことはどうでもいいとわかっていたが、気に障ったので訂正した
シリウスにリーマスは苦笑して、

「修道院から宮廷に戻ってきた時に、君がセブルスを腕に抱いて廊下を
歩いて女官たちが大騒ぎされたことには軽率すぎる振る舞いだと嘆いて
おられたけれどね」

と目配せした。これでわかった。母親がくだらない妄想をレギュラスに
書き送ったに違いない。

「それで、おまえに何を尋ねたんだ、俺の母親は」

母親の謀略は大体察しがつくし、実のところセブルスのことなどはどう
でもよく、目の前で話している相手の表情を慎重に見極めようとさりげ
なく視線を向けた。

「数年後に出産は可能かどうか医者の意見をききたいということだった。
セブルスはとてもか弱くみえるからね」

リーマスは医者らしく冷静な口調で話した。表情はいつもとかわりなか
った。

「何と答えたんだ。俺の見立てではあいつは石女だが」

廊下を担いで歩いただけで、結婚話にまで話が飛躍しかけている事態
が馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。

「もちろん大丈夫だろうとお答えした。実際、今のセブルスはどこも悪く
ないしね。ジェームズがもう少し外に連れ出すといいんだけどね」

そうだろうか。セブルスのあのひどく頼りない歩き方一つとっても弱々
しすぎるように見える。あの小旅行でセブルスと接してみて、密かに
勘ぐっていたジェームズとの愛人関係は否定せざるを得なくなった。
ジェームズがセブルスを養育しているのは風変わりな慈善心からに
違いないと確信しつつある。

「それを医者に確認しておいて、本人の承諾なしに結婚を申し入れる
つもりだったのか。相変わらず勝手な親だ」

憤慨したふりをするシリウスを優しく見つめて、

「長い反抗期の嫡男に何とか歩み寄ろうとされているんじゃないかな。
君を親友のジェームズの家の娘と結婚させれば君が落ち着くと考えら
れたんだろう」

と諭すように話す。薄いブルーの眸は漣ひとつなく穏やかに澄んでいた。

「口を開けば家柄、家柄と五月蝿い癖によくこんな突拍子もないことを
思いつくものだな。まぁ、ポッター家なら持参金には困らないだろうが。
ジェームズの気まぐれに呆れているのに、親まで変なことを言い出して
迷惑だ。まぁ、念のためにジェームズには話をしておこう」

もし自分が結婚したら、リーマスはどうするのだろうか。別に何も変わら
ず、自分の勤めである医術で人を癒す日々を送るに違いない。それでも
一緒に暮らしてくれるだろうか。否、そのような事は許されないだろう。

「ところで、ピーターは役に立っているのか」

話題を変えると、リーマスは顔を綻ばせた。

「ああ。道を覚えるのも早いし、患者についてもよく把握しているし、
物覚えが良い子で助かっているよ。ただ、ちょっと血が苦手みたいで…」

血が苦手だなんて医者の助手としては致命的な欠点のような気が
するが、リーマスは何でも一人でできるのであまり困らないのだろう。

「そういうことなら俺の使いの仕事を増やそうか。早速、明日にでも
ジェームズのところに手紙を届けさせよう」

そうしてくれるとピーターも喜ぶよ、あの子は君に憧れているからね
と話すリーマスの優しい顔にはいかなる曇りも見えなかった。

(2012.4.22)


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