鹿と小鳥 第22話

 シリウスがセブルスを乗せて馬を走らせていると川に出た。流れの
緩やかな浅瀬だったのでそのまま馬を川の中に進ませる。ジェームズ
が見たら卒倒するかもしれなかったが、シリウスは自分の乗馬技術
に自信があったし、馬との信頼関係もある。それにセブルスがどんな
反応をするのか少し意地の悪い興味があった。ピーターも大きな馬を
巧みに操りながら落ち着いて川を渡っている。シリウスはわざとゆっく
りと馬を歩かせたが、セブルスは無表情のままだった。しかし、水が
嫌いらしく微かに震えている。いっそ子どもらしく泣けばいいのにとシ
リウスは思った。暴れて水に落ちてしまえばいいという残酷な気持ち
とジェームズからの預かりものを守るという理性がシリウスの心でせ
めぎあう中、馬は楽々と川を渡りきった。
 陸に上がるとシリウスは休憩をとることにしてピーターに声をかける
と中途半端な場所なので困った顔をされたが、ピーターはセブルスの
顔色の悪さに気づくと休憩できそうな家を探してくると急いで馬を集落
の方に向かわせた。暫くしてから戻ってくると少し先にパン屋があり、
そこからさらに奥に大きな農家があるということだった。その農家に
休憩をとりたいと伝えてきたというのでそちらに向かったが、パン屋の
前で興味をそそられて馬を止めた。馬から下りてセブルスを抱え降ろ
すと大人しくはしていたが、ジェームズの扱いとの違いを感じとってい
るのかシリウスが嫌いなのか身体を強張らせている。地面に降ろして
よいものか判断が付かなかったのでシリウスはセブルスを抱えたまま
パン屋に入っていった。パン屋ではパンを竈に入れる準備で大わらわ
で、突然の侵入者に罵声を浴びせかけた主人が場にそぐわない高貴
な身なりの二人に驚いて駆け寄ってきた。

「すまないが、ここの様子を見物させてくれないか。私は、ブラック
侯爵家のシリウスだ」

ブラック家の威光はこの辺りにも知れ渡っているらしく、狼狽した主人
がお辞儀するやら使用人に言いつけてテーブルと椅子を運び込ませ
たり、葡萄酒を持ってこさせたりといった大騒ぎが落ち着く頃に、農
家から引き返してきたピーターがパン屋の前にシリウスの馬を見つ
けて飛び込んできた。ピーターは新しい主人の気紛れに慌てふた
めいていたが、早速椅子の小麦粉を拭き取り、セブルスがそこらを触
った手で弄ったために白く汚れた髪やスカートをそっと羽毛で撫ぜるよ
うな繊細な手つきできれいに直した。流石にダンブルドアが推薦する
だけのことはあるのかもしれなかった。
 パンを次々に竈に入れて焼き上げていく様は面白く、シリウスは
熱心に見入った。セブルスも切れ長な黒い目でじっと竈や部屋の内
部を見つめていた。焼き上がったパンを食べてみたいとシリウスが
頼むと、主人は使用人に果物のジェリーやパイ、チーズを貯蔵庫ま
で取りに行かせた。それに休憩するだった農家もシリウスたちがパ
ン屋にいると知ると鶏のローストやシチュー、自家製のエールを届
けてきていた。しかも、セブルスがウエストにかけていたシルクのポ
シェットから自分用の匙と一緒に塩と胡椒の小瓶を出してきてテーブ
ルの上に置いた。過保護のジェームズの配慮らしい。セブルスはじ
っとテーブルを眺めていたが、

「みず」

と呟いた。生水は疫病の元だからエールを飲めとシリウスが言う
とむっとした表情になる。ピーターが機転を利かせて木の椀に水を
汲んで持ってくると、これだという風に頷いて指を洗ったので、手を
洗う習慣などない人々はセブルスの小さな貴婦人ぶりに感心した。
隣に貴婦人が座っている場合の作法としてシリウスがセブルスの
為に肉を薄く切り分けたり、パンを取ってやったりする様子をその場
にいた者たちは好奇心に満ちた眼差しで見ていた。ピーターはシリ
ウスに言われて主人の傍の席に座ることになった自分の出世ぶりに
興奮して、この事を母親に手紙で知らせようと心に誓いながらパン
やシチューを腹に詰め込んでいた。シリウスはパンの味を見たり、
鶏の腿肉を掴み取ってセブルスの塩とエールをかけて頬張ったり
しながら、セブルスの世話を何くれとなくやいた。パンにジェリーを
のせたり、チーズを食べるように勧めたりすると、セブルスは無言
だったがシリウスの親切に従って口に運んだ。シリウスはこの子ども
が疎ましいのと同時にジェームズのように自分が振る舞ってみたい
気持ちとジェームズに失望されたくないという思いが強かったので
結果としてセブルスに親切にすることになった。それに今日のセブ
ルスはシリウスが選んで贈ったマントと帽子を身に着けていたし、
ガウンやヘッドドレスもジェームズに助言して誂えたものだったので
シリウスの趣味に合っており、食卓を見物している人々の目には似
合いの組み合わせに映っていた。同じ艶のある黒髪をしているし、
セブルスはブラック一門の令嬢だろうかと噂されていたのだった。

(2012.3.3)

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