鹿と小鳥 第2話

  「ポッター家から、ルーピン様に至急おいでいただきたいと使いの馬車
が参っております」

 夕食の後、居間の暖炉の前でいつものように親友同士で酒を酌み交わ
して寛いでいたところに侍女が慌ただしい様子で現れ、リーマス・ルーピ
ンにポッター家の紋章入りの手紙の載った銀の盆を恭しく差し出した。

「ジェームズが病気なのか?ジェームズの家にはお抱えの医師が敷地内に
住んでいるはずだが」

「ジェームズが病気というわけではないようだよ。誰かを診てほしいようだ
けれど。詳しいことは書いていないけど特別な客人みたいだ」

 手紙を読み終わった青年が落ち着いた声で答えた。蝋燭の明かりの下
で淡い色の金髪が輝き、柔らかくカーブを描いた肩や全体的にほっそりと
した体つきのためにいかにも優しげに見えた。整った顔立ちをしているの
に常に穏やかな表情を崩さないので地味な印象を人に与える。

「特別な、ね」

 揶揄うような響きで言い返した青年は、自身で輝きを放っているかのよ
うな華やかな美貌の持ち主だった。ウェーブがかった艶やかな黒い髪、
切れ長な黒い瞳に完璧な形と高さの鼻梁。唇は皮肉な形に歪められてい
ても十分に人を魅了する。中高の顔の造作には非の打ち所がまるで見あ
たらない。
凛々しく女性的なところが全くないにも関わらず、優美そのものだった。
シャツのボタンをいくつか外してソファにだらしなく寝そべっていてもそれが
かえって魅力的に見えるほどだった。

「とにかく行ってみるよ」

「あぁ、どうせポッター家の親戚の老人の誰かが、怪しげな店に出入りして
羽目を外して、怪我をしたか腰を抜かしたかったってところだろ。
リーマス気をつけていけよ。遅くなって泊まるようなら、明日こちらから船を
出すからそれに乗って帰って来い」

「ありがとう。君も飲みすぎないようにね、シリウス」

 使いの者に伝えるために退出する侍女と一緒にリーマスはいったん
自分の部屋に医療道具や薬品を取りに行くために急いで部屋を出ていっ
た。

「シリウス様。新しい葡萄酒をお持ちいたしました」

 先ほどリーマスに手紙を持ってきた侍女が、葡萄酒や肴を載せた盆を
もって戻ってきた。

「気が利くな。少し、話の相手をしてくれないか。飲みすぎたら、リーマス
に叱られるからな」

侍女は微笑みを浮かべた。先程までの取り澄ました仮面を外すと急に
若い娘らしい様子になった。侍女はシリウスの向かいではなく、隣に腰
掛けた。

「明日の朝は、俺がコルセットの紐を締めてあげる」

唇を寄せて耳に息をふきかけながら囁いた。軽く首や鎖骨に口づけを落
としながら、ガウンをはだけさせた。陶器のような肌が薔薇色に染まり、
乱れ始めた息づかいで形のよい胸元が揺れる。娘のほっそりとした腕が
シリウスの首に回された。シリウスはすっかり力の抜けた娘の甘くやわ
らかな身体を軽々と抱き上げると、自分の寝室に向かった。



「それで、そのジェームズが引き取ったという子どもは元気になったのか」

「僕が診察した時は、高熱を出していて衰弱がひどかった。長い間ひどい
暮らしをさせられてきたのだと思う。身体中に生傷と痣があって、骨と皮
ばかりでね…。いつ命の火が、ふっと消えてしまってもおかしくない状態
だった。何とか薬が効いて熱が下がってくれたので、あとは安静にして
体力が回復するのを待つしかないから、いったん戻ったんだけど」

「迎えの船が空で帰ってきてから、いつまで経ってもリーマスは帰って
こないし、俺には来るなという。宮廷に出るのも面倒になって引き篭っ
てた」

「屋敷の中で楽しんでいたんだろう。僕に手紙を渡しにきた侍女はいかに
も君好みだった」

「はは、何でもお見通しだな。あの娘は、わが母上付きの侍女に取り立て
られることになった。大事な晩餐会を欠席した俺を叱責に来た時に応対に
出たあの娘の立ち居振る舞いがお気に召したそうだ。宮廷に上がれるの
で本人も喜んでいる」

「それはそれは。良かったじゃないか。君も宮廷で会えるだろう」

 実際、宮廷で逢い引きすることもできるだろうが、母付きの侍女になった
からには主人に重きを置くものだろう。母親に自分の情事を覗かれるなど
真っ平御免だった。宮廷で夜更けに、自分の寝室にシリウスを入れてくれ
る女は幾人もいる。
リーマスは医師としての仕事が忙しくシリウスとずっと一緒にいるわけで
はない。もう一人の親友ジェームズ・ポッターとお互いの居室でいること
が多い。
女と過ごす夜もいいが、親友と過ごす時間の方が大切だった。
ジェームズとシリウス、リーマスは同じ司教のもとで学んだ。それ以来、
彼らとの友情がシリウスにとってこの世で最も価値があるものだった。

「ジェームズのところにまた行くのか」

「様子を見に行ってくるよ。ジェームズからの手紙では大分良くなってい
るみたいだけれど、今後のことも含めて相談にのりたいしね」

「俺も一緒に行く。俺だけ仲間はずれみたいでいやだ」

リーマスはあきれた顔を隠さなかったが、シリウスは平気だった。

(2011.6.20)

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