鹿と小鳥 第19話

 今日は予想外の事が起きた一日だったとジェームズは修道院の来客
用の寝室で思い返した。本当なら初めて遠出した先々の景色や出来事
のことをセブルスと二人で話し合っていたはずだった。セブルスの小さな
背中を見つめながらジェームズは溜息をついた。
シリウスに任せて先に行かせたことで拗ねているのだろうか、今夜は
いつものようにジェームズの胸に顔を埋めてこない。肩が冷えないよう
に布団で包んでやったがこちらを見ようとはしなかった。いつでもセブル
スのことを最優先にしているので、セブルスをシリウスに預けることに
躊躇がなかったわけではない。しかしセブルスに貧しい暮らしぶりや
病んだ子を見せたくはなかった。かつてのセブルスの境遇を思い出させ
るものとは関わらせない。セブルスは自分が責任を持って養育している
のだからそのようなものに再び交わらせたくなかった。リーマスに病人
を診てもらって、当座の生活費を渡したが早急にキャサリンと家族の暮
らしが立ちゆくように世話をしなければいけない。偶然だが自分たちが
あの村を通りかかって良かったのだろう。亡き父はいつも使用人に親切
にしなければいけないと言っていた。弱い者の立場を思いやらなければ
いけない、そうしなければそこからおまえの世界は綻びてしまうよと幼い
頃から繰り返し言い聞かせられたものだ。
 背中を向けていたセブルスが急にころころと転がってきた。いつもの
定位置に頭をくっつけてくる。ジェームズは愛しさに考え事を忘れて小
さな身体をそっと抱きしめた。ずっと以前から二人きりで生きてきたよう
な気がする。少なくともこれからはそうやって過ごしていくのだ。セブル
スを抱き寄せて、ジェームズも眠りについた。

 早朝から、シリウスは憂鬱だった。例の小太りの少年の弾んだ声に
叩き起こされてリーマスとともに礼拝に向かったが、日頃は忘れきって
いる罪悪感が胸から溢れでそうになり二日酔いのような吐き気に見舞
われていた。リーマスはいつもと変わりなく落ち着いた様子でダンブル
ドアの説教を聞いていた。隣ではジェームズと小さなセブルスも並んで
いる。昨夜、休む時間になってジェームズとセブルスが同じ部屋に案内
されたのでシリウスは道徳的に問題ではないかと密かに眉を顰めた。
リーマスと小太りの少年が当然のように受け入れていてもどうしても腑
に落ちないものを感じる。

「セブルスはまだほんの子どもなのだし、世話をする人間が必要だよ。
あの子が一人で休むなんて可哀想じゃないか」

とリーマスが言ったが、そもそもジェームズとセブルスは赤の他人同士
で、セブルスより二、三年長くらいの少女で結婚する事は別に珍しいこ
とではない。どうして誰もおかしいと思わないのかシリウスは疑問だっ
た。今日のセブルスは昨日とは違うガウンを着ている。乳母がいない
のだからジェームズが着せたのだろう。あのセブルスが自分で着替え
ができるわけがない。そんなことをつらつら考え続けていたのでシリウ
スは上の空だったが皆と同じように祈りの言葉を捧げるふりをしてい
た。礼拝の後、ダンブルドアに声をかけられた。

「シリウス、久しぶりじゃの。国王陛下の覚えもめでたく、宮廷で活躍
している噂はこの爺のところまでもよくきこえておるよ。リーマスが医師
として多くの者を助けているのもブラック家の援助があってこそできるこ
と。貴き身分の者は弱き者を助ける義務がある。心美しき援助じゃ。
リーマスにはここでこの年寄りの手伝いをしてもらいたいと願っていた
のじゃが、そなたの傍にいる方がずっと世のためになるのだから仕方
あるまいの」

 ダンブルドアは柔和な表情でシリウスとブラック家を讃えたが、シリウ
スにはその一つ一つの言葉が小さな棘のように胸にちくちくと刺さった。
リーマスがシリウスの援助で行っていることをこの修道院でできないわ
けではないのだ。英国屈指の富裕な寺院で、広大な薬草園を持ち、医
療の心得のある修道士たちが無料で日夜貧しい病人の治療に当たっ
ていることで有名だった。それも修道院長ダンブルドアの名声とその政
治手腕によるところが大きい。シリウスは無沙汰の非礼を詫びてから、
リーマスの医術と友情が自分ばかりか多くの人を助けていること、及
ばずながらも手助けできてこちらの方こそ感謝しているとなるべく冷静
な口調で話した。リーマスは戸惑ったような表情をしていたが、ダンブ
ルドアはそれは重畳じゃと微笑みを浮かべた。

「おぉ、ジェームズ。この子が手紙でおしえてくれたセブルスじゃな。
とてもきれいな目をしている。この子に嘘はつけまいな」

今度はジェームズに抱かれたセブルスに祝福を与えてからにこやかに
話しかけた。

「セブルス、ここに来たからには卵の料理を食べていきなさい。新しい
卵料理を考えるのは修道院の仕事の一つなのじゃよ」

冗談めかした口調だったが、この修道院の料理は美味な事で有名だっ
た。ジェームズの父がここでジェームズに初歩教育を受けさせる事に
決めたのはこの修道院の料理の味が気に入ったからだったくらいだ。

「家に幼き者がいることは大いなる慰めになるじゃろう。ジェームズ、
セブルスを大切に育てなさい」

数年前に家族を失ったジェームズの境遇を思いやったあたたかな言葉
だった。セブルスは相変わらずの無表情でダンブルドアを見つめ、ジェ
ームズの方はダンブルドアに丁重に感謝の言葉を伝えた。

(2011.12.24)
 

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