鹿と小鳥 第10話


「レギュラス!、どうして…」

 と言いかけたシリウスを追い越し、ジェームズが足早に輿に近づく。
ジェームズの方に細い両腕を伸ばしたセブルスを抱きおろすとその
まま強く抱きしめた。時間が静止したように動かない二人の姿を、
その場に居合わせた人々は長く鮮明に覚えていることになった。
ちょうど引き返してきた乳母は、セブルスの姿を見て安堵のあまり
泣き崩れた。

「ジェームズ」

 小さな声がした。少しの間の後ようやくシリウスはセブルスが初めて
喋っていることに気づいたが、ジェームズは当たり前のように、どうし
たの?と尋ねた。

「ジェームズ、いぬのなまえ」

シリウスには謎の暗号のように思えたセブルスの言葉だったが、

「あぁ、犬達の名前をつけるのを忘れていたね。名前がないから呼
び止められなくて、あの子達を追いかけていったの?」

セブルスがこくりと頷いた。そう言われて気づいたが、クッションが
置かれた大きなバスケットの中にマルチーズ達も乗せられて運ば
れてきていた。皆の視線を受けて、甲高い声で自己主張するよう
に揃ってキャンキャンと鳴きだした。いつも櫛けずられてまっ白な
絹糸のように輝いている毛並みはところどころ縺れ灰色に薄汚れ
ている。廊下を駆けている間に床の塵にまみれてしまったのだ
ろう。

「レディが道に迷われていたので、お連れいたしました」

 ジェームズとセブルスの再会を静かに見守っていたレギュラス
がジェームズに話しかけた。

「私がうちの居所にいると廊下から犬の鳴き声がしたものですから、
外に出てみたんです。そうしたら、この可愛らしい方が途方に暮れ
ていらした」

そう言って、ジェームズの胸に抱かれたセブルスに優しい視線を
送った。レギュラスが見た時、床に座り込んだセブルスをマルチー
ズ達が守るように囲んで吠えたてていたらしい。

「お怪我などはないようでしたが、私の部屋にまずお連れしました。
それから、ポッター家の居室に使いをだそうと思ったのですが、レデ
ィが帰りたいようなご様子でしたので、私がお連れしました」

 詳しい話はまた後日にでもと言って、空の輿を担いだ召使い達を
従えて帰りかけたレギュラスに、ジェームズは厚く礼を言ってから、
部屋で休んでいってほしいと頼んだ。

「シリウスとも久しぶりなんだろう。きみが、フランスに行ってか
ら何年経つかな」

「三年になります。あちらの宮廷もなかなか居心地がよかった
ものですから」

 そういうわけでシリウス達も残ることになった。
それから、お針子と召使い達で部屋中の布を片づけている間に、
改めて仕立屋に今日の注文を確認した。上得意先に大事なかった
ことに安堵した仕立屋は、早急に仕上げて届けることを約束し、お
針子達を連れて部屋を退いた。
 リーマスが長椅子に横になったセブルスの足首を触診してから、
か細い手首をとって脈を診た。落ち着いてみると迷子になったくら
いで脈を採る必要があるのかシリウスは疑問を感じたが、ジェー
ムズが余りにも深刻な表情で見つめているので、自分も見守って
いる様子を取り繕った。しばらくの間、真剣な表情で脈を数えていた
リーマスがジェームズの方を向いて、

「大丈夫。問題ないよ。足も捻挫も骨折もしていない。歩き疲れて
座り込んでしまったんだろう」

と朗らかな口調で告げると、ジェームズがほっとした様子で、乳母
にセブルスの顔と手と足を洗うこととガウンの着替えを指示し、
召使いの一人に大冒険の後でかなり薄汚れているマルチーズ達
を石鹸とお湯でよく洗ってから乾かしてくるように言いつけた。
 いつものように葡萄酒やエール、木の実や果物、ハムやチーズ、
ケーキ類が所狭しと並べられた暖炉の前の食卓を、シリウスとリー
マス、レギュラス、着替えをすませて小綺麗になって連れてこら
れたセブルスを膝に乗せたジェームズが囲んだ。
召使いを動揺させるほど瓜二つの顔立ちをしているブラック兄弟だ
ったが、並んでみると性格の違いからか印象の違いが顕著だった。
シリウスが自身を燃やして輝く太陽ならば、レギュラスは透明な
輝きを放つ銀色の月のようにまるで対照的だった。
セブルスは自分をジェームズの所まで連れてきてくれたレギュ
ラスに礼を言うでもなかったが、レギュラスは気にする様子もなく
この一風変わった小さなレディに微笑みかけた。

「ところで、おまえはどうして戻ってきたんだ?あちらの宮廷で
何かあったのか」

 シリウスが三年ぶりに顔を合わせた弟に率直に尋ねた。シリウ
スとレギュラスのブラック兄弟は、頻繁にと言うほどではないが
折に触れて手紙のやりとりはしており、シリウスは両親に対して
反抗的な態度を露わにしているが、唯一の弟に対しては普通に
家族としての愛情を見せている。

「来週の従姉のナルシッサとマルフォイ公の結婚式に出席する
ために戻ってきました。父上もフィレンツェからお戻りです」

 ここのところ公爵夫人からシリウスの許にひっきりなしに手紙が
届いていたのだが面倒で読まずに放っていた。おそらくこのことに
ついての内容だったのだろう。
 シリウスは、ジェームズやリーマスと同じ修道院で学ぶ年齢に
なるまでは、レギュラスと二人きりでブラック家の城の一つで育
った。
いつか、シリウスがリーマスに話したことがある。レギュラスが
生まれるまで自分は独りぼっちだった。レギュラスは自分にとって
一緒に過ごしたことがある唯一の家族だと。
 

「ナルシッサの結婚か。そろそろだと思っていたが、うっかりして
いたな。持参金の話し合いがついたのか」

「ええ、そのようです。式は、国王の礼拝所で執り行われ、国王
が出席されるそうです。我が家は全員出席です」

両親だけなら無視してもよかったが、この弟がわざわざフランスか
ら戻ってきたのだから、いらぬ波風を立てる必要もあるまいとシリ
ウスは鷹揚に考え、自分も出席することに異議を唱えなかった。

「そういえば、どうして、ポッターに縁のある子どもだとわかった
んだ」

レギュラスは黙ってセブルスのチョーカーに視線を落とした。金の
Pの文字を二連の真珠でセブルスの華奢な首を飾っている。
最近、ジェームズが特別に作らせたもので、Pの部分は金鍍金が
施されてあるがもともとは骨董品だったことが典雅な意匠から見て
取れる。ポッターにちなんでジェームズが何処かで買い求めて直し
たものなのだろうが、少しあからさますぎやしないかとシリウスは
感じていた。セブルスは気に入っているらしく、しょっちゅう身につけ
ているのでセブルスのトレードマークになりつつあった。

「まぁ、驚かされたが、無事でよかったな。あの仕立屋が
衣装を持ってきたら俺にも見せてくれ。どんな風にできたのか
興味がある。この代金は俺が払ってもいいし、また新しいガウン
を注文してもいい。いや、俺がここに来た時、扉がきちんと閉め
られたか覚えていないんだ。それで今日の騒ぎの責任の一端を
感じているから、そうさせてほしい」

そんな気遣いは無用だと言うジェームズの反論を封じるように、

「レギュラス、父上と母上への挨拶はもう済ませたのだろう?
それなら、俺の家に来い。積もる話もあるし、なかなか居心地が
よい家なんだ」

と弟に話しかけた。レギュラスは一瞬微かに困惑した視線をリー
マスに投げかけてから、そうさせてもらうと答えた。

(2011.9.20)
 

 
inserted by FC2 system