Night→Morning 1

 部屋の状態は住んでいる者自身が表れていると聞いたことが
ある。それならば現在の我が家の惨状は私の荒んだ精神状態
を見事に映し出しているといえるのかもしれない。何日もカーテ
ンはおろか窓を開けておらず、掃除もしていないので部屋の空
気は淀んでいる。キッチンのシンクには使用済みの食器が積み
重なり、洗濯しなければいけない衣類が床に散らばっていた。
私自身も何日も髭を剃らず、湿った毛布にくるまってベッドの中
で惰眠を貪っている有様だ。最悪な状況だが人生にはこういう
時もあるのだということを私は幾度となく経験してきた。定職に
つくことが難しい疾患を抱えている身の上であり、長年不安定
な生活を送ることを余儀なくされてきたので不遇には慣れてい
る。そしてその切り抜け方も知っている。切り抜けるというより
はやり過ごすというほうが正しいかもしれないが。また一から
頑張って真面目に生きていく。しかし今日は無理だ。そんな気
になれない。明日からにする。
 それでも日が暮れてから億劫だったがのろのろと体を起こし
寝台から出た。近所のスーパーの特売の日だからだ。散らかっ
ている部屋の惨状は無視して洗面所で顔を洗い、髭を剃った。
面倒だったが、無精ひげのまま外を歩くと、麻薬中毒の疑いで
職務質問されそうだったからだ。洗面台の鏡に写った顔は目の
下に濃い隈がでて、皮膚がかさついていて病人じみている。
以前セブルスに指摘された白髪も順調に増えているようだ。
自分の老化に溜息をついてから上着(五年着ている )を着込み
扉を開て、呆然とした。
「今、ノックしようとしていたところだ」
滑らかな低い声にも驚きの響きがあった。
「セブルス」私は確実に間抜けな顔をしていたと思う。
「近くまできたので寄った」
ちょうど廊下のうちの部屋の前の照明が切れかけて点滅を繰り
返しているのが目障りらしく軽く眉を顰めているが、声は至極落
ち着いていた。私の部屋はマグルの居住区にあり、セブルスも
心得ているようにマグルのコート姿だった。
「どうしてここが?」
いつも私がセブルスの家を訪問するばかりでセブルスが私の家
を訪ねてきたことは今まで一度もなかった。セブルスの家で私が
料理を作り、二人で食べ、一緒に寝る。あるいはセブルスが作っ
てくれる脱狼薬を私が飲み、数日寝込む。
いや、こちらの方が先だ。魔法薬作りの名人のセブルスが人狼
の私を助けてくれているのだ。せめてもの礼にと料理を作ったら
予想外にセブルスに好評で、その流れでベッドを共にするように
なった。満月期には必ず数日会うが、それ以外の日にセブルス
を訪ねるのは私にとってとても楽しみにしている事だったが、ここ
二三ヶ月遠ざかっていた。仕事があまり上手くいかなくなり、つ
いに職を失ったからだ。自分が惨めに思えて仕方ない時にはセ
ブルスに会いたくない。
「前から知っていた」
私に会いたくなって調べたのだろうか。その可能性は低い。セブ
ルスは一見冷淡なようだが昔から端から見れば異常に感じられ
るほど周囲の詳細を把握しておきたがる性格なのだ。スリザリン
寮生の特質である自己保身のためにはまず他を知っておかなけ
ればいけないからだろう。しかしセブルスの場合、私の秘密を探
ろうとして人狼化した私にあやうく殺されかけたこともあり、少々
行き過ぎの傾向は昔からあった。おそらく、私がセブルスに脱狼
薬を作ってもらうことになった時に私のことを調べておいたのだろ
う。ホグワーツを辞め、なかば隠遁したように暮らしていてもスリ
ザリンは一生スリザリンだ。
「お前、もしかして出かけるところだったのか?」
「いや、近所に買い物に行くだけだよ。別に行かなくてもいい。
ちょっと待ってて。部屋が散らかってるんだ。すぐ片づける」
一度扉を閉め、急いで荒れた部屋を片づけた。床に落ちている
服や下着を拾い集め、テーブルの上に放置されていた食器を
シンクに持っていって洗ってから、魔法を使えば簡単に片づいた
ことに気づき、苛々した。表面的な体裁はどうにか整えたが、部
屋には数日感のだらしない生活の淀みが漂っていた。傷んだ
食べ物と人狼の獣臭。私はよく自分の貧乏生活を冗談混じりに
セブルスに話していた。大変だけど工夫してそれなりに楽しく暮
らしているんだよ。それなのにこの様は何だ。もしかするとセブル
スは私の虚勢を真に受けて突然訪ねてきたのかもしれない。セブ
ルスのことを愛しく思う気持ちが疎ましさに繋がり、自分の卑屈さ
に嫌気がさして溜息が出た。
 薬缶を火にかけてから、一呼吸おいて扉を開けるとセブルスは先
程と同じようにその場に立っていた。何故かセブルスは帰ってしま
ったのではないかという気がしていたのだが、セブルスは特に待
ちくたびれた様子もなく、部屋の前に佇んでいた。私が扉を開くと
先程は気づかなかった廊下の床に置いてあった旅行用のトランク
を持ちあげ、すたすたと部屋の中に入ってきた。同時に数種類の
薬草が混じりあっているようなセブルス特有の匂いが部屋にふわ
りと漂う。久しぶりに嗅いだが、遠い少年時代からよく知っている
匂いだ。
「まぁかけてよ。今お茶を淹れるから。旅行に行ってたの?」
セブルスは素早く視線を四方に巡らしてから、テーブルまで
歩いてくるとトランクをまた床に置き、椅子にすとんと座って
足を組んだ。コートを着たままなのは長居しないつもりだからなの
だろうかと思ったが、暖房をつけていない部屋が寒いからかもしれ
ない。
「魔法薬学の学会がロンドンであった。日帰りの予定だったが資料
が多くて大荷物になってしまった」
「そうなんだ。セブルスも発表したんだね」
私の問いというか確認をセブルスはあぁと短く認めた。マルフォイ
の屋敷に招待された帰りなのではないかという私の内心の暗い憶
測は即座に否定された。セブルスの表情は平然としていたが幾分
緊張と疲労が浮かんでいたので、私は紅茶に独断で砂糖をセブ
ルスの好みより多めに入れておいた。私自身は甘党なのでいつも
通りの量の砂糖を入れる。
「お前の淹れる紅茶はいつも美味いな。今日は甘めだが」
セブルスは鼻をひくつかせ、紅茶の香りを嗅ぐ仕草をした。
「うちのはスーパーの安物だよ」
セブルスの家では置いてある茶葉で淹れるのだが、紅茶の葉は
上等なものがおいてある。セブルスは銘柄に拘るのではなく品質
を重視しているようだ。
「いや、美味い。淹れ方がいいのだ」とセブルスは真面目な表情
で断言した。誉めてくれているのだと思うが、何となく困ってしま
った。
「発表ってさ、もしかして脱狼薬の?」
私が話を振ると、セブルスは途端に重々しく頷いた。しかし、その
表情がどことなく不機嫌そうでもあり、自分に関係することでもあ
ったのでそれとなく訊いてみると、現在魔法薬学会では人狼薬の
濃度について意見が分かれて議論が紛糾しているらしい。人狼薬
は満月期に人狼化しないで済むという人狼にとっては救世主のよ
うな薬だ。狂人でもない限り、誰かを襲って自分と同じ病気に感染
させて自分と同じ苦しみを味合わせたいなんて思わない。セブルス
の話では、人狼化を完全に抑えて日常生活を普通に送れるくらい
強力なものに改良するか、副作用の少ないぎりぎり人狼化しない
程度の濃度にするかで意見が真っ二つに割れているということだ
った。効き目を強力にした場合は相応の副作用があるが、鎮痛薬
を一緒に飲むことで緩和させるらしい。
「強力な薬を推す連中は人狼の社会進出を理由に挙げている。満
月期に普通に仕事ができることと、強力に人狼化を抑える薬を服
用することで社会的信用を得る効果もあるというのだ。聖マンゴで
人狼に無料で人狼薬を支給するという案も出ている。しかしながら
だ…」
セブルスの言葉を私が引き取った。
「魔法省が一枚噛んでいるんだね。無料で脱狼薬を支給するかわ
りに人狼であると申告しろと。人狼を登録させて魔法省の管理下
におきたいってわけだ」
「まぁそういうことだ、おそらくは」
人狼の登録制度は過去に何度か施行されたことがある。現在は偏
見による差別ということで撤廃されたが、魔法省はよりソフトな形式、
人狼の保護という名目で登録制度を復活させようと目論んでいるの
だろう。
「セブルスはどう思っているの?」
私はセブルスに尋ねた。セブルスは紅茶を一口飲んでから、話し
出した。
「今の脱狼薬ですら劇薬といっていい薬なのだ。これ以上濃度を濃く
し、副作用を薬で感覚を麻痺させて誤魔化すなぞ危険すぎる。常用
していれば脱狼どころではなく死狼になる可能性が高い。それから
薄くてもいかん。満月期の人狼の繁殖本能による攻撃性を完全に抑
制できなければ意味がない。そもそも脱狼薬はそんな簡単に濃度を
変えられるような薬ではないのだ。高度な技術を要するからな。
私は魔法薬学の専門家だし、お前の状態を把握しているからある程
度は調整して煎じられる。しかし、一般的には難しいだろう。私くらい
の水準になると教えてできるようになるというものではないからな。
その見通しが甘すぎるのだ。そう指摘したら反感を買った」
セブルスは苦々しげにそう話した。
そういえば、ホグワーツに赴任していた一年間セブルスに脱狼薬を
煎じてもらっていた間は、満月期に服薬すると人狼化はしなかった
が寝込んでいた。あれは万一の事態に備えてセブルスが薬を調整
していたのか。今もやはり脱狼化はしないが格段に楽だ。倦怠感と
やはり髭と体毛が濃くなること、生肉を無性に食べたくなるくらいで
済んでいる。
「大体、人と接触しない場所で過ごせるなら脱狼薬を飲む必要はな
いのだ」
セブルスは人狼は特別な病気ではないといいたいらしい。おそらく
私に対する思いやりだと思う。
「それはいやだ。私は人狼化したくない。誰にも見られないとしても」
私は小さな声で呟いた。
「そうか」セブルスは静かに答えた。私は気まずい空気を振り払うよ
うに、
「これからどうする?ゆっくりできるのかい。よかったら何か作ろう
か?」と思い切って話題を変えた。あっ、材料が切れてるなと、我
ながらわざとらしすぎると思いながら立ち上がると、
「先ほど買い物に行くと言っていたな。私もついていっていいか?」
とセブルスが意外なことを言い出したので驚いてしまった。
「お前が私の家に来る時はいつも材料を持ってくるだろう。どこで買
ってくるのか気になっていたのだ」
セブルスは真面目な表情で私の顔をじっと見た。暗に連れていけと
言われているようだ。
「普通のスーパーだよ」
「マグルのだろう?」
再び、セブルスの切れ長の黒い眸が私の顔をじっと見た。セブルス
は人の顔をじっと見つめる癖がある。おそらく優れた開心術士だか
ら無意識に人の顔を見るのが習慣になっているのだろうが、セブル
スに見つめられるとどきりとしてしまう。
セブルスはマグルの世界で生まれ育ったのに、ホグワーツで長く
暮らしていたせいか、純血主義のスリザリン出身であるからかマグ
ルのことに疎い。現在、マグルが居住している地域に住んでいるに
も関わらずだ。そもそもセブルスには少々浮き世離れしたところがあ
って生活感というものが希薄だ。
「マグルの店の方が商品が豊富だからね。じゃ、一緒に出かけよう
か」
セブルスはうむと肯くとすぐさま立ち上がった。マグルのスーパーに
かなり関心がある様子だ。そして近所のスーパーに到着するやいな
やセブルスは興味深げに陳列棚を観察してまわり始めた。特に缶詰
の棚はわざわざ缶を手にとって丹念にラベルを読んでは、苦笑したり、
感心している風だ。セールになっているソーセージ入りのスパゲティ
の缶詰(すごく不味い)をずいぶん長いこと眺めていたので、
「買う?このカゴにいれなよ」と声をかけると、セブルスは私の声に驚
いたようにこちらを向いてから、口元に笑みを浮かべた。
「いや、少し懐かしくてな。昔、父がよく食べていたのだ。母は料理が
あまり上手くなかったからな。考えてみれば、こうして食材を買うことも
母には難しかったのではないかと思う」
セブルスが両親について話すことは珍しいことだ。マグルの父と魔女の
母の間に生まれたセブルスはどのような幼年期を過ごしていたのだろ
う。マグルの世界に慣れない母に育てられて不自由することも多かっ
たのではないか。次はカスタードパウダーの缶を手にとって真剣な表情
で成分表示を読んでいる、中高で知的な横顔をそっと見つめた。
セブルスは私の視線を感じたのかまた振り向き、
「あぁ、私が払うから好きなものをそのカゴに入れろ。今日はもう遅くな
ったからお前の家に泊めてくれ。その礼だ」と言った。
「泊まるのはいいけど、私が払うよ」
「お前失業中だろう」セブルスは私の現状を容赦なくはっきりと指摘し
た。ハリーがセブルスに教えたに違いない。お喋りめ。
ハリーは学生時代、セブルスのことを憎んでいるといっていいほど嫌っ
ていた。しかしセブルスが実は自分のことを守ってくれていたと知って
以来、一転してセブルスを慕うようになりスピナーズエンドにも出入りし
ているのだ。私にはあまり面白くない話だが止める術はない。
「失業したらうちに来なくなるからすぐわかる」
セブルスの声には揶揄うような響きがあった。
「ハリーに聞いたんじゃないの?」
「ポッター?そういえば最近忙しくしていたので相手をしている暇がな
いから一度追い返してやった。あれから梟を何度か飛ばしてきたが。
あいつの梟は返事を書くまで帰らないから面倒だ」
セブルスは眉間に皺を寄せてぶつぶつ文句を言ったが本気で怒って
いるのではないようだ。それからおもむろに献立を提案しだしたので
何事かと聞いているとどうやらセブルスは私がスピナーズエンドで作
った料理を詳しく覚えていて特に気に入りのものを作れということらし
い。野菜や肉、魚だけでなく、油やバター、パン、ミルクも切らしていた
し、アルコールも買い込んだので結局しばらく籠城できそうなくらい大量
の買い物になった。セブルスは無愛想なレジ係の店員を一瞬怖じ気付
かせるほど鬼気迫る形相で正確に支払いを済ませた。もちろん支払う
のを惜しんで怒っていたのではなくマグルの金に慣れていない緊張か
ら顔が強ばってしまったらしい。二人とも両手にレジ袋を提げて歩いて
私のアパートに帰る道すがら、「ありがとう」と言うと、「何だ。お前が作
るんだぞ」とセブルスは怪訝な表情で私を見た。「ポテトフライは多めに
揚げてくれ」
自分が情けなかったが、セブルスが会いに来てくれてやはり嬉しい。
ようやく卑屈な気持ちが晴れてきたようだ。

(2015.2.11)

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