Love Sick 前編

 授業を終えて自室に戻ると部屋は暗く寒々しかった。いつもならば灯りが
煌々と部屋を照らし、火が入れられた大型ストーブの上でケトルは楽しげ
に蒸気を上げており、暖かい空気にほっと一息ついてしばらくソファで寛ぐ
ところだ。といっても考えてみればそれは最近のことで、もとはといえば
ポッターがあれこれハウスエルフに指図して始めたことだ。勝手に部屋の
模様替えや改造をしたり、ハウスエルフを送り込んでくるばかりか、あまつ
さえポッター本人が押し掛けてきていたのだ。
 数日前、ヴァレンタインデーなどというくだらないイベントにはしゃいでい
たポッターにちょっとした教育的指導を仕掛けてやってからここに姿を見せ
なくなった。おそらくやっと目が覚めたのだろう。これであの子どものまま
ごとにつきあわされなくて済むというわけだ。翌日からハウスエルフのサー
ビスもなくなったのでポッターがもう必要ないと通知したのだろう。
以前の自分の生活を取り戻さなくてはいけない。ストーブに自分で火を
つけて、ケトルの水が沸騰するまで待つことにした。ストーブが置かれてか
ら自分で火をつけたことがなかったのでまだ慣れず手間取った上にケトル
に水が入っていなかったので危うく焦げ付かせそうになった。かつて地下
牢だっただけあって石造りの部屋は湿気と冷気が酷く凍えかけながら作業
をしていると自分で機嫌が悪くなっていくのがわかる。元々は暖房設備の
ない部屋で平気だったのだから多少なりともポッターの影響を受けていた
のだと思うと忌々しいがやはり部屋は早く暖かくしたい。
 やっと湯が沸いたので、紅茶を淹れようとすると茶葉が見あたらず仕方
なく湯を飲んだが、飲み終わる頃になって杖を振って厨房から呼び寄せ
ればよかったのだと気づいてがっかりした。少し空腹を覚えたが朝食ま
で我慢するしかなさそうだった。ハウスエルフがいつも焼きたてのビスケ
ットやサンドイッチを用意しておいてくれたことが懐かしい。ふと、テーブル
の上に置きっぱなしになっている箱が目に入った。ポッターが持ってきた
チョコレートトリュフだ。腹の足しになるかと一つ摘んでみたら口の中に
チョコとオレンジの味が広がった。なかなか美味かったのでもう一つ口に
放り込むと今度はブランデーの味がした。三個目のモカのトリュフを口の
中で溶かしながら、風呂を入れるのは面倒なので今夜は入浴をやめてお
こうとぼんやり考えていると、ポンッという大きな音とともにハウスエルフが
出現した。通常ハウスエルフは人に見られずに奉仕することを誇りとして
いるのでその姿を目にすることは稀だ。

「プロフェッサー・スネイプ、お部屋の支度を整えておくことができず申
し訳ございませんでしたっ!」

ハウスエルフが石の床に頭を何度も打ちつけながら土下座するので、
慌てて傍に駆け寄って身体を押さえて止めた。

「もともとこの部屋に特別なことをする義務などなかったのだから謝らなく
てよい。自分の仕事場に戻りなさい。ポッターがもうよいと言ったのだろう」

額を怪我したハウスエルフはきょとんとしていたが、“ポッター”という名に
反応して大きな耳を震わせるとさめざめと泣きだした。

「ハリー・ポッターはっ、ハリーポッターはご病気なのですっ!」

と甲高い声で訴えてきたので驚いた。言われてみればこの部屋に来ない
だけでなく授業でも見かけなかったが、ポッターは未だに魔法省から調査
のために呼び出されることがあるので特に気にしていなかった。

「マダム・ポンフリーに見せたのか!闇の陣営の残党に呪われたのなら
私の方が…。それでポッターはどんな様子なのだ!」

自分でも吃驚するくらい大きな声を出していた。ハウスエルフはぶるぶる
震えながらも甲高い声を絞り出すように話を続けた。

「あのバレンタインデーの夜に真っ青な顔でお部屋にお戻りになると大量
の鼻血を出されて倒れられたのです!わたくしはハリー・ポッターのお部
屋のお世話をする当番だったので仰天して、お手当しました!やっと鼻血
が止まると今度はベッドに潜り込まれてしまわれずっとうんうん唸っておら
れて!わたくしはずっとつきっきりでハリー・ポッターの看病をしていたので
ございます!」

何となく状況がわかって気が抜けるのと同時に呆れかえった。馬鹿と童貞
につける薬はない。あやつの場合は両方兼ねているので重症だ。しかし
あれしきの刺激で寝込むとは一体何事なのだ。少し揶揄っただけだとい
うのに本当に童貞は面倒だ。

「あー、それはあの年頃の魔法使いにはよくあることなので心配ないぞ」

そう言い聞かせながら、不安そうに首を傾げるハウスエルフが先程石の
床に打ちつけて傷ついた額の傷を呪文で治してやる。ハウスエルフは手
を宛てて自分の額の傷が治っていることを確かめると今度は不思議そう
な表情になった。

「プロフェッサー・スネイプは何故わたくしなどにご親切にしてくださるの
でしょうか?」

「怪我をしていたから手当したまでだ。ポッターのことは放っておけ。その
うち治るだろう」

「ハリー・ポッターは譫言でプロフェッサーのお名前をよばれました。それ
でわたくしは、このお部屋の仕事の今週の当番だと言うことを思い出した
のでございます!」

ハウスエルフはすぐに立ち去らず、私の居室をくるくると走り回るとあっと
言う間に部屋は快適な空間になった。バスタブに湯を溜める音が聞こえ
てきたので内心ほっとしていると、

「それでは今日は本当に申し訳ございませんでした!怪我まで治してくだ
さってプロフェッサー・スネイプはとてもお優しい方です!」

ハウスエルフはそう言って深々とお辞儀してからポンッという音とともに消
えた。ポッターはどうでもいいがハウスエルフにはこれからもこの部屋に
来てもらいたいものだ。すぐに風呂に入って温まろうと思いながら、テーブ
ルの上のチョコレートを摘んで口に入れるとラズベリーの甘酸っぱい味
が舌の上に広がった。

(2012.2.19)

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