Love Rain 前編

 目の前に座って、食事をともにしている男の顔は暫く見ないうちに少し
痩せて大人びていた。といっても既に成人の年を越えており、職に就い
たのだから当然の話だ。セブルス・スネイプがこの若い男、ハリー・ポッ
ターと会うのは久しぶりのことだった。ハリー・ポッターは決戦の後、放浪
していた七年生をやり直し、闇払いになった。魔法界の英雄といえども
特別扱いされることなく厳しい研修を受けたらしい。それまでは、といって
も決戦後のことだが、頻繁に魔法薬学教授の私室に押し掛けたり、付き
添いの名目で外に連れ出しては何かと二人の時間を作ろうと画策してい
たのだが、研修期間中は音沙汰がなくスネイプ教授はホグワーツの一教
師として平穏な毎日を過ごしていた。ある日の夕食の時間の出来事だっ
た。一羽の梟が魔法薬学教授の皿の上に一通の手紙をぽとりと落とし
て飛び去ったが、誰も気にとめる者はいなかった。スネイプ教授は胸ポ
ケットに手紙を仕舞うと何事もなかったかのように食事を続けた。長い
階段を下りきって地下の私室にたどりついたスネイプ教授は、ハウス
エルフによって居心地よく整えられている部屋で寛ぎながら手紙を読
んだ。手紙の主はもちろんハリー・ポッターで、仕事が忙しいことに簡単
に触れた後に、一緒に何度も行った植物園で教授が注目していたある
植物の開花時期が近づいている。自分も久しぶりにきれいな空気を吸
いたいので同行したいと書かれてあった。ある植物はマグルにとっては
珍しくもない平凡なものなのだが、魔法薬の材料として有益なものでは
ないかとスネイプ教授は考えていた。しかしそのことをすっかり忘れて
いた。教授は立ち上がると学生が使っているものと同じクローゼットを
開けた。式典用のローブや外出用のマントの隣にマグルの洋服一式が
かかっている。マグゴナガル新校長からの依頼でハリー・ポッターの
外出の付き添いをするために用意したものだ。ハウスエルフがいつでも
袖を通せるように手入れをしてくれてあった。次の週末にはこれを着て
魔法省最寄りのマグルのロンドンの地下鉄の駅まで行けば、後はハリ
ー・ポッターが案内すると手紙に書いてあった。スネイプ教授は地下鉄
の混んだ車両が苦手だったが、我慢するしかあるまいと考えながら、
クローゼットの扉を閉じた。
 次の週末、列車が遅れて待ち合わせの時間を30分ほど過ぎて駅の
改札を出ると、探す間もなく待ち合わせ相手は見つかった。同じ年格好
のマグルと何の違和感もなく紛れているが、遠目にも眼鏡をかけている
にも関わらずグリーンアイが輝いて見えた。スネイプ教授の姿を認める
と足早に走り寄ってきて、

「先生、お久しぶりです。電車が遅れているってきいてたんですけど大丈
夫でしたか」

待たされて不機嫌になっている様子もなく、ハリー・ポッターは明るい声で
スネイプ教授を気遣った。植物園まではタクシーを使ったが、マグルの
運転手の手前当たり障りのない会話を言葉を選びながら交わした。植物
園に入ってからは、スネイプ教授が件の植物の他にもあれもこれもとと
研究者の好奇心の赴くままに観察してまわる後ろをハリー・ポッターは
のんびりとした歩調でついて歩いた。その様子は数ヶ月前に何度か一緒
に訪れた時と少しも変わらなかったが、ハリー・ポッターは楽しそうな表情
で熱心に植物を観察しているスネイプ教授を時々見つめていた。
 教授の知的好奇心が一区切りすると、ハリーがあまり人目に付かない
木陰に敷物を広げた。ハリー・ポッターはシリウス・ブラックの遺産の年老
いたハウスエルフのクリーチャーと暮らしていると話し、素晴らしく美味
なサンドイッチやパイやケーキを持ってきていた。グリモールドプレイスの
ブラック邸で暮らしているのかとスネイプ教授が質問すると、魔法省の近
くにある別の家だということだった。亡くなった父方の祖父の遺産だという。
これまで気にとめたこともなかったがハリー・ポッターには遺産相続の運
があるのではないだろうか。

「そうはいってもクリーチャーは掃除や料理にきてくれるだけで、やっぱり
ブラック邸が居心地がいいみたいですぐにあっちに帰ってしまうんですよ」

ハウスエルフは主人に忠誠を尽くすものと聞いているが、家の方に愛着が
あるとは猫のようなハウスエルフだなとスネイプ教授が感想を言うと、ハリ
ーは面白そうに笑った。スネイプ教授は二人でずっとこのように穏やかな
時間を過ごしていたような錯覚を覚えた。実際にはハリー・ポッターの学生
時代のほとんどを激しく対立して過ごしていたのだが、遠い昔の夢の話の
ような気がする。実は決戦後に急にスネイプに好意を寄せ始めたハリーに
スネイプが手厳しい教育的指導を行い、二人の友好関係もこれまでかと思
われたことが一度だけあった。しかし、その後もハリー・ポッターはスネイプ
教授を慕う態度を崩さなかったので、そのまま奇妙な師弟愛は継続された
のだった。ゆっくりととりとめもない話をしながら昼食をとった後、ハリー・
ポッターが手早く荷物をまとめると

「雲の流れが早いな。風が出てきたし雨が降りそうですね」

と俄かに灰色に曇り不穏な動きを見せ始めた空を見つめた。ほどなくぽつ
りと水滴が額に当たった。空からの水滴は瞬く間に大粒になっていき、
雨に変わった。

「どこかに入って雨宿りしましょう」

そう言うとハリー・ポッターは着ていたジャケットを脱いでスネイプの頭に
被せた。そして、スネイプの肩に手を置いて急いで近くの建物まで連れて
いこうとした。しかし、ハリーのジャケットの内側から細く長い指が伸ばさ
れ静脈の浮き出た大きな手を取ると、そのままその場を旋回した。一瞬
にして二人の男が植物園の芝生から消え失せたが、激しく降り注ぐ雨が
全てを隠してしまった。
 着地した場所は廃屋のような家の軒先だった。狭い庭には雑草が高く生
い茂り、空き缶や野ざらしにされた雑誌が散乱していて人が住んでいる
気配はまるでなかった。スネイプが呪文を唱えると扉の鍵が解除される
音がして、ギイィと耳障りな音を立てて扉が開くとスネイプはさっさと中に
入った。ハリーもその後に続くと扉はまた独りでに閉まり施錠された。家の
中にはいるとすぐに小さな応接室になっていて、古ぼけた肘掛け椅子や
擦り切れたソファが置かれてある。後から取り付けたらしい壁一面の書棚
には本が隙間なく詰め込まれてあった。

「ここはわたしの家だ。とりあえず雨は凌げる」

スネイプが杖を降るとタオルが二枚飛んできて、そのうちの一枚がハリー
の方に来たのでシーカーらしい俊敏さでキャッチした。スネイプは殆ど
濡れていなかったが、顔や手を拭いてから部屋を出て行った。ハリー
がタオルで雨に濡れた髪をわしゃわしゃと擦って拭いたり、眼鏡を外し
て水滴を拭ったりして身繕いを整えて落ち着いてからあたりをぼんやり
と見渡していると、両手に湯気の立ったマグカップを持ったスネイプが
戻ってきた。片方をハリーに手渡すと、肘掛け椅子に座って自分のマグ
カップに口を付けた。ハリーもソファに腰掛けてスネイプに倣った。お互
いにしばらく無言で熱い紅茶を啜った。屋根や庇を打ちつける雨音が
室内にまでよく響いた。

「先生、ここにはよく帰られるんですか。ご実家なんですよね?」

沈黙を破ったのはハリーだった。

「あぁ、両親はもう亡くなっているが。学校が休暇の時には大抵ここで本を
読んでいる」

肘掛け椅子やソファの辺りにだけ最近使用した空気があるのは、そこで
ずっと過ごしているということなのだろう。一日中、読書に耽っているスネ
イプの様子は容易に想像できる。

「ここに来た先生の教え子って僕が初めて?」

冗談めかしてハリーが尋ねると、

「そうだな。元教え子だが」

スネイプ教授が薄い唇を歪ませる独特の微笑を浮かべると、ハリーも
楽しそうに笑った。

「もう一杯紅茶を飲むか?雨はまだ止みそうにない」

そう声をかけるとスネイプ教授は再びキッチンに向かいかけた。いつの間
にか背後に立っていたハリーに抱き締められた。大人しく抱かれている
スネイプ教授にハリーが囁いた。スネイプ教授の杖が本棚を指すと隠し
扉が現れた。

「怖くないのか?」

どこか軽い冗談のような口調で問いかけるスネイプに、

「また僕のこと揶揄ってるんですか?あの時みたいに」

と真剣な声で返事が返ってきた。ハリーがスネイプ教授に手ひどく揶揄わ
れたことを言っているのだろう。

「それはお前次第だ」

スネイプは身体を捩らせて振り向いた。暫しの間、漆黒の眸を澄んだ
緑の眸が見つめてから、ハリーは無言でスネイプに口づけた。しばらく
口づけ合う音が続いた後、手を取り合って二人は扉の向こうに消えた。

(2012.4.27)

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