Dearest 第7話

 ロンは杖を振って湯を沸かし、熱い紅茶を淹れ直した。何も訊かず
に砂糖とミルクをたっぷり入れた。これは自分の母親のやり方だ。甘
くて熱い紅茶を啜ると少し落ち着いた。ハーマイオニーも子どものよう
に両手でカップを持って紅茶を飲んでいた。
 セブルスが親友をその父親と思い込んでいることはもちろん承知し
ている。セブルスが記憶障害を負ったこと、その障害ごと彼を静かな
環境で守っていきたいという親友の願いを受け入れ、そのことを踏ま
えてセブルスと交際してきた。それなのに、何故こんなにもショックを
受けているのだろう。

「ハリーは…」

言いかけて、ロンは久しぶりにその名前を口にしたことに気づいた。
おかしな話だ。ハリー・ポッターほど有名な人間は魔法界にはいな
い。そして、自分は彼と11歳の時からの親友だ。

「ハリーは、セブルスが目覚めて名前を呼ばれた時から、セブルス
の呼ぶ人物として彼と接しているわ」

ハーマイオニーが話し出した。

「セブルスの記憶が明らかになった時、さっき話した記憶を操作する
治療法をとることを最終的に決断したのはハリーなの」

「癒者の中には、自然に任せるべきだという意見の人もいたわ。彼
自身に選ばせるという選択もあった。結局、彼の後見人はハリーで、
ハリーの意志が優先されたのだけれど。ハリーは自分が彼の世界
を一生守るって誓ったの」

「記憶を操作するって、僕たちの記憶を完全に消したのか」

「いいえ、そうじゃないわ。私たちのことは彼の中から消えてしまって
いたもの。彼の過去の、そして彼にとっては現在でもある記憶を操作
したの。最初に、ハリーと彼の父親には相違点があるでしょう?」

「瞳の色と額の傷跡」

ハーマイオニーは頷いた。

「セブルスは、ハリーのことをその父親だと信じきっている日もあれ
ば、不思議そうにしている日もあったの。だから、彼の父親の瞳の
色はブラウンだったのだけれどグリーンに傷跡はクディッチで怪我を
したということにして強い暗示をかけた。それが成功するとセブルス
の状態はとても安定したの。あとは比較的たやすいことだったわ。
例えば、セブルスの生年を私たちの年にするとかね。セブルスが
定期的に入院するのは検査して暗示をかけ直してるのよ」

セブルスはとても若く見えるし、あまり鏡なども見ないだろう。ロンは
それを面白いことのように思おうとしたがあまり上手くいかなかった。

「私は、セブルス・スネイプ教授の足跡をつぶさに調査したけれど、
彼は本当にハリー・ポッターを守るために自分の全てを捧げていた
し、完璧に任務を遂行していた」

「ハリーが、“彼”の息子だから?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ダンブルドアが残
していた記憶では、“彼”の死後しばらくしてセブルスにハリーを守
護することを要請していた」

セブルスは受諾し、遂行し続けた。ハーマイオニーは、調査が進むに
つれて、その強い意志と実行力に圧倒される思いがしたのは事実だ
が、同時に彼自身の感情の痕跡の稀薄さが気になった。それは人の
ために生きていたからなのだろうか。もしかすると、自分自身を生きる
事を止めてしまったから、他者を救うことに自分の生命を賭けられた
のではないのか。そう考える時、セブルスにとって“彼”の死が何を
意味していたのかという事が改めて気にかかった。
今となっては知る術もないし、第三者が立ち入って良い領域でもない
が、昔の恋人を思い続けていたのだろうか。あのポッター一家を襲っ
た惨劇に至るまで、セブルスが悲劇を回避しようと奔走していた事は
調査でわかっている。
セブルスの時間は、“彼”の死で止まってしまったのかもしれない。
自分の胸に秘めていた推測を、普段ふざけてばかりいる陽気な婚約
者は黙って聞いてくれていた。

「セブルスは、向かい合っていても“ハリー”を見ていないんだよ
な…」

ロンはいつ訪れても、穏やかに仲良く過ごしているセブルス達の姿が
脳裏に浮かんで切なくなった。

「それはそうとも言えないと私は思っているの。だってよく似ていると
いっても別人なのよ。ハリーは自分の父親のことを何も覚えていない
から、性格を似せて見せたりはできないはずよ。それでもセブルスは
全面的に受け入れている」

そこに微かな希望を見ていいのか、ロンはハリーのためにそれを
見出したいと思った。


【スピナーズエンド】

 ハーマイオニーと朝方まで話し合ってから数日後、ロンはスピ
ナーズエンドを訪れていた。自分達の結婚式で少し変更したい
事があり、親友に相談しようと思ったのだ。庭の温室の中は、
純白の薔薇で埋め尽くされていて、ロンは思わず微笑んだ。青い
薔薇はセブルスの研究室で特別に育てていると言っていた。
親友はまだ家に戻っておらず、クリーチャーは、ブラック邸に出か
けているようだった。
地下の研究室に、セブルスはいるのだろうか。それなら挨拶して
おこうと、少し開いたままになっている扉から階段を降りていった。
啜り泣くような声が聞こえて足が止まる。すぐに立ち去らなければ
いけないと思うのに、磔呪文を掛けられたようにその場に硬直した
まま動けなくなってしまった。部屋の中から、絶え間なくあがる喘ぎ
声と、絹擦れ、ソファのスプリングが軋む音。何が行われているの
かは明白だった。はぁっ、と大きく溜息をつくような声が漏れ聞こえ
た。

「あぁ、ジェームズ、淋しかった…」

「ごめん、ごめん、ちょっと仕事が長引いちゃって。僕もセブルスの
ことをずっと考えてたよ。早く帰ってきたくて仕方なかった」

幼い子をあやすような口調だった。いや、恋人を淋しがらせてしまっ
たことを詫びる若い男の声だ。
先ほどより荒くなった息づかいと切羽詰まったような喘ぎ声、何かが
抜き差しされている粘膜の濡れた音がする。
絶えず喘ぎながら、焦れたようにあえかな声が挿入を強請る。

「ジェームズ、…ジェームズ」

普段呼ぶことのないファーストネームで繰り返し呼ぶ。
ぐずる恋人の願いを叶えることにしたのか、自分も余裕がなくなって
きたのか衣服を脱ぎ捨てる気配がしたあと、喘ぎ声が急に切迫した
ものになった。繋がったまま口づけ合っているのだろう、お互いを求
めあっている長い接吻の音が、そのまま肉と肉がぶつかる激しい音
にかわる。若い男が恋人を夢中で激しく貪る、疾走している犬のよう
な息づかいと、彼に全てを委ね、与えられる痛みを伴った快楽に応え
溺れるような喘ぎ声が溶けあい、一つの高みに向かっていく。それは
二人だけしか存在しない世界だった。
 階段に根が生えてしまったかのように硬直した足を何とか動かしで
きるだけ静かに、ロン・ウィーズリーはその場を立ち去った。あの恋人
の身体を夢中で貪っていた男は、本当に自分の親友だろうか。
あれはハリー?ジェームズ?どちらなのだろう。そうだ、彼はセブルス・
スネイプの世界に存在するためなら自分がハリー・ポッターでなくて
もかまわなかったのだ。年上の恋人を自分の思いのままにしていた
ようで、溺れているのはむしろ彼のほうに思えた。
扉を開けると、夕日があたり一面を赤く染めていた。自身の髪の色に
も似たその日没前の鮮やかな輝きに、一瞬、目が眩みなにも見えな
くなったような錯覚を覚えた。


(2011.10.10)
 

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