Dearest 第1話

聖マンゴ魔法疾患障害病院

 あらゆる方向に跳ね返っている癖の強い黒髪、眼鏡越しにこち
らを真剣に見つめる表情。大きく温かな手がそっと髪と頬を撫で
ている。節くれだった指、肉刺ができて硬い手のひら、この手の
感触を私はよく知っている。彼はクディッチの選手で放課後はいつ
でも箒に跨って空を飛び回っていた。
私はとても暖かくて気持ちのよい毛布の中で寝ている。ここは
ホグワーツの医務室なのだろうか。よく似ているが、何だか違う
気がする。そういえば、彼もそうだ。間違いなく彼だが、少し違和
感がある。きっとこれは夢なのだろう。私を彼が見舞うなど妙だ。
逆ならあり得るが。彼は、クディッチの試合でしょっちゅう怪我を
して医務室に運ばれていた。しかし、私は見舞ったことなどは
ない。だから、どちらにしてもこの状況は不自然だ。

「もっと元気になったらちゃんと話をしようね。今はまだ無理だよ。
僕がついているから、安心してゆっくりお休み」

ほら、やっぱり夢だった。彼がこんなに優しいことを言うなんて。
そう指摘してやりたいが、言葉が出なくてもどかしい。
ハーブの香りが鼻を擽る。眠気がまた強くなってきた。夢を見て
いるというのにまた眠るというのも不思議だが、意識がなくなる
まで、あの暖かな手が髪を撫でる気配を感じていた。



 聖マンゴ魔法疾患障害病院の特別病棟の隔離エリアの奥
深くにその病室はあった。辿りつくまでには数回セキュリティ
チェックを受けなければならない。その病室に出入りすることが
許可されているのは医療関係者でも彼の治療の担当者と極々
限られた人間だけで、実際にこの廊下を歩いているのは僕だけ
だ。最後に病室の扉の前で、杖を当ててパスワードを唱えると
開錠音がしたので、そっと重い扉を開けて中に入った。
病室は常に清浄に保たれ、淡い光に包まれた室内の中央には
大きな寝台が置かれてある。寝台の中で昏々と眠り続けてい
る人に、いつものように話しかける。

「元気だった?」

病室で意識不明のまま眠り続けている人に元気だったはない
だろうと思う。まして以前の彼とはそんな風に会話をする間柄
ではなかったし、そう話しかけられて、冷ややかに軽蔑の視線
を寄越す様まで想像できる。自分で想像しておいて笑ってしま
ったが、寝台の中の彼はまるで人形のように横たわっていた。
この病室で長期間過ごすうちに、もともと日に焼けることのなか
った皮膚ががますます白蝋のようになり、ほっそりとしていた
身体はいっそう細くなっていたが、その表情は静謐そのもので
まるで生まれてからずっと眠り続けていたかのように精気が感じ
られなかった。
それでも、僕は在りし日の彼の姿と現在の彼を重ねて齟齬を
覚えず、自分の記憶力と想像力を駆使しては彼との会話を楽
しむ。大抵、怒られるか軽蔑されるかして散々な結果に終わっ
てしまうのだが構わなかった。現実的にいつもそういう目に遭っ
ていた日々が懐かしくもあったが、現在が不幸というわけでも
なかった。
今日もいつものようにそんな空想をしながら、時間が許すだけ
彼に付き添っているはずだった。

 何の前触れもなかった。かたく閉じられていた瞼が僅かに
震えると、次の瞬間、あのよく知っている黒い瞳がちょうど顔を
覗きこんでいた僕の顔を見た。
死の淵をさまよい、長く昏睡状態に陥っていた人物とはとても
思えないほど、強い光をもった視線だった。そして、明瞭に名前
を呼んだ。震えながらのばされてきた痩せ細った指が、僕の手を
しっかりと掴んだ。
そしてもう一度名前を呼んだ。
僕は答えた。

「そうだよ、僕だよ、セブルス。やっと目を覚ましてくれたね」

(2011.10.3)
 

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