鹿と小鳥 第69話

 
 几帳面に等間隔に並べられている丁字林檎を見
てリーマスは頬を緩めた。簡素を心がけている
室内で林檎に刺してある丁字の香りが存在を主
張していたが、それはセブルスからの贈り物だ。
昼間、リーマスの留守中にセブルス自ら丁字林檎
をこの部屋に持ってきて、部屋の中を吟味して机
の上に並べていったのだ。

「ずいぶん時間をかけて並べていたぞ。何回も並
べ直していたわりに、全然代わり映えがしないん
だ」

シリウスはそう言って丁字林檎を手に取りかけた
が、置き場所を熟考してから、一個ずつ並べてい
たセブルスの気迫を思い出して、そのままにして
おくことにした。ジェームズとセブルスが屋敷を
訪問中で、シリウスの父親も滞在していたので
昨日までは二人きりでいることもほとんどなかっ
たが、公爵が宮廷に戻り、ジェームズたちも明日
には戻ることになっている。シリウスは二人で話
がしたい時はリーマスの部屋にやってくるのだ。

「君がセブルスに頼んでくれたんだってね。公爵
からも鎮痛効果のあるポプリを注文されたって
話してくれたよ」

 リーマスは昼間からピーターを伴って往診に出
かけていて、夕食の時間になっても屋敷に戻らず
シリウスを心配させたが、セブルスの就寝時間に
は間に合ったので、先ほど少し話をしたのだった。
セブルスはリーマスの部屋に丁字林檎を届けた
がもう暫くの間自分が置いた位置から動かさず
に乾燥させてほしいとリーマスに真剣な表情で
頼んだ。リーマスが礼を言って快諾すると安心し
た様子で肯いていた。
シリウスが厨房に命じて持ってこさせた温かい
スープをリーマスとピーターが食卓で飲んでいる
間、セブルスも傍に居て、明日には宮廷に戻る
のでセブルスなりに別れを惜しむ気持ちになっ
ていたのかもしれなかった。いつも携えている
ポシェットから香辛料や塩を出してきてピーター
のスープに自ら味をつけてやって恐縮されたり、
リーマスにも味付けを頼まれて心持ち嬉しそうに
塩や香辛料を指で摘んで皿の上からふりかけて
いた。リーマスはセブルスがピーターとリーマ
スの様子を見て、香辛料を調節していること
に気づいた。セブルスは無口で大人しいのだ
が、その黒い眸は周囲のことをよく見ているの
だ。

「父上はすっかりセブルスがお気に入りだから
な。修道士を家庭教師につけたいのでダンブル
ドアに推薦してもらうそうだ」

シリウスが父親のセブルスの教育計画をリー
マスに教えた。

「それでは、セブルスはラテン語とギリシャ語
を?」

「あぁ、歴史や哲学、文学、それともちろん神
学。ダンス教師は俺が選ぼうと思っていたのに
うっかり選ぶのが遅れていたから、従姉妹たち
が習った教師を呼ぶことになると思う。舞踏会
でセブルスがステップを披露する日が来るか
もしれない」

「素晴らしいね。セブルスは学ぶことが好き
だからきっと世界が広がるよ。ダンスも健康に
よいし、あの子は音楽が好きだからね」

リーマスは穏やかな表情で公爵の意向に賛
成した。シリウスは父親とよく似た美しい顔
に皮肉な笑みを浮かべたが、公爵の意向に
は反対ではないらしい。

「セブルスはかなり変わっているが頭は悪くな
いからな。今もフランス語は読んだり書いたり
はできてレギュラスとフランス語で文のやりと
りをしているそうだ。
ジェームズはセブルスは身体も弱いし、本格
的に学問をする必要はないのではないかと父
上に訴えていたが、父上はセブルスには基礎
的な教養を積ませる必要があると一蹴した。
思い出したが、お前を留学させたのも父上だっ
たな。俺は行ってほしくなかったが、お前は行
きたかったのだろう?
父上はお前の才能に援助したのだと前に話し
ていた。おかげでずいぶん長い間会えなかっ
た」

途中から自分たちの過去の話になっている
ことにシリウスは気づいていなかった。

「君はジェームズと一緒にフィレンツェまで遊
びに来たじゃないか。石畳を歩いていたら傍
の川のゴンドラから大声で名前を呼ばれて、
よく見たら君とジェームズが手を振っていた
からものすごく驚いた」

シリウスはリーマスが留学していた時のこと
を思い出すといつも不機嫌になったが、リー
マスはそんなシリウスの感情の変化に気づ
きつつも、気軽な口調で思い出話を続けた。

「そんなこともあったな。リーマスに会いたく
て、ジェームズと一緒にフィレンツェまで行っ
たんだ。父上にすぐバレて呼び戻されたが。
後で陛下からも断りなく国を出るなとジェーム
ズと一緒に叱られた」

「叱られたくらいで済んで良かったよ。君たち
はまったく無茶ばかりする」

呆れるリーマスにシリウスは「なんだか懐かし
いな」と機嫌が直ったように笑顔を見せた。

「ジェームズの用は済んだんだな?」

とシリウスが唐突に問うと、
リーマスは表情を改めて、肯いた。

「僕の患者の親がポッター家に仕えていただ
ろう?」

「あぁ、皆で修道院に行った時に偶然再会し
た」

「そう。彼らはこの土地を離れて海の向こうの
大陸領に行くことになってね」

「あぁ、そんなことを言っていたな。それで別
れの挨拶をさせてやったのか」

シリウスはあまり興味がなさそうにセブルスの
丁字林檎を指で弄びだした。リーマスの願い
でセブルスを招待する体でジェームズをこの
屋敷に呼んだのだが、自分の使用人でもない
身分の違う者たちには関心がもてないのだ。
どうしてリーマスが自分とセブルスを経由して
ジェームズを呼ぶという面倒くさいことをしたの
かわからなかったが、リーマスは人を気遣う
性格だからだろうと単純に考えていた。

「そう。君もジェームズたちと宮殿に帰るの?」

「いや、ジェームズとセブルスが先に帰ってから、
後から別に俺は出発する。俺は一緒でいいと思
うんだが父上の指示だ」

親の意向というだけでシリウスは不満そうだっ
たが、ジェームズは公爵の意向を尊重したの
だろう。

「そうだ、リーマスもピーターを連れて宮廷に来
いよ。父上の怪我のこともあるし、セブルスも旅
の疲れで熱くらい出すかもしれないし。ピーター
に荷物をまとめるようにいっておこう。明日、ジェ
ームズたちを送りだしたら、昼を食べて俺たちも
出発しよう。犬が船酔いしたから馬車で帰ると
言っていたから、俺たちは船を使おうか。いや、
それじゃ早く着きすぎるな。どこか寄り道をして
もいいな。厨房にも何か作らせようか。ちょっと
言ってくる。リーマスも早く寝ろよ」

 リーマスの返事を待たずにシリウスは手配を
するべく部屋を出ていってしまった。シリウスを
見送ってからリーマスは思わず溜息を吐いた。
シリウスはジェームズと離れると途端に退屈し
てしまうのだ。
しかし、宮廷に行ってもよいかもしれないとリー
マスは考えた。以前は、公爵家への恩義から、
シリウスを含めて一族からの要請に応じて宮
廷に赴いていたが、ポッター家の居所に小さな
セブルスがいるようになってからは、折に触れ
て出向きたくなっていた。あの小さな娘の数奇
な運命、秘められた可能性はリーマスにとって
も気がかりになっているのだ。
セブルスが置いていった丁子林檎の香りが鼻
をかすめた。シリウスがいなくなると部屋の
蝋燭の明かりまで薄暗くなったような気がし
た。


 シリウスの屋敷から宮廷に戻ったポッター伯
一行は、ブラック公爵夫妻とその息子レギュラ
スに出迎えられた。ジェームズの母がブラック
家出身だったことと、若くして家督を継いだジ
ェームズの後見を公爵がしていたことでポッタ
ー家はブラック家のいわば末端の分家のように
宮廷では捉えられていたのだが、公爵夫妻が
わざわざ出迎えるのは異例のことだ。ジェー
ムズに手助けされて馬車から地面に降りたセ
ブルスは一歩を踏み出す間もなく駆け寄って
きた公爵夫人の薔薇香水の温もりに包まれた。
セブルスの後から乳母とマルチーズ達が馬車
から降りてきたが、犬達は乳母の制止もきか
ずに、その場で一番偉い公爵に向かって突進
していって挨拶したので、俄に周囲は騒々し
い雰囲気になった。
強い抱擁の中、耳許で公爵を手当をした礼を
囁かれたので、セブルスはびくりと華奢な肩を
震わせたが、公爵夫人は親しげにその華奢
な肩に手を添えて二人そろって皆の方に向か
い、

「おかえりなさい、レディセブルス」

と今度は笑顔で皆に聞こえる声の大きさで話
しかけた。セブルスは、公爵夫人のシリウスに
よく似た銀色がかった灰色の眸を見つめて肯
いてみせたが、そのまま首を傾げて斜め後ろ
に立っているジェームズの顔を見た。ジェーム
ズはいつも通り朗らかな表情でセブルスを見
つめたので、セブルスは安心した様子でそっ
と息を吐いた。

「レディは乗馬をなさるようになったんですっ
てね。シリウスが勧めたんですって?
シリウスは主馬頭を務めているから馬には詳
しいのよ。わが一族の中でも一番じゃないか
しらね」

「そう矢継ぎ早に話しかけては小さな人が
返事に困っているではないか」

とまとわりつくマルチーズ達をあやしていた
公爵が夫人に声をかけると、その隣にいた
レギュラスが進み出て、母親の腕の中にい
たセブルスの手をとって助け出すと優雅に
ジェームズに引き渡してから恭しく小さな手
に軽く口づけて挨拶した。

「すぐにお会いできましたね」

とシリウスの屋敷での別れを念頭にレギュ
ラスが挨拶すると、セブルスは同意だとい
う風にこくりと肯いてみせた。

「わざわざお出迎えいただけるなんて思って
もみなかったな。そっと自分の居所に戻る
つもりだったんですが」

とジェームズはいつもと同じ朗らかさで公爵
夫妻に話しかけたが、公爵がシリウスの屋
敷から宮廷に戻る時に、日を空けずにジェ
ームズたちも戻ることを打ち合わせてあった。
ジェームズとセブルスが出立する前に侯爵
の元に使者が出発していたのだ。実はセブ
ルスは馬車から降りたら、出迎えの公爵夫
妻にお辞儀をして挨拶するように言われて
いて馬車の中で段取りを何度も聞いてその
心づもりをしていたのに予想外の公爵夫人
の行動に戸惑っていたのだった。

「我が家の居所で一休みするといい。支
度をしてある」
公爵の言葉を合図に一同は侯爵家の居
所に向かって歩き出したが、公爵夫人は
ジェームズと反対側のセブルスの隣に並
んで優しく話しかけた。

「私は娘がいたらいいとずっと思っていた
のよ。シグナスとドゥルーエラのところの
三姉妹を自分の娘のように可愛がってい
たのだけれど一番下のナルシッサまで結
婚してしまってずいぶん寂しい思いをして
おりました」

ナルシッサの結婚をまとめたのは公爵
夫人だと宮廷では噂されていた。

「今日の深緑のマントはとてもお似合い
だわ。フードのかわいらしいこと。ガウンも
同じ色なのね。あとで髪飾りをみてみまし
ょう。わたくしはちょっとした飾りを集めるの
が好きでたくさん持っているのよ」

公爵夫人はセブルスの艶やかな黒髪を
軽く撫でて、マントからわずかにのぞいた
ほっそりとした首につけられているセブル
スのトレードマークになっている金のPを
真珠で繋いだチョーカーに目を留めながら
も、マントとガウンを誉めそやした。
公爵夫人にあれこれ話しかけられてもセ
ブルスは答えに困っている風に黙ってい
たが、代わりにジェームズが如才なく返
事をし、泰然とした侯爵と優美なレギュラス、
緊張した面もちの乳母、興奮して騒ぐマル
チーズ達とブラック侯爵家の慇懃な従者た
ちという気高くも奇妙な行列は回廊にいた
人々の注目を集めていた。

(2019.12.30)

【追記】
シリウスの父親は公爵設定だったのです
が、話の途中で侯爵表記してしまってい
ました。爵位は公爵が最高位ですが、
シリウス父は外交の仕事で外国暮らしな
ので、侯爵の方がいいのではと途中で
思ったんですけど、やっぱり公爵に戻しま
す。外国にいるのは過去の一族の不始末
(弟が反逆罪)の影響ということにしてお
いてくださいw


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