鹿と小鳥 第32話

 修道院の格式に則り美しく贅を凝らされた部屋は、国王とは別の権
威の頂点に立つ者に相応しい威厳を感じさせた。ピーターはこの修道
院で修道士見習いをしていたところを修道院長であるダンブルドアの
推薦でブラック家に仕えることになった。修道院の中で働いている時に、
いつの間にか傍にいるダンブルドアに気さくに話しかけられたことは
何度もあり、その会話の印象でブラック家に出される栄誉を得たピー
ターなのだが、修道院長の私室に通されたのは初めてのことで、部屋
の威厳に圧倒されて床についた膝も震えがちだった。彫刻を施された
重い樫材の扉が開くと長衣を靡かせて部屋の主が年齢を感じさせない
軽い足取りで入ってきた。

「ピーター、無事によく戻った。さぁ、顔をよく見せておくれ」

 ピーターが緊張に強ばった顔を恐る恐る上げると、明るい空色の瞳
が柔和に微笑みながら、ピーターのまるみを帯びた輪郭の顔を見つめ
ていた。

「なんと、しばらく見ないうちに立派な男になったものじゃ!お前を
リーマスに預けたのは正解だったようじゃ」

 温かい言葉に胸が喜びに熱くなる。幼いときに父を亡くしたピータ
ーにとってダンブルドアは神にも似た偉大な存在だった。

「リーマスは相変わらず、医者として民への奉仕に勤めているのだろ
うね。流行病の勢いもやっと下火になりつつあるようじゃが…」

 ピーターがリーマスの民への献身的な奉仕、ささやかな自分の手伝
いの話の後で、シリウスが病を得て宮廷から運ばれてきたと報告す
ると、ダンブルドアは驚きを隠さずに詳しい話を聞きたがった。

「何と、ブラック侯爵家の嫡男が倒れたと!もちろん今はよくなって
いるのだろうね?」

 ピーターがリーマスの献身的な看護と、フランスからシリウスの弟
のレギュラスが見舞いにやってきて看護を手伝ってくれたと興奮気
味に話すと、ダンブルドアもますます興をそそられた表情になった。

「なんと、レギュラスがシリウスを見舞ったというのかね。二人きりの
兄弟だから仲がよいのだろうのう。二人揃って倒れたら血筋が絶えて
しまうとご両親は気が気ではなかっただろうが…」

 ピーターは見舞いの使いすら寄越すことがないブラック侯爵夫妻の
冷血ぶりとそれを何とも思っていない様子だったブラック兄弟の淡々
とした態度を思いだして切なくなった。そんなピーターの心中を察す
るようにダンブルドアは思慮深い澄んだ瞳でピーターを見つめた。

「それで二人は今はどうしているのじゃ。おまえが私のところに顔を
見せてくれたということは二人とも無事なのじゃろう?」

「はい!シリウス様もシリウス様のお屋敷の周辺の患者も病を切り
抜けられた者は皆助かりました。リーマス様が母に元気な顔を見せ
てくるようにと仰ってくださって、シリウス様が母に土産を持たせて
くださったのです」

 ピーターはブラック家から休みを貰えたら一度修道院に戻って元気
な顔を見せるように、奉公に出る時にダンブルドアから命じられていた。
それで律儀に今、ダンブルドアの前にいるというわけだった。

「おぉ、そうであったか!後でわしからも何か持たせてあげよう。お母
さんを喜ばせてお上げ。それでシリウスは屋敷で静養しているのか
な?リーマスは、随分前に一度便りを寄越したきりで心配しておった
のじゃ。遠慮は無用だというに何とも慎み深すぎる男じゃ」

 そのことをまだ話していなかったかと慌てたピーターが全快したシ
リウスがリーマスとレギュラスとともにジェームズ伯の領地を訪問し
に旅だったと話すと、ダンブルドアは更に驚いた様子だった。どうし
てこの話を先にしなかったのかと焦ったピーターが、宮廷で倒れた
シリウスが小さなセブルスの的確な手当で重症化を免れたこと、
確保してあった薬草を分けてくれたおかげでシリウスと他の患者の
看護が楽になったことを早口で報告した。ダンブルドアは熱心に
肯きながらピーターの話に耳を傾け、話が途切れた合間にいか
にも感服したように溜息を漏らした。

「なんと、なんと、あのちいさな御子がそのような立派な行いをした
とな?病気が流行する前にわしに効果のある薬草と治療法を尋ね
る手紙を寄越したので聡明な御子じゃと思ってはいたが。実行でき
るとは見事じゃ!」

 白い髭を長い指で捻りながら老ダンブルドアが小さなセブルスを讃
えると、風変わりな小さな貴婦人に親しみを覚えているピーターは
自分のことのように誇らしくなった。あの小さな貴婦人にも暫くお会い
していないが、母に会った帰りにはポッター家の領地に来るように
言われているので、お顔を拝見できるだろう。自分の顔を見ても特に
何の感情も示されないが、ちゃんと存在を受け入れてくれているの
はわかっている。あの小さな方の手足となって立ち働くのは楽しい
事なのだ。

「そうそう、ピーター、うっかり忘れておったが、そなたに一つお願い
をしておったのを覚えておるね?」

 丸みを帯びた背がびくりと震えたが、はい、という返事がしたので
ダンブルドアは慈愛に満ちた微笑を浮かべた。




「あれではないですか」

 優雅に馬に跨ったレギュラスが前方を指さして、のんびりとした口調
で兄に問うた。最近まで兄の看護をしていた疲れの片鱗も見当たらな
い完璧な貴公子の装いで馬を御している。病み上がりのシリウスも少
し痩せたものの、かえって甘さが削ぎ落とされて精悍な印象になり
相変わらずの美貌を誇っている。

「そうそう、あれだ。久しぶりだが全く変わりないな。城というより農家
みたいだ。ずんぐりと不格好な屋敷だな」

 貶しているようだが、ひどく嬉しそうな表情でシリウスは前方の屋敷
を見つめた。リーマスも懐かしそうに目を細めている。シリウスとリー
マスは学生時代、このポッター家発祥の地にある屋敷で何度もジェ
ームズと休暇を過ごしたものだった。ジェームズの父親の当時の
ポッター伯は当時、この地に半分隠居していて、妻とジェームズの
幼い妹と静かに過ごすことを好んでいたのだ。その三人が流行病
で同時期に亡くなり、一人離れて宮廷生活を送っていたジェームズ
だけが生き残ったのだった。家族を亡くした屋敷に避難することに
なるとは妙な巡り合わせだが、現実主義のジェームズはそのよう
な事は気にしないのかもしれなかった。

「おっ、ジェームズだ。セブルスもいるな」

 既に先触れから知らせを受けていたのだろう、ジェームズとセブル
スが屋敷の前でシリウスたちを出迎えているのが見える。使用人や
大勢の村人も傍らで恭順と好奇心が半々といった様子でお辞儀
している。皆の中で、最も小柄なセブルスはジェームズの趣味で
正装をさせられていて一際目をひいた。本人は正装が気に入らな
いらしく、眉間に皺を寄せているが、それはいかにもセブルスらしい
表情でもあった。

「セブルスはしばらく見ないうちにすこし大人びた感じがするね」

 リーマスがそう呟くと、レギュラスが甘い微笑みで同意した。

「まったく少女はすぐに大人になってしまいますね。しかし、少し
拗ねていらっしゃるご様子ですね。素直でお可愛らしい…」

 シリウスは弟の趣味の不可解さに頭痛を覚えたが放っておくこと
にした。レギュラスのセブルス賛美は少しも理解できないが、セブ
ルスが成長しつつあることはシリウスにも遠目だが見てとれた。
ジェームズの隣で不機嫌な表情をして突っ立っているセブルスが
子どもの域を抜け出しかけていると何故かはっきりとわかったのだ。
あれは不気味なジェームズの着せ替え人形ではない。感情を持ち
合わせている人なのだということをシリウスは不意に理解した。

(2013.1.30)

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