Weekend
 1

  突然、玄関のブザーが鳴り響いたので、家主は壁の時計で時刻
を確認してから溜め息とともに読んでいた本を机の上に置いて立
ち上がり、書斎を出た。狭い廊下を歩いている間に玄関の扉が
開き、ヘルメットをかぶった男が自転車を押して中に入ってきた。
訪問者はホールの隅に自転車を止めると、ヘルメットを脱いで頭
をぶんぶん振った。するとヘルメットに抑え込まれていた髪は癖
の強い剛毛らしくすぐに自分勝手な方向に跳ねかえり鳥の巣の
ように膨らんだ。両耳のイヤホンを取り、ずれた眼鏡を鼻の定位
置に直したところで家主が声をかけた。身なりを整えるまで待っ
ていたらしい。
「わざわざブザーを鳴らさずに入ってきたらいいのだ。鍵を持っ
ているのに」
どことなく面倒そうな口ぶりだ。
「そうなんだけどなんとなく。でもいつも出迎えてくれるよね」
屈託なく答える笑顔にあきれたような表情で応じてから、
「食事は?」と尋ねる。
「買ってきた。あなたは食べちゃったんでしょ?」
「あぁ、いつもの店で済ませた」
家主が不意に特徴的な鉤鼻をひくつかせた。玄関に漂う匂いを
嗅ぎつけたのだ。
「カレー。インド人がやってる店で本格的。値段もリーズナブ
ル」
そうか、と関心の薄そうな声で返事があったが、キッチンの冷
蔵庫からビールやミネラルウォーターを出してきて一緒に食卓
の席につき訪問者が食事をする様子を静かに見守った。
 癖毛で眼鏡の訪問者は、まだ青年になりたてといっていいく
らい若く、全体として健康的ではあるが地味な印象だ。しかし、
よく見ると眸の色だけは稀少な宝石のような鮮やかな緑色を
している。一方の家主は、闇のように黒い髪と眸、青白い顔色
に痩身で一見では年齢不詳だが、知性的で落ち着いた雰囲気
で二人の年齢には隔たりがあるようだ。しかし、本人たちがそ
のことを気にしている様子は微塵もなく、ごく自然に親しくして
いるようだった。
カレーに添えられたピクルスを見つめながら、英国の植民地
支配の歴史について滔々と語り出す家主と、最近のロンドン
のテイクアウトの流行を話す訪問者に会話の接点はなさそ
うだったが、お互いに不満を覚えてはいないらしい。眼鏡の
青年に付き合ってビールを飲んでいた家主は、食事が終わ
る頃合いを見計らって、ジンの瓶とトニックウォーター、氷と
グラスを二つ持ってくるとテーブルで手早く
ジントニックを作った。手際のよさから作り慣れていると知
れる。何となくグラスを合わせて乾杯してから、テレビのニュ
ースを肴にゆっくりと飲みながら会話するのが、週末の習慣
のようになっていて議論は白熱することもないが、途切れる
こともないのだ。家主は普段はジントニックを二杯飲んで寝
ることにしているのだが、訪問者と一緒に飲む時は三杯飲
む。酒精に強い体質らしく顔色の蒼白さには一切変化がな
く、口調も平静だ。訪問者の青年はそれほど強くないら
しく、もともと血色の良い頬は赤らみ、少し陽気になった。
「眠いんじゃないのか」と、国の外交政策について明晰に
語りながらも訪問者の眼鏡の奥の二重が濃くなった緑の眸
を観察していた家主が声をかけると、
「眠くないけど、気持ちいい」という返事があった。家主は
苦笑して、そろそろ風呂に入ってこいと勧める。
「溺れるかもしれないから一緒に入ってよ」と酔ったふりを
して誘ってくる眼鏡の青年を家主はしっしっと手で払って
二階のバスルームに追いたてた。青年はほどよいところ
で諦めて、家主の高い鼻梁と自分のたいして高くない鼻を
軽く擦り合わせ、唇を啄むように口づけてから廊下に消えて
いった。家主は廊下をばたばたと上る音を確認してから、
テーブルの上を片づける。家の主はセブルス・スネイプ、
訪問者はハリー・ポッターといい、二人は今からもう何年
も前に知り合ったのだった。あの頃は、少し冒険してみた
い年頃だったんだ。ハリー・ポッターはいつもそう話すのだが、
セブルス・スネイプは、「おまえは不良になりかけていた。
とても放ってはおけなかった」と回顧している。

(2015.7.31)

 
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