歌声が聴こえる

 教室から朗々とした歌声が漏れてきた。険しい表情で足早に歩いて
いたスリザリンの監督生であるセブルス・スネイプは歌声の主がすぐに
わかったので、思わず引き締めていた口元を緩めた。同じく厳しい表情
で隣を歩いていたグリフィンドールの監督生のリーマス・ルーピンがそれ
を見咎めるようにセブルスに声をかけた。いつもなら寮同士の対立を避
けようと血気盛んな仲間を諫める役に徹しているリーマスには珍しい
事だ。

「もちろん君には歌っているのが誰かわかって笑っているのだろうね?」

 棘のある口調を気に止めた素振りも見せずに、セブルスは静かな声
で答えた。

「貴様が私に教えたのではないのか?もう一人の声は聞こえないが」

 二人とも殆ど足音をたてずに人通りの絶えている廊下を歩いていた。
ほどなく歌声のする教室にたどり着いた。

「ジェームズ!」

 杖をしっかりと握りしめ、教室に飛び込んでいくリーマスの後を落ち
着いた足取りでセブルスが続いた。教壇の上に不作法に足を組んで
腰掛けている歌声の主がセブルスに無造作に手を振った。

「マルシベール、こんな所で何をしているんです?」

 マルシベールはプラチナブロンドの髪を長い指で弄びながら、セブ
ルスの方に向き直った。髪も瞳も皮膚も色素が薄く、彫刻のような
美貌は光の加減もあってどこか冷酷な印象を与える。

「やぁ、セブルス。歌の練習をしていた。思い切り大声を出したくてね」

「おかしな事を言って。さぁ、早くスリザリン寮に帰りましょう。あやう
くスリザリンが減点されるところですよ。ルーピン、歌を歌うのは校則
違反ではあるまい。それでは失礼する」

 意外なことに素直にマルシベールは教壇から降りて、セブルスと
教室を出ていこうとした。リーマスは息を張りつめて四方に視線を
這わせていたが、溜息をつくと同時に教壇の脇に膝をついて、床を
手で探った。セブルスがリーマスに不審な視線を向けた直後に、
リーマスが何かを捲くる仕草をして血塗れになって床に倒れている
ジェームズ・ポッターが突如現れた。

「あーあ、見つかっちゃった。君はずいぶんと鼻が利くんだねぇ」

 少しも悪びれた様子もなくマルシベールがのんびりとした口調で
リーマスに話しかけた。セブルスは突然の事態に目を見張ってい
る。リーマスはマルシベールの棘を含んだ言葉に僅かに表情を強
ばらせたが、ジェームズにかけられていた金縛りの呪文を解き、
怪我の出血の具合を調べた。

「靴で踏んづけた時に鼻の骨が折れた感触があったよ。肋骨も何回
か蹴ったからひびが入っているかも。内臓は傷つけないように気を
つけたし、アキレス腱を切るのは止めておいた。眼鏡はどこかそこら
へんに転がってるんじゃない?」

 血に塗れぐったりとしているジェームズに自分が加えた暴力を淡々
と申告するマルシベールを無視して、リーマスはジェームズを助けお
こした。

「すぐにマダムポンフリーに診てもらおう」

 杖をジェームズの腫れ上がっている鼻に当てて、応急処置で鼻血を
止めた。鼻血が止まり喋れるようになったジェームズがまだ痺れが残っ
ているらしい舌を解すように息を吐いて、

「すまない、リーマス。ちょっとしくじった」

と、弱弱しく微笑んだ。顔色は赤と青が混在して腫れひどく痛々しい。

「ちょっとだって?大分じゃないの?子分を引き連れてないと君って
弱いんだねぇ。吃驚したよ」

 朗らかにジェームズに追い討ちをかけるマルシベールに、

「マルシベール、一体どういうことですか。あなたはポッターと決闘し
たのですか?立会いなしの決闘は禁止されているのですよ」

 状況を把握しようとしてかそれまで無言だったセブルスが冷静に
マルシベールに問いかけた。

「ううん、これは決闘じゃなくてただの喧嘩だよ。ほら、少し前に俺たち
はここでよく話をしていただろ。こいつはよく覗きにきてたんだよ。
家宝の透明マントなんぞかぶってさ。馬鹿な子孫は持ちたくないよね
ぇ。今日は嵌めるつもりでこいつの耳に聞こえるように嘘の待ち合わ
せ情報を言っておいたんだよ。本当にのこのこやってきたから笑えた
けど」

 マルシベールは意地の悪い嘲笑を綺麗な顔に浮かべた。

「透明マントを被っていても気配が消せていなければ、裸で外を歩い
ているも同然なんだよ、ミスター・ポッター」

 リーマスはマルシベールから庇うようにジェームズの前に立った。

「どうしてこんな惨いことを!」

「こんなものただの遊びだ。勇敢な獅子を相手にしているつもりだった
が、子猫ちゃんだったので拍子抜けした。多少の掠り傷は勘弁して
くれ給え。まさか、こんなに弱いとは思わなかったのでね」

「こんな暴力は許されない!」

 明らかに適当な事を言っているマルシベールに、リーマスはきっぱり
言い切った。

「ふうん、勝手にすればいいけど?俺は校長の前でも同じ説明ができ
るよ。いつも君たちがこのセブルスにしていることを仕返ししてやった
だけだ。4対1ではなく、1対1だからこちらの方がフェアだと思うが」

 リーマスの顔がすっと青褪めた。4対1といってもリーマスはジェーム
ズとシリウスと一緒にセブルスと争ったことはない。しかし、傍観して
いることに罪の意識を覚えていた。マルシベールはそこのところを突い
てきたのだ。

「それに、俺は闇の魔法は一切使っていない。校内で使うとあの煩い
爺さんに見つかる仕掛けになってるからな。爺さんはいつでもおまえ
たちの野蛮な振る舞いを大目に見てるじゃないか。俺はそこから学習
したんだよ。学校は教師の裁量で善悪が決められるらしいからね」

 そう言い放つとマルシベールはホグワーツの校歌を軽い調子で歌
いながら、リーマスとジェームズを馬鈴薯の詰まった袋であるような
目で眺めた。セブルスはマルシベールの悪ふざけに頭痛を覚えたと
言ってこめかみに細い指をあてて眉を顰めている。そんなセブルスの
黒い小さな頭を見下ろしたマルシベールが大きな手で撫でた。鬱陶
しそうに頭を振るセブルスに笑いかけるマルシベールの微笑みは先
ほどとはうって変わって優しい。ジェームズがぺっと血の混じった唾
を吐いた。

「汚い」

 ジェームズの罵りの言葉に間髪入れずにマルシベールが答えた。

「お前がセブルスを見る目の方がよっぽど汚らわしい。二度とセブル
スに構うな。次は手加減なしだからな」

「ところで、セブルス。どうしてここに来たんだ。今日は俺の部屋で待
っていろと言ってあっただろう?」

「ルーピンがあなたとポッターがこの教室で決闘しようとしていると呼
びに来たんです。私たちは監督生ですから校則違反を取り締まる義
務がありますから」

「ふうん、どうしてそのことがわかったんだろうね。まさか、ポッター君
が予め助けを呼んでおいたのかい。それとも君の鼻は学校中に利く
のかな。凄いね」

 ジェームズが鋭くセブルスを睨みつけた。

「あぁ、これは俺の勘だよ。セブルスは約束を守る男だ。でも、ミスタ
ー・ルーピンも君もブラックの出来損ないも相当獣臭いよ。指摘され
ないからばれていないとでも思っていたのか。本当に馬鹿だな。石鹸
とコロンを忘れず使えよ」

 ジェームズの憎悪は一直線にセブルスに向かっていたが、セブルス
の黒い眸はマルシベールを見ていた。

「マルシベール、一体何時から?」

「ずっと前からだ。セブルス、水くさいぞ。同じ寮生なのに。それはそう
と、ミスター・ポッターの鼻はそろそろ治さないと曲がったままになる
かもしれないね。アキレス腱は切らなかったけど半分ちぎれかけてる
よ」

 マルシベールはさっと杖を振って担架を作った。

「どうぞ。浮かして運ぶ魔法は使えるんだろうね。早く治療してもらっ
た方がいいよ」

 自分が容赦なく痛みつけた相手に対しての台詞とは思えないマル
シベールの親切な言葉は無視したが、リーマスはジェームズを担架
に乗せると足早に出ていった。笑顔のマルシベールと複雑そうな表情
のセブルスがリーマスとジェームズを見送った。

「あ、そうそう、ミスター・ポッター、セブルスにつまらない報復をして
見ろ、君たちの秘密を理事会にかける算段はできているからその
つもりで。爺さん一人では庇いきれないと思うよ」

 ジェームズは気力を振り絞って、マルシベールとセブルスを睨み
つけたが、マルシベールは笑顔で手を振り、セブルスはリーマスに
早く去れと目で合図して、ジェームズの方を見ていなかった。

「どうしてこんな事を!寮同士の対立が激しくなっているこの時期に。
軽率ですよ!」

 二人きりになった教室で、セブルスがマルシベールに問いかけた。

「俺、あいつ大嫌い。ちょっと懲らしめてやっただけ」

 呆れたように溜息をつくセブルスの髪をマルシベールは撫でた。

「ポッターは卑怯だ。そうだろ?」

 大きな手が青白い顔に添えられる。癇が強いのに知性的なセブル
スがマルシベールは好きなのだ。だから、ジェームズ・ポッターの
セブルスへの度を超えた執着が何なのかすぐに気づいた。自分の
ことが何より大事な甘えた子どものくせに、他の人に渡したくはな
い。そもそもジェームズ・ポッターは自分が同性を性的対象にする
人間だと認められない。セブルスとの他愛もない会話をわざわざ
家宝の透明マントを被って盗み聞きしているジェームズに気づいた
時、自分が仕掛けたとはいえ、あまりの滑稽さにマルシベールは
危うく吹き出すところだった。何とか堪えて今日の決行を迎えたの
だが、床に転がったジェームズ・ポッターの無様さに笑いが止まら
なかったものだ。折角の甚振る楽しみが半減してしまった。セブル
スはすこし真面目すぎる。ああいう輩にははっきり分を教えてやる
べきだ。ちょっと脅かしてやっただけだが、セブルスに惨めな姿を
見られる羽目になって結局より面白い結果になった。あの自尊心
ばかり強い馬鹿は暫く悔しくて眠れないだろう。悪質に呪う方が
自分の趣味に叶っているが、贅沢はいえない。まったく学校という
場所は不自由が多くて嫌になる。

「そうだ、ルシウスが梟便で面白いものを送ってきたぞ」

 いきなり何を言い出すという表情でセブルスが、

「ミスター・マルフォイが?何をです?」

と、聞いてきた。

「あぁ、ホグワーツでは禁書だが、なかなか参考になることが
書いてある呪文集だ。俺の部屋に置いてある」

「ぜひ読ませてください!さぁ、早く寮に帰りましょう」

 抱擁をあっさりと解き、さっさと扉に向かうセブルスに、俺の趣味も
良いとはいえないかもしれないとマルシベールは放縦に考えたが、
すぐにセブルスに追いついて歩きだした。気の向くままに鼻歌を歌
う。

「先ほどから何なんですか、歌ってばかりいて」

「“ポッター殺しの歌”」

 マルシベールが適当なことを嘯くと、セブルスはますます呆れた
表情になったが、気にせずに華奢な肩に手を置いて、一緒に歩き
出した。満足して、愉快な気分だった。


(2013.1.30)


注)
このジェームズは死ぬまで自分がセブルスのことが好きだと気づか
ないと思います。このスネはジェのことを単に軽蔑しています。
リーマスは忍びの地図を偶々見てて、マルとジェーが決闘すると勘
違いして、同じ監督生のセブを呼びにいったという設定です。マルが
ジェーを半殺しにして放置しておいたのを黒犬が発見するバージョン
も考えてみたのですが、奴だと無駄に復讐に燃えそうじゃないです
か。何かややこしくなるなと思ってやめました。リーマスは自分の微妙
な立場的にわりと事なかれ主義だと思うんですよ。
それから、このマルシベールはLettersの時と違ってルシウスと
スネの間くらいの年齢です。

 
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