見つめていたい

 
 ドアをノックする音に、採点中の生徒が提出した羊皮紙から視線をあげ
ると、

 「入り給え」

と短く声をかけた。一呼吸おいてから部屋に入ってきた少年は寝癖がつ
いたような黒い癖のある髪を無造作に掻く態度といい、無造作にローブ
を羽織った格好といい礼節に厳格なスリザリンの寮監である魔法薬学
教授である自分の眉を顰めさせるに充分だった。

「ミスター・ポッター、教師を訪問する時にはそれ相応の礼儀を弁えな
さい」

「すみません、プロフェッサー・スネイプ。クディッチの練習の後、ここま
で急いできたので」

ハリー・ポッターはたいして悪びれた様子もなく謝罪の言葉を口にした。
眼鏡の奥の明るい緑色は不遜に輝いている。

「これは君の猫ではないのか。魔法薬学教室の隅にいた」

と机の上の黒猫が窮屈そうに蹲っている檻を指差して、

「ペットは一匹までと規則で決まっている。きみはふくろうを飼っている
はずではないのか」

厳しい表情で尋ねた。

「うちの猫が僕を慕ってホグワーツまで自力で辿りついたんです。僕が
生まれたときから一緒だったので寂しくなったみたいです」

とハリーは動揺した様子もなく説明した。

「それならふくろうを家に帰し給え。いくらクディッチのヒーローでも規則
は守らなくてはいかん。この猫が校内を徘徊するのでミセス・ノリスが情
緒不安定になっているとフェルチ氏から苦情が出ている」

「猫はハグリットの小屋に置いてもらっています。校長先生も猫一匹く
らい森にいてもかまわないって。ミセス・ノリスは元々神経質なんだと思
います」

校長のグリフィンドール贔屓にも困ったものだ。特にこのハリー・ポッター
に対しては生まれる前から知っているということもあってか何かと特例を
通してしまうのだと内心嘆息した。猫は森ではなく学校をうろついているで
はないか。

「兎に角、君の自由な行動は目に余る。ミスター・マルフォイに対しても
同級生らしからぬ嫌がらせを繰り返していると耳にしている」

実のところこの件についてハリー・ポッターを問いただしたくて呼び出し
たのだ。

「それはクディッチの試合で僕のフェイントを真に受けたマルフォイが
バランスを崩して木の上に落下したことですか。それとも先生への誕
生日のプレゼントを僕がたまたま拾ってマグゴナガル先生に届けたこと
でしょうか」

 観客席からよく見える木の上に落ちるように巧みに誘導したこと、プレ
ゼントの相手を知っていながらわざわざ自分の寮監に届けたに違いない
ことを指摘したかったが証拠がなかった。

「きみのふくろうがミスターマルフォイの後頭部を突っついていたとの
報告が数件我輩のところに寄せられている」

「ヘドウィグは光る物が好きなんです。マルフォイの金髪が気に入った
んだと思います。でも甘噛みしかしないように躾けてありますし、あいつ
も魔法使いなんだから自分で何とかすればいいじゃないですか。いちい
ち先生に言いつけるなんて小さな子どもじゃあるまいし」

ハリーがヘドウィクにマルフォイの後頭部を突っつき回すように指令を
出している可能性が濃厚だった。ハリーは幼少時から動物とコミュニケ
ーションをとる才能があったのだ。ほんの小さな頃から猫と会話していた。
それにハリーはジェームズの再来だ。スリザリンに悪戯を仕掛けずには
いられないのだろう。自分の学生時代を苦々しく思い出していると、

「…やっぱり先生は僕のことを信用してないんだ。子供の時はすごく優
しかったのに…。最近ちっとも顔を見せてくれないと両親が寂しがって
いますよ。僕が子供の時にはよく遊びにいらしていたじゃないですか。
僕や先生の誕生日やクリスマスの時なんかいつも一緒に過ごしていた
のに」

ハリーがいかにも不満そうな顔で文句を言ってきた。

「特定の生徒とその家族と個人的に交際するわけにはいかない」

この数年繰り返してきた台詞だった。

「へえ、じゃあマルフォイは?先生はあいつの父親とも親密ですよね」

ハリーの言葉の刺には気づかないふりをして、

「ルシウス・マルフォイとは私がこのホグワーツに入学した時から同じハ
ウスの者同士のつき合いがあるのだ。だからといってドラコを特別扱い
していることはない」

と答えたが、

「それだったら、先生と僕の母は幼馴染じゃないですか」

事実を指摘するハリーの口調は冗談めかしていても鋭かった。

「あぁ、先生は僕とグリフィンドールがお嫌いなんですよね。同じハウス
出身がお好みですよね、あの何て言ったかな、フレンチ訛の嫌みな男、
あぁ、マルシベール!先週、先生の部屋から出てくるところをみかけま
したよ」

「マルシベールは近くに用があるので寄ったと…」

言い訳する必要はないのに事実関係を説明してしまった。

「彼はダームストロングで教鞭をとっているのでしょう ?近くに来たから
なんてずいぶん長い足ですね。」

「レギュラス・ブラック。あのシリウスの上品な弟。完璧なブラック。彼も
しょっちゅうここに出入りしていますよね」

「レギュラスはホグワーツの理事の一人だ。学生の頃から親しくしてい
て…」

「へぇ。デスイーターの同窓会でもしているんですか、この部屋で。楽し
そうだな」

皮肉な口調を咎めようとした時、ハリーが痛みを堪えるように顔を顰めた。

「どうした、練習中の怪我か。どうして先に言わない!」

慌てて椅子から立ち上がってハリーの傍に近寄ると、

「いいえ、夜になると関節が痛むんです。マダム・ポンフリーは身長が伸
びているからだって」

そう言われてみれば、ハリーの身長は自分と変わらなくなっていた。反抗
的な言葉ばかり紡ぐ声も低くなっていて大人と変わりなかった。不意に背
を高く見せたくて爪先立ちで自分を見上げていた幼児の姿が脳裏に蘇っ
た。可愛らしいソプラノの声がいつも自分をわがはいと呼んでいたこと。
母親譲りの美しい緑の瞳は変わりないが今は眼鏡をかけている。ハリー
が身体をセブルスに寄せてきたので、思わず後ずさった。じりじりと壁際
まで追いつめられてしまう。

「先生、ぼくがそんなにいやなんですか」

傷ついた目をしてハリーが詰るように囁いた。

「“わがはい”、お誕生日おめでとう。この言葉くらい受け取ってください」

何か言わなければいけないが言葉が出ない。真剣な色を湛えた緑色の
双眸から視線を逸らすことができない。



 はっと目覚めると大きなまるいエメラルドのような二つの瞳が間近でセブ
ルスを見つめていた。ふわふわした癖毛に林檎のように真っ赤な柔らかい
頬、むっちりと健康的にふとった幼児がセブルスの前に立っている。

「すまない、ハリー。眠ってしまって…」

変な夢を見たものだ。昨夜、久しぶりにマルシベールと暖炉ごしに会話し
たからだろうか。そういえば、ルシウスやレギュラスからもふくろう便を受け
取ったばかりだ。今日は自分の誕生日だが、幼なじみのリリーが独身の
自分を憐れんで食事に招いてくれた。食事の後、いつも大歓迎してくれる
ハリーと一緒に遊んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「わがはい、つかれてるんだよ。おしごとたいへん?」

何か腹の辺りが暖かくて重いと思ったら、ポッター家の飼い猫が載って
いる。黒猫なので黒衣が保護色になっていたらしい。道理で妙な夢を見た
わけだ。

「もうふ、とってくるまでわがはいがさむくないようにとおもって」

そういいながらハリーは猫をセブルスからはがして床に降ろした。代わ
りに引きずってきた毛布を不器用な手つきでセブルスにかけてくれた。

「いや、もう起きよう。ハリー、何か魔法を見たくないか」

ううん、と首を横に振ってハリーは毛布をぽんぽんとたたいた。

「もうちょっとねてたほうがいいよ。ぼくがみててあげるから」

ハリーは愛らしい提案をしながらからだをもじもじさせている。セブルス
が毛布を開けて入り口を作るとすぐにいそいそと潜り込んできて嬉しそ
うにセブルスを見上げた。

「あのね、わがはい」

ハリーは真剣になると寄り目になるのだが、それが何ともいえず笑いを
堪えるのが難しいほど可愛い。

「どうした、ハリー」

「ぼくね、はやくおおきくなってわがはいにおいつくからまってて」

「もう身長は伸びないと思うが。年齢的に」

「ちがうの、それもあるけどとしのことだよ」

ハリーがどう頑張るつもりなのかは不明だが、年齢差が縮まることは有
り得ない。少し前には自分と結婚したいなどと面白いことをよく言っていた。
そのあたりの概念をまだハリーはあやふやにしか理解できていない。その
うち成長するにつれあっさり忘れていくだろうから敢えて正す必要もあるま
い。それにセブルスは自分への好意を隠さない無邪気なハリーの幼さが
くすぐったい様な気がするのと同時にとても大切だった。

「そうか。では待っていよう。でもなるべくゆっくりでいいぞ」

ハリーからの返事がないので、見てみるとすでにぐっすりと眠り込んで
いる。そのあどけない様子をセブルスはしばらく見守っていた。子どもの
体温は高く、セブルスはその温もりをただ静かに感じていた。

【補足】
夢落ちにしてしまいましたが、ハリーのホグワーツ時代を想像してみま
した。猫はもちろんハリーがスネの周辺を見張るために呼び寄せました。
私の書くハリーはどれもナチュラルにストーカー体質ですね。
この時期のハリーは反抗期ということもあり、結構スネと対立しています
がやっぱり好きでスリザリンに入りそびれた(組み分け帽子が天パと眼
鏡で「あぁポッター家ね」とグリフィンドールに入れてしまった)腹いせに
ドラコの事を目の敵にしています。ザ・逆恨み☆

(2012.1.9)

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