目が覚めた。腰のあたりが怠いが、気分は悪くない。扉の向こうに誰
かがいるらしい物音がする。
しばらくその気配を聞いているうちに意識がはっきりしてきた。
ベッド脇のサイドテーブルにまで本が山積みになっている自分の部屋の寝
室とは違う。この部屋の調度品は必要なものしか置かれていないが上品
にコーディネイトされており、シーツも極上のものだと手触りからしれた。
ここが誰の家なのか、そして物音をたてているのがこの家の持ち主だとい
うこと、そして昨夜自分がこの家に泊まった理由も思い出した。
とりあえずシャツとズボンを身につけてから、思い切って扉を開けた。

「あ、セブルス、起きた? おはよう」

 鮮やかな緑色の瞳が、眼鏡越しにセブルス・スネイプの姿を捉えて微笑
を浮かべた。ハリー・ポッターはシャツを洗い晒しのシャツに、ジーンズを
履いていてただのマグルの青年のように見えた。そういうセブルスもマグ
ルの洋服を身につけている。
ベーコンの脂が焼ける音と香ばしい匂いに耳と鼻孔をくすぐられる。
ハリーからの朝の挨拶に返事をしそびれたままその場に立っていた。

「結構、手際がいいでしょ?ホグワーツに入学するまでは、ダーズリーの
家で毎朝手伝ってたし」

 ハリーは片手でベーコンから出る脂でベーコンを焦げないようにカリカリ
に焼いているフライパンを揺すりながら反対の手で杖を振るい、ボウルの
中で、マッシュポテトにマヨネーズが和えられ、レタスが自ら水切りしてか
らテーブルに向かって飛んでいた。焼きあがったトーストが次々とトースト
スタンドに収まっていく。
ベーコンから出た脂の中でソーセージを泳がせてから、トマトと卵を目玉に
焼いて、手早く皿に盛りつけた。
この魔法界の英雄が、唯一の親戚一家に疎まれて育てられたことは知っ
ていたし、その頃のことをハリーは冗談めかして時々話す。
今思えば、マグルの生活様式に対する無知から家事全般が苦手だった
自分の母親でも、パンとコーヒーくらいはテーブルに用意してくれていた。
ごく稀に、信じられないくらい美味な甘いケーキのようなパンが出ることが
あったが、それは絶対に父親がいない時で、近所のパン屋で買ったもので
ないことは確かだった。突然、長い間忘れていた幼い頃の記憶が蘇り、
戸惑いをおぼえているうちに、テーブルの上では朝食の支度が整えられ
ていた。かりかりのベーコンにソーセージ、目玉焼き、焼きトマトが載った
皿。山ほど焼かれたトーストとジャムやバター。他にもちぎったレタスと
ポテトサラダのボウル。珈琲の入ったポットとオレンジジュースの入った
ピッチャーも置かれ、小さくもないテーブルの上がはみ出してしまいそうな
ほどいっぱいになっていた。実際、ジャムポットやバターケースは少し宙に
浮いていた。
大雑把に用意されたようだが、珈琲が大好物でブラッドソーセージやキド
ニービーンズなどの伝統的な朝食メニューがあまり得意でないセブルスの
好みはきちんと把握されている。
出来立ての料理と珈琲から立ち上る湯気と香りに、普段ほとんどおぼえた
ことのない空腹を刺激された。

「できたよ。さ、すわって、すわって」

 ハリーが顔を近づけてきたので、軽く唇を合わせた。それから当たり前
のように椅子をひいてセブルスを座らせ、向かい側の椅子に自分も腰を下
ろした。

 ヴォルデモートを弊した後、ハリー・ポッターはそ直前の決戦で重傷を負
い聖マンゴの集中治療室にいたセブルスに会いに来た。
 そして愛を告白した。
セブルス・スネイプは思った。
この子は勘違いしているのだと。同性に恋愛感情をおぼえれるのはあの
年頃によくある話だ。特に私たちは激しく対立してきたので、いっそうこの
関係に対する執着が強くなってしまったのかもしれない。
セブルスが命がけでハリーを守護してきたことを知ってしまったことで、
いきなり感情が逆のベクトルに振り切れてしまったのだろう。過去における
ポッターの父親とセブルスの関係も同じようなものが根底にあったのかも
しれなかった。
 思えばハリー・ポッターという存在は、常にセブルスをひどく混乱させて
きたのだった。
その姿を目にするたびに、瓜二つだった父親の記憶が否応なしに蘇った。
そして、瞳だけはセブルスが憧れてやまなかった幼なじみの少女と同じだ
った。
セブルスは、快活で才気あふれるジェームズを愛さずにはいられなかった
が、同時にひどく憎かった。ジェームズを愛していると認めてしまった愚か
な自分が惨めで、自分ををいつでも陽の当たる場所へと連れ出そうとする
ジェームズが疎ましかった。セブルスはジェームズに優しくされるのではな
く、対等な能力を持っている存在として認められたかった。それを示したか
った、そしてそんな卑屈な願いをもったことを後になってどれほど悔いたこ
とか。
ハリー・ポッターにセブルスは出会う前から負い目を感じていたようなもの
だった。
 セブルスは、もうハリーに嫌われる必要もないので、自分への気持ちは
思春期の気の迷いだということと、自分はダンブルドアからの依頼を受けて当然のことをしたまでだから恩など感じなくてよいのだと穏やかに説明し
た。ハリーは黙って話を聞いていたが、

「僕はこの気持ちが、一時的な気の迷いだとは思えません。僕は、ずっと
先生に対して疑問を感じてきました。今、やっとすべての謎が解けたような
気がしているんです。ぼくは先生を諦めません。いつまでも待ちます」

 そう言うと静かに病室から出ていった。それ以後ハリーがセブルスの
病室を訪れることはなかったが、退院するまで魔法界やマグルの花束が
絶え間なくセブルスに届けられた。

 ようやく身体が回復したセブルスは、ホグワーツを辞職し、実家に戻っ
た。両親は共に亡くなって久しく、セブルスが教職に就いてからは休暇の
時に数日滞在するくらいだったのであちこち傷んでいたが、当面生活でき
るように修理した。これからは退職金と年金でひっそりと暮らしていくつも
りだった。学校側からは慰留されたが、セブルスが教職に就いたのはひと
えにハリー・ポッターを守る任務の為だったので、全てが終わった今、ホグ
ワーツに留まる理由はなかった。
これで生意気で騒々しい子供たちと関わらなくてすむと思うと清々する思
いで一杯だった。これからは気楽に植物を育てたり、今まで教職と騎士団
の激務でできなかった研究をして静かに過ごしていくつもりだった。
 しかしそれはハリー・ポッターが最終学年をやり直し、卒業した足でその
ままスピナーズエンドのセブルスのところにやってくるまでのことだった。
執拗なノックに開けた扉の前にかつての教え子の姿を認めると、扉を閉め
たのだが、ポッターはいつかの宣言通り今度は決して諦めなかった。
数日間に及ぶ玄関先での激しい攻防は、夜間に届けられる夥しい数の
ふくろう便についに私が折れて、ハリー・ポッターと面会するまで続けられ
た。
ホグワーツで百年ぶりの最年少シーカーだったポッターは、プロのクデ
ィッチチームへの入団を決めていた。そのことをセブルスは新聞で発表さ
れるより前に本人からきかされた。
 華々しいデビューを飾ったハリーは、当然のように次々と記録を出して
いった。セブルスは観戦などする趣味はないので新聞で試合の結果を
知ったが、写真の中の泥だらけのハリーが必ずセブルスに向かって手を
振りながらウインクするので、部屋に一人きりでいるのに動揺してしまう
のだった。
オフシーズンになるとハリーはしょっちゅうスピナーズ・エンドを訪問した
し、シーズン中も各地からこまめにふくろう便を寄越した。
 このハリー・ポッター所有のふくろうはどういう教育を施されているのか
非常に厄介で、返事を脚にくくりつけるまで断固として帰らないので、渋
々だが短い返事を書く羽目になった。糞で部屋を汚されても不愉快なの
で、ポッターのふくろう専用のスタンドも通信販売で購入した。新発売の
ふくろうフードがついてきたので、餌入れに入れておいたら当然のように
ポッターのふくろうはカツカツ啄んでいた。定期的に送られてくるようになっ
たカタログを見てみると、「羽毛がツヤツヤになる」とか、「配達後の疲労
回復に最適」など効用をうたっていたり、フレーバーにしても「ネズミ味」
とか、「芋虫味」など多種多様で、いろいろと選んで取り寄せている。
セブルスがポッターからの馬鹿げた内容の手紙を読み、適当な返事を認
める間、ふくろうは餌入れからふくろうフードを啄み、水入れから水を飲ん
でスタンドで羽を休めたり、セブルスの肩まで飛んできて優しく甘噛みし
たりした。

 実を言えば、セブルス・スネイプはハリー・ポッターに弱い。
ハリーの外見が両親によく似ているという点よりも、ハリーの育ってきた
境遇、否応なしに背負わされている魔法界の救世主的な過大な期待と
いうものに対してセブルスは自責の念にかられずにはいられなかったか
らだ。
自分がもう少し上手く立ち回れていれば、もしかしたらポッター夫妻の
殺害という悲劇は避けられたのではないか。その思いに対する苦しみが
セブルスの脳裏につきまとって離れなかった。
予感はあったので、彼が学生の間は私の任務遂行の為にも父親との
因縁を日々思い返して古傷にナイフを突き立てては嫌悪の情を奮い立た
せて何とか乗り切ってきた。愛情というものは判断を鈍らせるものだ。
あの子の両親に代わって、その命を守り抜くためには、そのようなリスクは絶対に避けるべきだった。ハリーの父親のジェームズの親友だったシリウ
ス・ブラックがアズカバンを脱獄してきて、ジェームズの面影を追うように
ハリー・ポッターを溺愛する様とその結末を見て、セブルスの判断は正し
かったことが証明された。
シリウス・ブラックの無償の愛情を受けている間ほどハリー・ポッターが
闇の勢力による命の危険に晒されたことはなかった。
 しかし、二人きりで顔を合わせて話をする機会が増えるとそうもいかなく
なってきた。
親しくするようになってわかったことだがハリーはセブルスと似た境遇に
育ち、苦労と無縁で愛情過多気味な育ちのせいで傲慢なところがあった
父親に生き写しでありながら、思いやりがあって素直な性格をしていた。
押しが強いところもあるが、基本的に他者の心情を自然に慮ることができ
る。そういう美点は、セブルスの幼なじみの少女と重なる。
ハリー・ポッターが学生の時とは別の意味で自分みたいな不幸な過去の
生き残りにかまわずに明るい未来へ向いて進んで行ってほしいと思って
あえて冷淡な態度で接するように心掛けていたのだが、それもだんだん
難しくなっていった。
恋人などとは絶対にいえないが、一緒にいるくらいかまわないのではな
いだろうか。ハリーが欲しがるのならこの身体ぐらい与えてもいいのでは
ないか。いつか、ハリーの目が醒めてセブルスから離れる日が来たとし
てもそれはかまわない。本人に面と向かって告げたわけではないが、
年の離れた友人同士のように振舞いながらもやはりハリーがセブルスを
求めてきた時、拒絶することなくそれを受け入れた。

 そういう関係になってからも決してハリーは泊まっていかなかった。
最初の頃のようにソファではなく寝室で身体を繋ぐようになってもそれは
変わらなかった。寝台の半分を本が占領している有様には呆れられたの
で、サイドテーブルに積み上げて置くことにしたが。大人の男二人では、
狭苦しいセブルスの寝台で散々抱き合っても、夜更けにはハリーは帰って
いく。
眠っているセブルスの頬や髪にそっとあてられた唇の感触や、毛布を肩の
上まであげてくれる気配を感じながら、いつでも眠ったふりをしていた。

 ポッターはプライベートは静かに過ごしたいからという公式理由でロン
ドンのマグルの世界に居を構えている。魔法省からの要請で極秘に結
界が張られているが、マグルはもちろん一般の魔法使いにも秘密にされ
ている。魔法界のスーパースターの隠れ家というわけだ。
セブルスの家もマグルの居住区にあるので、二人ともマグルの洋服や、
紙幣や硬貨を揃えていた。ポッターは財産の一部をマグルの銀行に移し
何らかの超法規手段を講じてクレジットカードまで持っていた。セブルスは
服装など暑さ寒さを凌げて人目につかなければ何でもよかったのだが、
ハリーは若者らしく流行に敏感でファッション雑誌をなどを参考にして
シーズンごとに結構な数を新調し、セブルスの服装や髪型もあれこれ
アドバイスした。
魔法使いの世界にも流行はあるが、マグルの世界ほど多彩ではない。
ハリーは子供の頃同い年の従兄弟の、しかも肥満児のためにだるだるに
伸びきった洋服のお下がりしか着るものがなかった反動でついつい新しい
洋服を買ってしまうのだと話していた。本人の口調は明るかったが切ない
話だ。
セブルスの子供時代も似たような経験があり、それでセブルスの場合は
身なりに興味がなくなったのだが、自分の服装に関してはハリーのアド
バイスを全面的に受け入れることにして、この頃では二人でマグルの店に
でかけてハリーに選んでもらっている。
 ハリー・ポッターといえば魔法界のヒーローだし、セブルスの世間の評
価は未だに微妙だったので、マグルの世界にいる方が人目に付かなくて
気楽だった。二人で買い物の後に映画を観たり、パブに出かけたりするこ
ともある。昨夜もハリーが二軒目の店を出た後、自分の部屋でもう少し
一緒に飲まないかと誘ってきたので、いい加減酔っていたセブルスは
素直について行ったのだった。思えば会うのはセブルスの家か外ばかり
で、ハリーの家に行くのは初めてだった。
 ハリーの部屋は、マグル的にも魔法界的にも万全のセキュリティが敷
かれていて、スピナーズ・エンドの家の敷地全体の三倍は優に広く、家
具もシンプルだがさりげなく上等なものが置かれていた。ハリーはポッ
ター家の財産に加えてブラック家の財産も相続した上に、クディッチ選手と
しての年俸もトップクラスだから当然といえば当然だ。
堅苦しいようでとても座り心地のよい革のソファに沈んでいるセブルスに、
ハリーがアルコールの用意をしてくれた。酒類もスラグホーンやルシウス・
マルフォイが喜んで収集していそうな非常に高価なものだった。人からい
ろいろもらうことが多くって、とハリーは話しながらグラスに注いでくれる。
いつもスピナーズ・エンドの廃屋じみた家の古びたソファで珈琲やセブル
スが食料品と一緒に適当に取り寄せている安価なエルフ製ワインを飲み、
マグルのパブで一緒に黒ビールを何杯もお代わりしている姿しか知らなか
ったので、新たなポッターの一面を知ったようで不思議な気持ちになった。
そういえば、とここには誰か訪ねてくるのかときいてみると、セキュリティ
の問題でごく限られた、魔法省のハリー・ポッター専属の特殊部隊の人
間の他はウィーズリー家やハーマイオニー・グレンジャーくらいしかここに
は来たことはないらしい。
 ハリーの親友のロンとハーマイオニーは結婚準備で忙しいらしい。ロン
の母親のモリーは、ハリーのことを自分の息子のように愛しているので、
一人暮らしのハリーのことを心配してしょっちゅうディナーに招待し、この
家を頻繁に訪問するのはセキュリティの問題で諦めると魔法省勤務の夫
経由で、この家に手作りの菓子や自家製の卵や瓶詰めがぎっしり詰まっ
たバスケットを送ってくるらしい。そういえば、ハリーがスピナーズエンドを
訪れる時には、よくモリーお手製のパイやケーキを持参している。
ふと、窓のそばに置かれてあるふくろうスタンドが目に入った。これは
唯一セブルスの家にもあるものだ。
あのふくろうはどこにいるのかときけば、今夜は狩りに出してあると低く
笑いを含んだ答えが返ってきた。ハリーは今夜最初からセブルスをこの
家に連れてくるつもりだったらしい。
ソファで愛し合った後、ハリーに寝室まで運ばれて、また何度も愛し合っ
た。 いつも以上に情熱的で執拗な愛撫にセブルスも夢中になった。途中
で意識を飛ばして、気づけば朝を迎えていたのだ。

「何なのだ、にやにやと」

ポッターがずっと笑顔でこちらを見ているので、気恥ずかしい。

「セブルスと朝ごはんが一緒に食べられて嬉しい」

「ホグワーツでは、ずっと同じ食堂で食事していたではないか」

「…何それ」

あきれた顔をしながらハリーは、私のカップに珈琲を淹れてくれる。

「ほんというと、子供の時からずっと願っていたことが叶ってすごく嬉しい。
あの頃はお父さんとお母さんと一緒に食事がしたいって思ってたんだけ
ど。神様っているんだって今朝はじめて実感した」

 史上最悪の魔法使いを倒し、今や魔法界から救世主と見なされている
人物の発言とはとても思えないが、ハリーはにこにこしながら、ソーセージ
を頬張っていた。
 穴があったら入りたいほど気恥ずかしい。ポッターと向かい合わせに
座って、二人で朝食を摂っている。まさに異常事態だ。絶体絶命だ。
マグゴナガルやマルフォイ父子がこの光景をみたら仰天するだろう。
いや、自分の往生際が悪いだけなのか。セブルスはこの空気にすでに
馴染んでいる。それにポッターと同じ家で朝を迎えることを心の何処かで
待ち望んでいた。
 セブルスは気を取り直して、ハリーが作ってくれた朝食を食べることに
した。向かいの席に目をやれば、若者らしく健啖家な恋人は、新しいトー
ストにバターとマーマレードをたっぷりと塗っているところだった。

「昨日は帰っちゃうんじゃないかと思って、夜中に何度も起きちゃった。
疲れさせようと思っていつもより激しくしたから、セブルスはぐっすり寝て
たけど」

 さらりと恥ずかしいことを言い出すハリーに怒る気力ももはやない。どう
して、今までスピナーズ・エンドに泊まらなかったのか聞いてみたい気が
したがやめた。おそらくハリーは待ってくれていたのだろう。セブルスの
中にハリーの居場所ができるまで。異常に押しが強いところもあるが、
ハリーはセブルスの逡巡を察してくれていた。
 こことスピナーズエンドの暖炉をネットワークで繋ぐのも時間の問題
だろう。ハリーは魔法省にどんな理由で許可を取るつもりなのか知らな
いが、涼しい顔で簡単にやってのけそうだ。
今度、ハリーがスピナーズエンドに来たら泊まっていくように言おう。
今度は自分が朝食を作る番だ。

(2011.6.19)
inserted by FC2 system