初恋の味

 
 夏が嫌いだった。夏期休暇は長すぎる。ホグワーツではどのような事情が
あっても未成年の生徒は、一年に一度は家に帰らなくてはいけない。魔法
界では未成年者は生家に守護されているとされている。例え孤児であって
も、孤児院に戻るのだ。全ての命は生まれた土地に祝福されるという思想
が根底にあるのだろうが、迷惑な話だ。魔法使いが魔法が使えない家にい
てどのような目に遭うと思うのだ。私のマグルの父は魔法を憎んでいて、
魔女と魔法使いの妻と息子は疎んじられていた。家に戻ると自分が自分
でいられないので息苦しくて堪らなくなる。しかし、今年の夏はいつもと
様子が違っていた。長年の不摂生のつけで父が倒れ、マグルの病院に
入院したのだ。スリザリン出身で純血の魔女の母は未だにマグルの世界
に馴染めずにいるので、代わりに病院の手続きをしたり、日常の買い物も
引き受けたので忙しくなった。母はスーパーマーケットで買い物をすること
すら苦手だ。紙切れに印刷されている金額の価値があることがどうしても
納得できず、機械を使って精算することも苦痛らしい。日用品を買い込ん
だ買い物袋を両手に下げて炎天下の人気のない道を歩いた。汗が滴り落
ちるにまかせながら、新しい呪文のスペルを考えたがうまくいかずに苛々
しているうちにやっと屋根が傷んでいる古びた家にたどり着いた。立て付
けの悪い扉を開けて中に入ると、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。この家
に笑い声が響くことも珍しければ、来客自体が稀なことだった。杖を握りし
めて居間の扉を開けると、

「あっ、セブルス、おかえり!」

と声をかけたのは母ではなくて、暑苦しく跳ね返った癖毛に明るいヘーゼ
ルの瞳に眼鏡をかけた男だった。同じ年頃のマグルの格好をしている。

「来ちゃった」

 こちらが何をしに来たか尋ねる前に臆面もなくあっけらかんと言い放た
れて脱力しかけた。

「セブルス、ご苦労さま。おまえが出かけてから少ししてポッターさんが
お見えになったのよ。おまえが帰ってくるまで外で時間をつぶすっておっ
しゃったから中にお入りいただいたの」

 母の言葉に図々しく家に上がり込んだポッターは、居間で母と談笑して
いたらしい。半ば飲まれた紅茶のカップとクッキーの入った皿が目に入っ
た。

「セブルスのお友達が家にいらっしゃるなんて初めてね。お母さん、ちょっ
と驚いたわ」

友達などではないと宣言したかったが、間髪入れずにポッターが、

「すみません、急にお邪魔してしまって。ロンドンに用事があったんです
けど、ふとセブルスの顔が見たくなったんです。ホグワーツでは毎日の
ように議論する仲ですから」

とにこやかに説明した。

「あら、ロンドンからだと遠いでしょ?」

「ひとっ飛びですよ。あ、箒だと目立つのでマグルの交通手段を使いま
したけどね」

とぬけぬけと笑顔で答える。母がクディッチのシーカーだなんて凄いわ
ねぇと微笑んだところをみると、ちゃっかり自分の自慢話をしたに違い
ない。

「大変!そろそろ病院に行くバスの時間だわ」

と壁の時計を見て母が慌て立ち上がった。毎日、母は父が入院している
病院までバスに乗って通っている。母をバス停まで送り、私が降りる駅名
と料金を払う段取りを確認すると、神妙な表情で母がバスに乗り込むの
が日課だ。マグル世界に馴染めず孤独に生きる魔女。それがわたしの
母親だ。純血主義のスリザリン出身の魔女とマグルの男のカップルに
おいて想定される最悪のパターンを辿ってきた両親だが、慣れないマグ
ルの交通機関を使って毎日見舞う母を、父も病人の弱気もあるのか日が
な一日待っているらしい。何故か一緒についてきて私の隣で手を振って
見送っている男に母も控えめに手を振って応えた。

「セブルスってお母さん似だね。お父さんにも似てるの?」

 母を乗せたバスを見送った後、唐突に質問されて咄嗟に考えてしまっ
た。私は全体として魔法使いであることを含めて母親に似ているが、父親
にも似ている。特に鼻の形はそっくりだ。しかし、そんなことをこの男に教
えてやる義理はない。

「貴様は一体何をしにきたんだ。わざわざ私を笑いにきたのか」

「ふうん、セブルスのお母さんの淹れてくれた紅茶、すごく美味しかった
な。まぁ、今日の気温だと舌が煮えかけたけど」

 話が通じないとはこの事だ。私の嘆息を気にもとめずに周囲を物珍しげ
に見渡している。

「あっ、川だ。セブルス、川縁で涼んでいこうよ」

工場排水が泡立ち悪臭がするどぶ川を眺めても余計に暑くなるだけだ。

「変わった水だね。魔法薬みたいだ」

 純血の魔法使いでマグル世界に疎いというだけではなく、正真正銘のお
坊ちゃま育ちの暢気さで、ジェームズ・ポッターは汚濁している水面に石を
投げた。川縁には羽虫の群が飛んでいて汗ばんだ皮膚につくと気持ちが
悪い。

「こんなところで話ができるか。帰るぞ」

 言ってからしまったと思ったが、時すでに遅しでジェームズはにっこり
笑って来た道をさっさと引き返し始めた。既に道を覚えたらしく、早くおい
でよ、セブルスと馴れ馴れしく手招きする。貴様は自分の家でもどこに
でも帰れと言いたいところだが、今日のように楽しげな母を見たのは本当
に珍しいことで、それはおそらくジェームズのおかげなのだろう。
この男の人徳というよりは魔法使いと接したことが嬉しかったのかもしれ
ないが、ジェームズは真夏にもかかわらず、母が淹れた熱く煮え滾った
紅茶を全部飲んだばかりか、とても丁寧に礼を言っていた。普段ほとん
ど忘れているが、ジェームズは魔法使いでも指折りの名門の出で礼儀
正しく振る舞おうと思えば、そのように振る舞えるのだ。母の気持ちを明
るくしてくれた礼はするべきかもしれない。先ほど引き摺るようにして持ち
帰った買い物の中にオレンジジュースのパックが入っていたはずだ。ジュ
ース一杯くらいなら礼をしてもいい。

 ホグワーツに入学した時の列車の中から私たちの対立は始まった。
といっても一方的にジェームズ・ポッターをリーダーとするグリフィンド
ールの悪童どもが私に因縁をつけてきたのだ。年々、ジェームズたち
の悪戯は悪質になっていったので、こちらも防衛手段を執らざるを
得なくなった。私が編み出した呪文の中でも最も強力な呪文がセクタ
ムセンプラだ。運良くジェームズと二人きりで対決する機会があり、
躊躇うことなくジェームズに呪文を放ってやった。結果、呪文は正確
に成就し、ジェームズは身体中を切り刻まれ血塗れになって倒れた。
反対呪文も考えておいたので事なきを得たが、それからだ、ジェーム
ズの様子がおかしくなったのは。
物陰から私のことを見ているわりにちょっかいを出してくることはなくなっ
た。てっきり復讐を企んでいるのだと思って、警戒を怠らなかったが、つい
に奴から梟便が届いた。夜中の呼び出しときたら決闘だ。私は介添え役を
同寮で親しいマルシベールに頼んで、指定された時刻に、空き教室に出
向いた。予想していなかったことだが、ジェームズ・ポッターは一人で空き
教室にいた。介添え役が一人では心許なくて仲間を隠しているのかと辺り
を窺ったが気配は感じられなかった。

「ポッター、介添え役はどうした?」

 礼儀として質問すると、ジェームズ・ポッターは極度に緊張して強ばっ
た表情で、

「えっ?介添え役?式は何年か交際してから挙げるものだろう?」

 頓珍漢な答えに思わず首を傾げかけたが、

「どうして君一人できてくれなかったんだい。そうか、それが君の答えな
のか!」

 悲痛な声をあげたジェームズにマルシベールも不審気に、

「おまえがこいつからもらったのは決闘状なんだろうな?」

と耳元で囁いてきた。手紙には、待ち合わせ場所と日付とジェームズ・ポッ
ターの署名だけが書かれていた。そうマルシベールに話すと、マルシベー
ルは端正さゆえに冷酷にも見える美貌の顔を長い指で撫でながらしばら
く黙って考えていたが、

「どうも決闘ではないようだから、とりあえずこいつの話をきいてやれよ。
俺は寮に戻る。いや、身の危険を感じたらセクタムセンプラでもアバダ
ケダブラでも好きな呪いをかけてやれ。俺が許す」

と勝手なことを言って、部屋から出て行ってしまった。ジェームズ・ポッター
と二人きりで真夜中の空き教室にいるなど奇妙な事だ。私も地下のスリザ
リンの寮に帰ろうとした。その時だ。グリフィンドールの名シーカーがスニ
ッチを捕まえる時のように私に突進してきたのだ。もの凄い勢いで私の
手を取ると、片足を折って跪いた。そして、求婚の言葉を捧げられたのだ。
その後、どのようにして寮の自分の部屋まで戻ったのか記憶がない。
しかし、返事をしなかったことは覚えている。それなのにそれからかなり
鬱陶しい目に遭った。マルシベールにはからかわれるし、ジェームズ・ポッ
ターの親友シリウス・ブラックには絡まれるし散々だった。シリウス・ブラ
ックは私を罵っているうちはまだましだったのだが、ジェームズとの間で
深刻な話し合いがもたれたらしく、公衆の面前で

「ジェームズを幸福にすると誓え」

と涙ながらに迫ってきた時には穴があったら入りたいという心境を実感し
た。こちらからジェームズに決闘状を送るべきか真剣に検討したが、恋愛
ごとに長けたマルシベールに、

「あいつんちは金だけはあるから適当にあしらっとけよ。なんでもあいつに
払わせとけばいい。中身はお子さまだし大丈夫だろ」

とアドバイスされた。何が大丈夫なのかは不明だが、マルシベールの見立
て通り確かにこれまで何もない。金持ちの子らしく豊富に小遣いをもらっ
ているらしく支払いは全てポッター持ちだ。ジェームズと会話が成立する
ようになってわかったことだが、あのセクタムセンプラでジェームズを
切り刻んだ時、ジェームズは恋に落ちたのだという。マゾヒスティックな男
だ。あの日はちょうどジェームズの誕生日だったという。運命を感じたと
真顔で打ち明けられたが、無駄にロマンティックな男だ。
 自分の家にジェームズが突然現れた時には驚いたが、夏休み前にマグ
ルの父が魔法嫌いなので梟を送るなと言っておいた事がひどく堪えてい
たらしい。住所を頼りにマグルの交通機関を使って捜し当てたと言って
いた。なんとなく怖ろしいところがある男だ。それからちょくちょく遊びに
来るようになったのだが、母がいる時間に訪ねてきて私を差し置いては
母と話し込んで、バス停まで母を送っていく。

「ジェームズっていい子ね」

と母がしみじみとした声で言うので、もともと呪い合っていた間柄だとは
流石に言い憚られたので、

「グリフィンドールですよ」

と指摘すると、母は懐かしそうな表情を浮かべた。母の学生時代も
スリザリンとグリフィンドールは対立していた筈だ。

「そうね。でも、あなた、スリザリンでは肩身が狭いのではないの?」

マグルとの混血だから、とは言葉にしなかった。

「別に。実力で認めさせましたから」

 母は私の発言を強がりと思ったのかもしれないが、肯いてくれた。
 ジェームズはバス停まで母を送って行った後、当然のような顔で
スピナーズエンドの我が家まで一緒に戻るのだが、近頃では図々し
くなって寄り道するようになっている。ジェームズは魔法界でも指折り
の名家に生まれ育ったので、マグルの世界が物珍しいのみならず、
日用品を自分で買う事など今まで一度もなかったらしい。スーパー
マーケットに初めて入ったときの興奮ぶりは横にいて恥ずかしかった。
まず買い物かごやカートにひどく感心してから、店内のものを一つ
ずつ全部買いたがったのでカートにセットした二つのかごにはいる分
だけに厳選させるのに苦労した。その後、袋に詰めた商品を魔法を使
わずに手で提げて帰ったのでしばらく腕が筋肉痛になってからは買い
すぎないようになった。我が家の分も買うと提案してきたが、一緒に食
べるもの以外は断った。ジェームズは自分の家で、マグルのスーパー
で購入した商品を両親に披露しては驚嘆されているらしい。インスタン
ト食品などは魔法といえないのだろうかと家族で真剣に話し合ったよと
楽しげに報告された。
 いつものように父の見舞いに行く母が乗ったバスを見送ってスーパー
に寄って買い物してから家に帰った。

「マグルの大発明!」

と言いながらジェームズが既に勝手知ったる様子でキッチンの冷蔵庫
を開けた。冷凍庫から氷を取り出すと無造作に二つのグラスにガラガラ
と入れる。我が家の冷蔵庫は家と同じで古い型なのだが、ジェームズは
憧れているらしい。マイクロウェーブも同様で購入しようかと家族会議が
開かれたらしいのだが、電気の問題で結局断念したと残念がっていた。
父親が本気で憤慨して、魔法大臣がマグルの首相に魔法使いの家にも
電気が引けるように交渉すべきだと魔法大臣宛てに梟便を出したそう
だ。氷を半分ほど詰めたグラスに買ってきた炭酸を注ぐ。それぞれの
グラスにこれもジェームズが買ったレモンを一個ずつ絞ってレモネード
を拵えた。手渡されたグラスに早速口をつけると渇いた喉にすっきりと
したレモンの酸味が爽快だった。もう一杯飲みたいなと思っていると、
同じように一気に飲み干したジェームズと目が合った。ジェームズが新
しいレモネードを作りかけながら、何気ない口調で話しはじめた。

「あのさ、君のお父さんのことだけどね。聖マンゴに入院させる気は
ない?もしよかったらだけど、うちの父が口添えをしたいと言ってる」

「いや、気持ちはありがたいが、父の病気は魔法性のものではないの
だ。長年にわたるアルコールの過剰摂取がもとで肝臓をやられたのだ。
もう元には戻らないだろうが今すぐに死ぬというものでもない」

「でも、聖マンゴならダメージを受けた身体を回復させることはできるん
じゃないかな。君のお母さん、毎日毎日、慣れないマグルのバスに乗っ
てお見舞いに通われてるし、良くなってほしいと思ってらっしゃると思う
んだよ」

「確かに私が知る限りで、今の両親の関係が一番落ち着いている。だが
それは皮肉なことだが、父が病気で倒れたからなのだ。魔法嫌いの父を
思いやった母がマグルの妻に徹して見舞いに通いつづけているから、
父も素直に母に感謝するようになっている。息子の私に対してもそうだ。
たまに私が病室に顔を見せてぶっきらぼうに受け答えすると、この年頃
の男っていうのはこんなもんだと母に嬉しそうに話すんだ。
今、父は病気だが、精神的には今が一番安定しているのかもしれない。
呪文や薬では父の心は癒せない。どれくらいの時間が残されているのか
わからないが、そっとしておくのが一番いいと思うのだ」

 ジェームズが、お節介なこと言ってごめんと小声で謝った。心遣いに
感謝すると答えたが、内心では自分があまりにも率直にジェームズに
私の家族の話をしたことに自分で驚いていた。ジェームズがおずおずと
二杯目のレモネードを差し出した。綺麗なピンク色をしている。

「ラズベリーシロップを入れたんだ。これは僕の気持ちと同じ色だよ」

 あまりにも真面目な表情でジェームズが私を見つめるので一瞬にして
気が抜けた。やっぱり変な男だ。

「甘くし過ぎてないだろうな」

と念押ししてからぐいっと飲むと炭酸に噎せてしまった。

「セブルスったらムードないなぁ」

とぼやくジェームズに貴様のせいだと思ったが、ジェームズも噎せたので
二人で吹き出したのだった。

(2012.7.20)

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