初恋の呪い

 
 黒い眸が僕の身体を射ぬくように睨みながら杖を突きつけ、鋭い声で
呪文を叫んだ。

「セクタムセンプラ!」

耳慣れない呪文だと思った次の瞬間、視界が真っ赤に染まり、僕は床に
倒れた。今日はいい一日になるはずだった。何故なら今日は僕の誕生日
だからだ。それなのに、トイレでこの陰気なスリザリンと決闘した挙げ句
に、血塗れになって倒れる羽目に陥っている。まったく何という事だ。

「生まれてきてくれてありがとう、私たちの大切なジェームズ」

 両親は僕の生まれた日から、毎年この言葉で僕の誕生日を祝福してくれ
る。結婚してから二十年近く経って子どもをもつことを諦めかけていた時に
思いがけず授かった子ということで、両親の僕への愛は篤かった。子ども
の頃に願いが叶わなかったことなど一度もなかったように思う。本物の
競技用の箒も、純白の梟も願えば僕のところにやってきた。ホグワーツに
入学した翌年の誕生日プレゼントは家宝の透明マントだった。しかし、両親
はただ高価なプレゼントで僕の歓心を得ようとしていたのではない。

「ジェームズは幸運な子だ」

と常日頃から言い聞かせられ、その証明として願いはすべて叶えられてき
た。生まれた時から育まれてきた万能感のおかげで僕は大抵のことで自分
の力を遠慮なく存分に発揮できるし、自分が望む誰とでも仲良くなれる。
ただ一人、スリザリンのセブルス・スネイプだけが僕への軽蔑を隠さない。
いや、この言い方はおかしい。僕はスネイプと仲良くなどなりたくない。
ホグワーツに入学した年の特急列車の中で貧相で生意気なスネイプを初
めて見た瞬間から嫌いだった。案の上、スネイプは数多くの闇の魔法使
いを輩出してきたスリザリンに入った。僕は父と同じ勇敢なるグリフィンドー
ルだ。学校生活を謳歌するのと同時にいつでも暗い目をして勉強に励む
スネイプに対する嫌悪感は日毎に抑えがたく募っていった。学校生活を
少しも楽しまず、ひたすら学問ばかりしている男と、クディッチの選手に
選ばれ、イタズラをして罰則を受ける余裕まである自分がライバルと周囲
から目されるのは笑止千万だ。あの古ぼけたローブ、いつでも分厚い本を
抱えて歩く猫背、不潔な髪は嘲笑し甲斐がある。人前で笑い者にすると、
スネイプはもともと青白い顔を紙のように白くして怒った。それが面白くて
仕方がなくて見かける度に挑発した。
生理的に受け付けないタイプだし、邪悪な闇の思想に傾倒しているという
噂もある。スネイプの欠点ならばいくらでも並べられる。容姿、性格、素行
のすべてが問題だらけだ。しかし、心の中でスネイプを罵っていると、いつ
からかいつでもスネイプの才能についての率直な賞賛が浮かんでくるの
だ。魔法薬学に関しては既に学生の域を越えているし、発想は斬新だ。
斬新というより、発想する才能を持ち合わせている魔法使いはそもそも
少ない。容姿に関しては、実は半分は嘘だ。確かに試験前は風呂に入る
時間も惜しんで勉強しているからそれなりに小汚いが、普段はそれほど
ひどくない。僕がスネイプを攻撃するのは、そうしなければ視界に入ること
もないからだ。どうして、彼は僕を見ないのだろう。彼が僕に関心をもつの
ならそれは憎悪でもかまわない。無関心には耐えられない。

 いつものように両親から誕生日のカードとプレゼントが届いたので、礼の
手紙を梟便で出そうと梟小屋に向かっているところだった。スネイプが一人
で廊下を歩いているところを見かけた。相変わらず姿勢が悪い。いつもべ
たべた脂ぎっていると揶揄している艶のある黒髪は肩の下で毛先が軽くう
ねっている。僕のくしゃくしゃの癖毛とは正反対だ。僕たちは本当に何もか
もが対照的だ。故障が多くて普段使われていないトイレの扉の前で不意に
振り返ったスネイプが杖を突きつけてきた。

「今日は取り巻きを連れていないようだがいいのか、ポッター?」

馬鹿にした口調だった。

「君こそギャラリーの前で恥をかく方が楽しめるんじゃないのかい」

と挑発すると、スネイプは黒い眸を眇めて僕を睨んだ。杖を取り出した僕を
見て、トイレの扉を開けて中に入った。後に続いた僕とスネイプは睨み合
いながら、お互いに間合いを計ってゆっくりと円を描いて歩いた。二人きり
になったのは初めてのことだった。スネイプと向かい合うといつの間にか
自分の方がだいぶ背が高くなっていることに気づいた。同じ食事をしている
はずなのに栄養不良のように痩せて細い身体から殺気が漲っている。鋭い
光を放つ黒い眸、権高な性格を表しているような鼻梁、噛みしめられた
薄い唇は赤く、尖った顎のまわりを豊かな黒髪が縁取っている。スネイプ
が憎しみに満ちた眸で僕を睨み、杖を突きつけて叫んだ。激しい衝撃を
感じて僕は倒れた。


 心地がよい歌声がうつつにきこえてくる。だんだんと意識が戻ってくると、
スネイプの青白い顔がぼんやりと見えた。

「気がついたか」

自分の頭がスネイプの膝の上に載せられているのはわかっているが、まだ
身体を動かす気になれない。スネイプも僕の頭を床に叩きつけるつもりは
ないようだった。ハナハッカの匂いが充満しているところを見ると傷の手当
をしてくれたのだろう。そもそも僕の顔を切り裂いたのはスネイプだが。

「凄い技を考え出したものだね。質が悪いよ」

僕が軽口を叩くと

「実はまだ完成していないのだ」

と冷静な声で返されたが、もしかすると反対呪文が効かなかった可能性も
あったということだ。

「あっ、めがね、めがね」

急に視界がぼやけている原因に気づいて慌てかけるとスネイプがそっと
眼鏡をかけてくれた。眼鏡は無事だったようだ。

「どうして避けなかったのだ」

まさか君に見惚れたなんていえるわけがない。もしくは心臓を切り裂けば
よかったのにというのはいくらなんでも気障すぎるだろう。もっともスネイプ
なら本気でもう一度僕の胸に杖を突きつけてセクタムセンプラの呪文を唱
えるかもしれない。

「おまえなら簡単に避けられただろう」

もう一度スネイプが繰り返した。空中でスニッチをキャッチする時と同じ直
感で、いつの間にか肩に置かれていた痩せた手に僕の手を重ねる。びくり
と震えた冷たい手を一回り大きな手で包みこんだ。僕の手の熱がスネイプ
の冷たい手に移っていく。スネイプは硬直したように動かない。手と手を重
ねたことでやっと何かが始まる予感がする。僕は幸運だ。そういう風に生ま
れついている。たとえ今、トイレの床に無様に転がっていたとしてもだ。


(2012.3.27)

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