君を見ていた

 

 リーマス・ルーピンは、図書室で自習している時によくスリザリンのセブ
ルス・スネイプを見かけた。スネイプは図書室の主のように放課後の殆ど
を図書室で過ごしているし、リーマスも書店から新刊を取り寄せる余裕な
どなかったので図書室で予習と復習を済ませることが多くよく顔を合わせ
た。ジェームズ達と一緒にいる時と違って、リーマス一人だとスネイプと
揉める理由もないので、書架ですれ違う時にお互いに軽く目礼するくらい
のもので静かなものだった。


 保健医の制止を振り切って医務室に駆け込んできたシリウス・ブラック
は、スネイプが寝ているベッドのところまできて立ち竦んだ。スネイプは
額に包帯を巻かれ、片目に眼帯、頬は打撲して腫れている。痛々しい
スネイプの姿を見たシリウスの灰色の瞳からみるみるうちに透明な涙が
もりあがってきて頬を伝った。
いつも周りの人間を魅了せずにいられない傲慢なほどの華やかさが消え
失せ、途方に暮れた子どものようだった。シーツの上に突っ伏し、とうとう
声をあげて泣き出したシリウスの手に、一回り小さな痩せた白い手が重ね
られた。びくりと震える広い手の甲を、細い指が静かに撫でた。
その様子を隣のベッドからスネイプと同じくらい大怪我を負ったジェームズ・ポッターが戸惑った表情で見つめていた。

 ジェームズとスネイプは人狼に襲われて負傷したのではなかった。暗闇
を極端に視力の悪いジェームズがスネイプの手をひいて逃げる際に眼鏡
を落とし、闇雲に岩にぶつかったり、ぬかるみに足元をとられたりしながら
もやっとの思いで外に出たところを足下の侵入者に怒り狂っていた暴れ柳
に止めを刺されたのだった。


「僕を人狼にしたかったのか?それとも食い散らされた血塗れの死体に
か?」

 泣きじゃくるシリウスに、落ち着いた声が尋ねた。

「おまえを、俺だけのものにしたかった。おまえは本当は俺のことが好き
じゃないかもしれない気がしていつも不安だった」

 そう呟いたシリウスは、いつもよりずっと幼く見えた。
おそらくシリウスは、自分が仕組んで危うく引き起こしかけた惨劇が、どの
ような未来に関係者を導くことになったのか想像すらしなかったのだろう。
セブルス・スネイプを人狼に感染か殺害した罪で、リーマスは加害者とし
て、ジェームズとシリウスは共犯としてホグワーツを追われ、アズカバンに
送られることになり、無登録のアニメーガスであることがばれれば、ピータ
ーにも類が及ぶことになった筈だ。自分の姿も目に入らないほど取り乱し
ている親友を眺めながら、ジェームズは複雑な心境だった

「僕をどう思おうとおまえの勝手だが、他の者を巻き込むな。僕を殺したけ
れば、おまえが殺せ」

 激しい言葉を冷静な口調で言ってのけたスネイプを、涙で濡れた灰色の
瞳が縋るように見つめた。それから掠れた声で何度も謝り続けた。


 ジェームズは、隣のベッドで寝ているスネイプに話しかけた。シリウスが
マダム・ポンフリーに連れられて退室してからかなりの時間が過ぎていた
が、まるで眠れずにいたのだ。スネイプも眠っていないことを気配で感じて
いた。

「君、シリウスに呼び出されたんだろ。もしかして、叫びの屋敷に行くと何
がおこるか知っていたんじゃないのか。なのに、どうして…。シリウスが
後悔して助けにくると思ったのかい?」

 スネイプはすぐに答えられなかった。確かにシリウスが来るかもしれな
いとは思ったが、別に来なくても構わなかった。それに、リーマス・ルー
ピンの月の周期と一致した体調不良と、叫びの屋敷の怪しげな噂を結び
つけて推測することなど簡単なことだった。叫びの屋敷ほど満月期の
危険な人狼を隔離するのに適した場所はない。
最近、シリウスは不可解な焦燥感を露わにした態度をとっていたが、それ
はスネイプが自分以外の人間と親しく接しているところを目撃した時に、
決まって爆発していた。怒った後、スネイプが冷ややかに沈黙すると今度
は傷ついた様子で謝ってくるのだが、またすぐに同じような場面で不機
嫌な感情をぶつけてくるのだった。
面倒くさいのと、可哀らしいのが半々な気持ちで対応していたのだが、
まさかこんなに大事件をしでかすほどの鬱屈した感情を抱えていたとは
思ってもみなかった。
 シリウスに呼び出されて叫びの屋敷に赴いた時には、シリウスが何を
考えているのかはわからないが、これがあの男が望んでいる事なら仕方
ないだろうと思っていた。しかし、逃げ遅れて人狼にされるくらいなら殺さ
れた方が楽だなどと思っていたちょうどその時に、ジェームズ・ポッターが
全速力で飛び込んできた。予想外の人物の出現に驚いているスネイプに
構わず、ジェームズは荒い息を整える間もおかずスネイプの手首を引っ掴
んで来た道をとって返した。
 ジェームズがスネイプを助けた理由は単純なことだ。
リーマス・ルーピンと自分たちを救うためだ。スネイプの死(人狼になるこ
とでも同じことだ)は、彼らの破滅も意味している。ジェームズは様子の
おかしいシリウスから話を聞きだしてすぐに、スネイプの後を追ったのだっ
た。

 ジェームズは、不思議な感情に戸惑っていた。今、隣のベッドで寝てい
る男はホグワーツに入学した時には既に闇の魔術に精通しており、それ
に対する嫌悪感から長年激しく対立してきた。
同じ気持ちだった筈の親友から、スネイプに対する片想いの苦悩を打ち
明けられた衝撃は今も忘れられない。しかし、シリウスと付き合うことに
よってスネイプが闇の魔術への傾倒を止めることができるのではないかと
思いついて、シリウスの恋を後押ししてやった。悪戯は極力控えたし、ス
ネイプとシリウスが二人きりになるように何かと取りはからったりした。
最初のうちは全く相手にされず、新手の悪戯と警戒されたようだが押し
の一手で最後は泣き落としに近い形で恋を成就させたようだ。二人が同性
同士ということは、さして気にならなかった。どの家でも、親戚の中で一生
を未婚で通した人に、同性の「気心のしれた仲の良い」友人がいたという
類の話の一つや二つは暗黙の了解としてあるものだ。シリウスの趣味に
は大いに疑問を持ったが偏見はなかったつもりだ。しかし、スネイプに対
しては、自分とは別の価値観を持つ人間だと一線を引いてきた。

「これから、どうするつもりだい」

「さぁ…。別にどうにもならないだろう」

「眼鏡、どこかに落としてしまったからシリウスに弁償させよう」

 くすりと笑う気配がした。スネイプがこんな風に笑う男だとは想像もしな
かった。もしも、もっと話し合う機会があったなら、感情的な対立を乗り
越え、友人になれたのかもしれない。そんなことを考えた自分に驚愕し
たが、落ち着いて話してみれば、スネイプはグリフィンドールの仲間たち
よりもずっと思慮深く大人の会話ができそうだった。こんな事になって、
はじめてわかったと思うとおかしい。それにパッドフッドときたら、あんなに
恐ろしいことを仕掛けたくせに、スネイプと面と向かっては、叱られた仔犬
みたいだった。こんなに大怪我をしたのはクディッチの試合で箒から落ち
た時以来だが、気分は悪くない。明日になったら、ムーニーへのフォローを
考えようなどと思っているうちにいつしかジェームズは眠りに落ちていた。


 数日後、リーマス・ルーピンは図書室に出向いた。いつも貧血気味のよ
うな顔色をしているが、今日は完全に血の気が失せて紙のように白くほと
んど病人のようだった。それでもしっかりとした足取りで、スネイプがいつ
も本を読んでいる場所まで来た。スネイプは普段通り、自分の専用のよう
にしている一角で本を積み上げて座っていた。怪我はマダム・ポンフリー
の尽力でほとんど目立たなくなっていた。

「ごめん。謝ってすむことじゃないってわかっているけど」

「お前が謝ることじゃない」

「でも、僕は…」

「校長からこの件に関する一切について他言無用だと言われている。
だから安心しろ。それに僕の怪我は、逃げる途中でポッターにあちら
こちらにぶつけられたせいだ」

 最後の方はスネイプ特有の皮肉な笑みを浮かべていた。窓の外から
騒々しい掛け声が聞こえてきた。ここからだとクディッチの練習が見える。
今日のように掛け声もよく聞こえる。
リーマスには、スネイプがいつもどうしてここにいるのか察しがついてい
た。スネイプがシリウスと付き合いはじめたと知った後も、ここはずっと
スネイプの指定席だった。
しかしそれを指摘したところで、どうなるものでもないだろう。自分に回っ
てきたのは、スネイプに危害を加える役回りだった。そして、救ったのは
ジェームズだった。それが全てだ。

「でも、ごめん。本当にごめん」

馬鹿みたいに謝る。スネイプがどんな顔をしているのか見ることもできず
にいた。

(2011.6.27)
 

 
inserted by FC2 system