kiss

 
  「ごめんなさいね、セブ」

 燃えるような赤い髪に完璧なアーモンド型をした煌めく緑色の瞳をした
魔女はその輝きで、地下にある魔法薬学教室のいつもの陰気で淀んだ
空気まで明るく変えてしまったかのようだった。癖の強い黒髪に瞳は同じ
鮮やかな緑色をした小さな男の子が一緒にいる。背中にリュックを背負っ
て好奇心いっぱいの顔で周囲を見回していた。

「ゆっくりしてくるといい」

 魔法薬学教授であるセブルス・スネイプと、赤い髪の魔女リリー・ポッタ
ーは幼馴染だった。リリーのマグルの妹が急病で倒れ、リリーが看病に
行かなければならなくなったのだが、リリーの息子のハリーはまだ幼く魔
法力が制御できないので、マグルの従兄と接触する時には大人の魔法使
いの注意が必要だった。運悪く父親のジェームズとその親友シリウスは、
闇払いの仕事で家を空けていた。
煙突ネットワークで知人に問い合わせたところ、休暇中だがホグワーツに
いたセブルスが連れて来たらよいと子守を引き受けてくれたというわけ
だった。
 リリーから行儀良くするように言い聞かせられ神妙な表情で頷いていた
ハリーだったが、大好きなセブルスと二人きりな上に、11歳になったら
入学する学校に来られた嬉しさのあまり、リリーがいなくなるとすぐに言
いつけをあっさり忘れてしまった。リリーが縫ってくれたリュックから、
誕生日にシリウスから貰った自転車を出してきて、セブルスにペダルを
漕いでいるところを見せたり、最近できるようになった宙返りを披露した。
気持ちが弾んでいるためか空中でくるくる回転しながら、あっちこっちに
飛び跳ねるので薬品庫の硝子瓶がいくつか被害に遭ったが、セブルス
は叱るでもなく静かに杖を振って元に戻した。セブルスはハリーにいつ
でも優しい。しかし、周囲に他の人間がいる時は、一歩引いて見守って
いるというか、どこか遠慮がちだった。
それが、二人きりでいると手放しでハリーの相手をしてくれる。振り向
けば、いつでもセブルスが見ているので、ハリーはますますヒートアッ
プしていった。

「わがはいっ!」

叫びざま、いつものようにハリーはセブルスの胸に飛び込もうとした。
しかし、次の瞬間、ハリーは宙に浮いた鳥籠の中に閉じこめられてい
た。ハリーが金属の檻を両手でガチャガチャさせてもびくともしない。
いつの間にか、プラチナブロンドの髪に、ブルーサファイアの瞳をした
長身の男が、セブルスの傍に立っていた。

「マルシベール!何をするんですか!」

「こんな貴重な薬品がある部屋で子どもがうろうろしていると危ない
だろ。帰る時間が来たらゴドリックバレーにテレポートするようにタイマ
ーをセットしておいてやろうか」

非難の声を上げたセブルスに来訪者は、冷静な口調で答えた。

「厭になるくらい父親にそっくりの子どもだな。中身も似ていたら目
も当てられないが」

 よく意味が分からないながら父親が侮辱されたことを感じたハリー
が怒りの感情をマルシベールにぶつけようとした。その途端、ハリーは
衝撃を受けてばったりと倒れた。おでこがみえない輪っかで締め付け
られて痛くて堪らなくなった。

「俺のシールド内にいるということがわからないらしいな。ちょうどい
いから体で覚えるといい」

見えない輪っかに頭をキリキリと締め付けられ、痛くてハリーは何
とか輪っかをとろうともがいた。

「いい加減にしてください!」

セブルスが空中の鳥かごに向かって杖を振り、ハリーを助け出し
てくれた。きれいな長い指が、ハリーのおでこをさすると不思議に痛
みは消えてしまった。

「ずいぶん甘やかしているようだな」

「今日は、何の用で来たのですか?あなたはまだ…」

「いや、パージが解除された。といっても英国ではまだ目立たない
ほうがいいだろうと、伯父がダームストラングの教師の職を推薦して
くれた。しばらく戻らないから、別れを言いにきた」

「それは良かったですが、今日は…」

「今日は帰ろう。まだ日はあるから。邪魔がいない時にまたくること
にしよう」

そう言いながら、ハリーにちらりと冷たい視線を寄越した。ハリーは
セブルスの腕の中でぜいぜい喘いでいたが、キッとマルシベールを
睨んだ。ふと、この自分を酷い目に遭わせた男が杖を持っていない
どころか、呪文ひとつ唱えていないことに気づいた。ハリーの周りの
大人たちは全員、杖を持ち、呪文を唱えることができる。セブルスに
そのことを質問してみようとすると、

「おまえごときを懲らしめるのに杖などいるか。俺に生意気を言う
のは無言呪文をマスターしてからにしろ」

と、まるでハリーの頭の中を覗いたかのように小馬鹿にしたような
口調でマルシベールが答えたので、びっくりしてしまった。マルシベ
ールはそれきりハリーの存在を無視し、逞しい腕でほっそりとした
セブルスを抱き寄せると、軽く口づけて何か耳元で囁いてから部屋
を出ていった。
 困ったように溜息をついたセブルスが、ハリーを抱いたまま机の
上で杖を振ると、魔女カボチャジュースの入ったゴブレットとハリー
の大好物の糖蜜パイの載った皿が現れた。セブルスの杖を振る仕草
に見惚れて、一瞬ハリーはマルシベールの仕打ちを忘れたが、魔女
かぼちゃジュースを飲み、糖蜜パイを食べながらも、常にないおとな
しさで黙りこくっていた。
セブルスがハリーを喜ばせようと、寝室に子供用のハンモックを
吊してくれたり、暖炉の炎に魔法をかけて歌わせたりしてくれたと
いうのに、ハリーの気持ちはなかなか晴れなかった。

「あのね、ぼく、わがはいと一緒にねたいの。だめ?」

 セブルスの私室の暖炉の前に急拵えしたテーブルで、ホグワーツ
のハウスエルフが特別に作ってくれた子供向きのディナーを食べて
いる時、ハリーはそう言ってセブルスを上目遣いに見た。ハリーは
いつでも機嫌のよい仔犬のような男の子だが、知らない場所だと不安
もあるのだろう。特に今日はスリザリン流の躾の洗礼を受けて、少し
元気がないようだ。それにセブルスは母譲りの大きな緑色の瞳にお
願いされると弱かった。今夜は特別に、と答えるとハリーのまるい顔
がみるみる明るくなる。灰色のパジャマに着替えたセブルスに、リュ
ックから取り出したドラゴン柄のパジャマを着せてもらった頃には、
いつもの元気なハリーに戻っていた。
ハリーはベッドの中で薬草の匂いのするセブルスの胸にくっつい
てじっとしていた。優しい指先が黒い癖っ毛を手櫛で梳いてくれる。
今日は、わがはいと一緒で嬉しかった。あの金色の男に意地悪され
たのは悔しかったが、大きくなったら絶対に負けない。“むごんじゅも
ん”というものをなんとしてもマスターしてやる。それに、自分の背が
金色の男の半分もなかったのもいやだ。もっと大きくなりたい。

「ね、わがはい」

ん、どうした?と静かな声で尋ねるセブルスの顔に、ハリーは自分
の顔を近づけて、薄い唇に自分の唇をちゅっと合わせた。昼間、
あの男が同じことをしているのを見て胸がむかむかした。同じこと
をしてみると胸がドキドキする。

「おやすみ、わがはい」

うふふと無邪気に笑うハリーに、セブルスも仕方ないといった表情


「おやすみ、ハリー、よい夢を」

と言いながらおでこに口づけてくれた。ハリーは、ぎゅっとセブルス
にしがみついて今日のことは絶対に忘れないと思ったのだった。


(2011.9.1)


inserted by FC2 system