いつかふたりで

 
  暖かい春の陽気の中を若き魔法薬学教授は道を険しい顔つきで闊歩
していた。切れ長な黒い眸は、視界のホグワーツ在校生、特にカップルを
決して見逃すことなく両名の所属寮とフルネームを滑らかな声音で呼ん
では休暇中の気持ちの緩みを諫めて、別々に帰宅するように指導する
のだった。不幸な恋人たちは道や店のあちこちにいたが、魔法薬学教
授の鋭い眼光から逃れられた者はいなかった。教授がこれではいつま
で経っても書店に辿りつけないと独りごちた時だった。

「わがはいっ!!!」

明るく弾んだ声がする方を見ると、フローリアン・フォーテスキュー・アイス
クリームパーラーのテラス席に、小さなハリー・ポッターが座って、むっちり
と肉付きのよい手を振っていた。短い足は地面に届いておらず、ぶらぶら
揺れている。大好物のストロベリーサンデーを食べ終わったところらしく
可愛い唇は赤く染まっていた。

「ハリーではないか!」

先程までの厳しい表情とはうって変わって穏やかな、それでいて嬉しさを滲
ませた声でスネイプ教授もハリーに応えた。ハリーの隣にはゴッドファーザ
ーのシリウス・ブラックもいる。ジャケットとシャツにジーンズとマグル風の
服装をしていても生まれ持った美貌は少しも損なわれていない。ハリーも
マグルの子ども服を着ている。4人掛けのテーブルはハリーとシリウスと
マグルの百貨店や玩具屋の紙袋で塞がっていたが、ハリーがいつも持ち
歩いているリュックを開けて、シリウスに荷物を全部入れてもらって席を空
けるとスネイプ教授の手を取って座らせた。スネイプがコーヒーを注文した
後、

「今日はね、パパとママはデートなの。ぼくはチリウシュとマグルのロン
ドンにでかけたの!」

とハリーが明るいグリーンアイを輝かせて元気よく報告してきた。ジェー
ムズとリリーはシリウスにハリーの子守を頼んで、恋人気分に戻って
半日を過ごすのだろう。シリウスはこれ幸いとハリーを連れ出して思う
存分好きなものを買い与えたり遊んだりしたに違いない。ハリーがいく
ら可愛いからといって、無闇に甘やかすのは良くないことだとスネイプ
は内心嘆息したが、

「わがはいはほんやさん?」

可愛らしく小首を傾げて訊ねるハリーに、そうだと穏やかに答えた。

「ここから見ていたけど、おまえ、ホグワーツの学生を補導しまくって
たな。せっかくの休暇中なんだから大目に見てやれよ」

シリウスが呆れた口調でかつての同級生に話しかけると、

「そういう生活の乱れが、成績の低下、非行のもとになるのだ。悪い目
は出る前に摘んでおくにかぎる」

と監督生だった時より更に磨きがかかった生真面目さでスネイプ教授は
言い切った。

「リリーとジェームズは在学中に婚約したけど、ジェームズは主席だった
じゃねーか。おまえはデスイーターだったけど今は教授だし」

「我輩は非行に走っていたのではない、主義を転向したまでだ」

学生時代そのままに言い争いはじめた二人をハリーがきょとんとした
顔で見上げているのに気づくと、気まずい表情で喧嘩を中断した。

「ねぇ、しゅしぇきってなに?」

「学校の成績が一番だってことだよ」

とシリウスが教えると、ハリーはまるい顔を輝かせた。

「パパ、いちばんだったの!」

「あぁ、クディッチも一番上手かったんだぞ。ハリーはジェームズにそっく
りだからきっとハリーも一番になるぞ!」

「わがはいは何番だったの?」

いつも厳格なスネイプ教授が困った顔をしていると、

「セブルスは次席だ。でも魔法薬学では一番だった。全科目で6年生
まではジェームズと抜きつ抜かれつで争ってたのに肝心の7年生で
負けちまって。何か要領が悪いんだよな」

スネイプの険悪な表情を意に介さず、シリウスがずけずけとハリーに
教えた。

「おや、セブルスではないか」

鼻にかかって間延びしたようなアクセントの声が後ろからしたので皆で振
り向くと、上質なローブに身を包んだルシウス・マルフォイがそのミニチュ
アの息子ドラコを連れて立っていた。ドラコは最新モデルの飛行用箒を
大事そうに両手で抱えている。

「ポッターJr、また会ったな。今日はマグルのなりをしているのか。そんな
様子ではホグワーツから入学許可証が届くのか怪しいものだね」

厭味な発言に気色ばみかけたシリウスに気だるげに視線を移すと、

「おやおや、卑しくもブラック家の血を引く者がマグル趣味に身を窶すと
は情けない限りだ。伯母上様がお嘆きになるのも無理はない」

ストレートな嫌味を大袈裟な口調で投げかけてきた。

「俺がどんな格好をしようと勝手だ。だいたい魔法使いらしい服装をして
いなければ魔法使いとして存在できないなんて軟弱すぎるぜ」

「相変わらずの青二才ぶりだな。弟のレギュラスは品行方正な若者だと
いうのに」

「兄弟仲は悪くないので悪しからず。両方、魔法省勤務だしな。あいつは
官僚で俺は闇払いだが。ミスター・マルフォイは相変わらず先祖の遺産
を食潰しているのか」

「私のような階級の者にとっては労働は恥ずべき事だ。」

「二人とも子供の前でつまらないことを言い合うものではないですぞ」

純血同士の不毛な口喧嘩にスネイプ教授が止めに入った。父親をその
まま縮小したドラコが、大人たちの目が離れている隙にハリーに向かっ
て、

「これ、きょうぎ用のほうきなんだ。ちちうえがかってくださったんだ。ほん
ものにしたしまなければいけないってね」

と鼻に皺を寄せて自慢してきた。ハリーはいつぞやの意地悪な胡瓜との
再会にいやな気分になったが、飛行用の箒は羨ましかった。両親がシリ
ウスに許可をくれないので買ってもらえないのだ。飛行用の箒は学校に
入ってからでいいというのが両親の教育方針らしい。実はハリーの玩具
の箒はシリウスがこっそり細工してくれたのでスピードアップした改造箒
だが、本物の格好良さとはやはり比べものにならない。

「よかったらのってみるかい。ま、きみのいうことをほうきがきくとはおもえ
ないけれどねぇ」

とドラコが小馬鹿にした口調で挑発した。ハリーにそう言っておいて直前で
気が変わったと取り上げるつもりだった。しかし、ハリーは素早くぽっちゃり
とした両手で箒の柄をむんずと掴むと足で跨いで飛ぶ構えをとった。周囲
の大人たちが気づく間もなく、短い足が地面を蹴りあげて一気に屋根の上
まで飛びあがった。挑発したドラコが悲鳴を上げると、大人たちはその視線
の先の空中で箒に跨った小さなハリーの姿を発見し各々驚いた。
ハリーは地上を見下ろして初めての視界に嬉しくなった。シリウスのバイ
クのサイドカーで空を飛んだ時にはスピード感や顔に当たる風が気持ち
よくて興奮したが、地上は見えなかったし、たまに鳥と遭遇してもあっという
間に見えなくなってしまうので残念だったのだ。それにしても本物の箒は
最高だ。物心がついた時にはおもちゃの箒を自在に乗りこなしていたが、
本物の箒の動きは全然違う。ハリーは箒の柄を掴んだ瞬間にどう扱えば
いいのかわかった。上手くいえないが箒がハリーの意志を汲んで動いて
いるのだ。

「ハリー、おまえはやっぱりお父さんの息子だな!上手だぞ!」

と感嘆した声で叫ぶシリウスの隣で、スネイプがおかしな行動をとり
始めた。テーブルの上に上ると、

「ハリー、今、助けるからじっとしていなさい!」

顔面蒼白なスネイプが大声でハリーを呼びかける。テーブルの上に椅子
をのせて更にその上に上がると、スネイプの異常な行動にやっと気づいた
シリウスが慌てて止めに入った。

「何やってんだよ!ハリーよりおまえの方がよっぽど危ないだろ!早く降り
ろ!」

「うぬぬ、届かぬ!…そうだ箒だ!シリウス、箒を持ってこい!ハリー、
我が輩が助けに行くまでそこで頑張って耐えるのだぞ!」

となおも虚しく空に手を伸ばすスネイプに、

「えっ?わがはいもほうきにのりたいのー?かわろうかー?」

と声をかけた拍子にハリーがバランスを崩した。何事かと集まってきて
いた魔法使いと魔女たちが悲鳴をあげる。ハリーは短い足一本を箒の
柄にかけ逆さ吊りになったが、逆上がりの要領で体を起こすとむっちり
とした両手で柄を掴み直した。幼児のアクロバティックな空中技に
人々が拍手喝采を送る中、ルシウス・マルフォイがやれやれという表情
で前に進み出た。

「セブルス、取り乱しすぎだ。たかが小犬が空を飛んだだけではないか。
魔法使いたる者、このような馬鹿馬鹿しい見せ物は杖を一振りすれば…」

そういってハリーが乗った箒に杖を向けたが、その瞬間にひょいっと箒が
移動して、杖をかわした。箒はあちらこちら杖から逃げ続けてルシウスを
苛つかせながら、徐々に降下してきた。テーブルの上に置いた椅子の上の
スネイプのところまでくると、

「わがはい、ここからだとのりにくくない?ぼく、ちょっとまえにつめようか?」

箒ごとハリーを抱きしめたスネイプがバランスを崩して足を滑らせた。何と
かスネイプを降ろそうとしていたシリウスが箒に乗ったハリーごとスネイプ
を受け止めて下敷きになる。

「おぉ、ハリー、怖かっただろう。もう大丈夫だ!」

スネイプがハリーを抱きしめたまま掠れた声で囁いた。ハリーはスネイプ
の胸に顔を埋めてじっとしていた。もしかしてわがはいは泣いているのだろ
うか。しかし、なぜ?ぎゅうぎゅう抱きしめられて少し息苦しかったが、わが
はいにくっついているのは好きなので、ハリーは自分もスネイプを抱きし
めようとしたが腕も短いので背中にまわりきらなかったがかまわなかった。

「おい、もういいだろ」

と言いながらシリウスがスネイプを自分の上から退かして体をおこした。

スネイプに抱えられたハリーに、

「やっぱりハリーは箒乗りの天才だったな!歩くよりも玩具の箒に乗る方が
早かったからなぁ。初めて本物の箒に乗ってこれほど上手に操縦できる
魔法使いはあまりいないぞ。将来はプロのクディッチ選手だな!」

ととびきりの笑顔で誉めた褒め称えた。

「しかし、マグルの格好は動きやすいな。ハリーが空中でバランスを崩した
時もローブなら足を引っかけられずにそのまま落ちてたかもしれない」

砂埃を払いながらそんな感想を言うシリウスに、集まっていた魔女たちが
口々にその服はどこで手にはいるのかと質問してきた。シリウスがマグル
のロンドンで手に入るが、先にグリンゴッツでマグルのお金に両替して
おかなければいけないと親切に教えると、子供に着せてみようと思ったも
のだからと魔女たちは愛想良くハリーとシリウスに笑いかけて礼を言っ
た。マグルの服よりもハンサムなシリウスと話をすることが目的のようで、
その後も何かとシリウスは質問攻めに遭っていた。
店長がハリーに特製のパフェを持ってきて、ハリーの箒の乗りこなしが
とても上手だったと誉めてくれた。大喜びしてスプーンを握ってホイップ
クリームをすくうハリーの前に、先ほどの箒が差し出された。

「これは君に差し上げよう、ポッターJr」

父親の隣で目に涙をためたドラコが項垂れている。

「自分の持ち物を自慢するなど行儀が悪いうえに、きみがなかなか見事に
箒を操縦してしまうとはね。勝てない謀を仕向けるとは愚かなことだ」

買ってもらったばかりの箒を取り上げられた悲しみに打ちひしがれるドラコ
にハリーが箒を持たせた。

「のせてくれてありがと。すごくたのしかった!ほんもののほうきは、うちは
ホグワーツにはいってからなの」

それまで二度と会いたくないけどね、とは言葉に出さずににっこりと笑った。

「ほほう、好感度の良い台詞は父親譲りかな。この半分でもドラコに演技力
があればよいのだがね」

「おーい、親父。見物していた人たち全員にアイスクリームを配ってくれ。
喉が渇いただろうし。代金は、ミスター・マルフォイがすべて支払うそうだ。
いいだろ、貴様の息子の箒が原因なんだから。財産を使い果たしたら、
ハウスエルフはうちで引き取ってやるよ。クリーチャーもすこし年をとって
きたからな」

さっと長い腕を伸ばしてシリウスが店主に声をかけると、人々はわっと
歓声をあげて喜んだ。

「馬鹿馬鹿しい」

とルシウス・マルフォイは言い捨てながら店主に金貨が入っているらしい
ずしりと重い皮袋を投げつけ、踵を返して去っていった。その後ろを箒を
抱えたドラコが小走りでついて行く。
 店主がどんどん様々なフレーバーのアイスクリームのカップを持ってくる
のでハリーたちのテーブルのまわりにあっという間に人だかりができた。
それぞれアイスクリームのカップを手にハリーに笑いかけたり、誉めたり、
礼を言って行く。シリウスが店主を手伝って愛想良く客を捌いた。

「わがはい?」

ハリーのふっくらとまるい頬をスネイプの長くて細い指がそっと撫でる。くす
ぐったいが気持ちがよい。

「無事で良かった」

スネイプの真剣な言葉をハリーは神妙な顔つきで聞いていた。自分は面白
かったのだが、わがはいは心配してくれていたのだ。

「あのね、あのね、おおきくなったらね、いっしょにほうきにのってくれる?」

スネイプは疲労の濃い表情で苦笑したが、

「あぁ、もっと大きくなったら、ぜひともお付き合いしよう」

と答えてくれたので、ハリーは十年後のデートの予約をしたつもりになっ
たのだった。

(2012.4.14)

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