希望

 パンドラの箱は開け放たれた。災厄、絶望、不幸が飛び去った
後に残されたものは一片の希望。

 扉を叩く音が聞こえる。最初は辺りを憚るように控え目に、徐々
に自制できずに強くなっていく扉を叩く音が耳障りだが堪えるしか
ない。もう何日も同じことが続いている。
朝、部屋から出ると扉を叩いていたところに血の痕がついてい
た。拳を傷つけるだなんて愚かな真似をして本当に馬鹿な子ど
もだ。もう私がその傷を癒すことはできないというのに。私の身
体に腹立たしい気持ちをぶつけさせて受け止めてやることは叶
わないのだ。

 私の前を足早に歩いていく学生達の背中は同じ黒のローブを
身につけていることで個性が消されているように見えた。かつて
私もその中の一人だった。それは遠い昔の事に思えるが、ほん
の少し前のことでもある。例えば齢百歳を軽々と越えている校長
のダンブルドアのような老人からすれば昨日の出来事にも等しい
に違いない。そして私自身がどう感じていたかといえば、その場
に足止めされているかのように退屈で気が遠くなるほど単調な日
々だった。あの竜巻にのまれたように突然、あの子どもとの関係
が始まるまでは。

 生徒と関係をもつなど滑稽な醜聞な話だ。しかも特別な生徒、
未来の英雄、私が見守ることを義務づけられた少年に犯された
時、私は自分の悪趣味さが可笑しくさえあった。衣服を剥ぎと
られ、剥き出しにされて欲望を身体の中に突き入れられる。
受け入たものを締め付けて快楽を与え、粘膜を思い切り揺さぶ
られて果てる。秘密の快楽に濡れて生臭い匂いを放つ敷布の
上でなおも四肢を絡ませ合った。私らしい悪趣味な気晴らし
だと思っていた。
それがいつの間に、快楽から情愛に変化したのだろうか。わか
らない。だが、肉体の交合が紛れもなく精神に喜びをもたらす
ようになった時から、私は別離を予感していた。それでもなお
断ち切りがたかった関係を清算する決心がついたのは、ダン
ブルドアの計画の真実を知ったからだ。あの偉大ではあるが
老獪なダンブルドアは、あの子どもを生贄にして真の平和を
実現しようとしていた。自分の思い描くとおりの完全な形で闇
の帝王をこの世界から抹消しなければいけないらしい。あの
子は闇の帝王の最後の分霊箱だから、闇の帝王を完全に滅
ぼすにはあの子は死なねばならぬのだという。
私はダンブルドアに告げられた話に衝撃を受けたが、徐々に
冷静になった。生身の分霊箱などその者の寿命が尽きれば
ともに滅ぶことになる。ダンブルドアはあの子の最大の庇護者
ではなかったのか。あの子が寿命を全うするまで待てばいいで
はないか。平和のために流される血を、特別に聖なる象徴にな
る血をあの老獪な魔法使いこそが求めているのではないのだろ
うか。自分の計画の輝かしい勝利の飾りにするつもりなのでは
ないのだろうか。しかし、私は老人に反論しなかった。守るべき
者を確実に守り抜くと決意したからだ。そのために本来の保護
者に戻ることにして、関係も断った。切り捨てられたと思い込ん
だ子どもは子どもらしく憤りを私にぶつけてきた。有体にいえば
犯されたが、拒絶できなかったのではなく、そうしたくなかった
からだ。私を犯す彼の身体はあたたかく、私の身体の奥に吐
き出された欲望は熱かった。あの感触はまだ忘れることはで
きない。そのうち子どもも怒ることに飽きるだろう。

 古城である校舎の廊下は昼間でも薄暗い。それでも個性が
埋没された黒のローブの群の中から、一人だけ浮き上がって
見える。思えば、彼が入学した時からずっと一人だけ特別に
見続けてきた。それは私が望んだことではなかったのだが、
いつでもその姿を探してきたのですぐに見つけられる。くしゃく
しゃの黒髪、不相応な重荷を背負わされた痩せた肩。私の脇
をふわりと甘い香りとともに一人の女生徒が駆けぬけていっ
た。燃えるように鮮やかな赤い髪は一際目を引く。あっという
間に、黒髪と赤い髪が並んで歩きだした。寄り添う二人の影
は調和がとれている。その姿を見送ってから、私は陽のあた
ることの決してない地下の自分の居場所に戻った。

 地下の自室で今夜も一人で過ごしている。不意に扉を叩く音
が聞こえたような気がした。馬鹿らしい空耳だ。静寂に自分の
愚かさを笑われているようで忌々しい。暇つぶしに自慰でもし
て自分の滑稽さを再確認することにしよう。今夜は私の肉体を
使って自慰する厄介な老人の相手をする予定はないから、
面倒だが自分で処理するしかない。私を抱くあの子の事を思
い出したりはしない。そんな事をするまでもない。毎日、片時も
休むことなく、あの子のことを考えている。


【言い訳】 魔法使い同士の恋ではありますが、アロホモラ
(開け)の呪文は使ってはいけないのです^^;)
扉で心を象徴してるつもりなのです…。

(2012.8.19)
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