彼と君、少年の物語 前編


「今日はこのくらいにしておこう。これ以上練習しても疲れるだけだろう
から。君が掴みかけている感覚を忘れないようにね。もうじき完璧な
パトローナスが出せるようになるよ」

 そう声をかけるとハリー・ポッターは残念そうな表情をしたが、テーブル
の上にバタービールを出すと途端に嬉しそうに顔を綻ばせた。まだたっ
た13歳でありながら過酷な人生を送ってきたというのにとても素直な
少年だ。ハリーの容貌は彼の父親のジェームズに瓜二つだ。瞳の色
だけは違うが、こうして向かい合って座っているとまるでジェームズが
少年のままでいて、自分だけが年をとったような錯覚を覚える。かつて
私はハリーの父親であるジェームズと親友の間柄だった。ジェームズ
は呪われた特異体質の私が、ダンブルドアの慈悲でホグワーツに入学
することを許され、生まれて初めてできた大切な友人の一人だ。あの
かけがえのない素晴らしい日々の思い出は今も胸に鮮やかだが、ハリ
ーには父親のことを話せずにいる。彼の両親の死に関する交々の事柄
は私を打ちのめし、今でも呵責の念に囚われているからだ。あの当時、
私がハリーの両親を守っていたもう一人の親友シリウスの裏切りに気
づいてさえいれば、もう一人の親友ピーターも命を落とさずにすんだに
違いない。既に呪われていた私こそがシリウスの狂気の道連れになる
べきだった。十年以上の歳月を経て、再び野にい出たシリウスがこの
ジェームズの忘れ形見に手をかける前に、自分の命を懸けても始末す
る覚悟はできている。
 ハリーがバタービールを飲もうとしたちょうどその時、扉をノックする音
がすると返事を待たずに扉が開き、陰鬱な黒づくめの魔法薬学教授セ
ブルス・スネイプが手にゴブレットを持って部屋に入ってきた。スネイプ
はバタービールを持ったハリーを鋭く一瞥すると、私にゴブレットを渡し
た。

「ルーピン、冷める前に飲み給え。もっと必要ならまた煎じるので私の
部屋に取りに来い。それから、」

と言って素早く杖を振ると、ハリーの手からバタービールが暖炉まで
飛んでジャッと撒かれた。

「ポッター、食事前の間食と教員の部屋での飲食は校則違反だ。グリ
フィンドールから5点減点する」

と宣告して去っていった。理不尽な仕打ちに怒るハリーを宥めてから、
ゴブレットの薬湯を飲もうとするとハリーが飲むのを止めたそうな表情
で見ていることに気づいた。本当に素直な子だ。スネイプが毒でも入
れているのではなかと疑っているのだ。実のところ確かにこれは猛毒
だが、薬でもある。スネイプの類稀な薬作りの才能が毒を薬に変えて
くれたおかげで私は私でいられるのだ。そして、バタービールを没収
したのは、嫌がらせではない。ハリーを守るためだ。スネイプは私の
ことを疑っている。ジェームズを裏切ったのはシリウスだけでない、
私も裏切ったのだと、私たちがあの悲劇の元凶だと信じているから
だ。それは正しい。スネイプは私たちのことをよく知っていた。今も私
の胸に切なく輝いているあの日々、セブルス・スネイプもまた一人の
少年だったからだ。ハリーを安心させるように微笑んでから、苦い
薬湯を無理やりに喉に流し込んだ。


 月が満ちていくに従って、夜が長くなる。まだ野生の狼に戻って
草原を駆け巡りたいというわけではないが、目が冴えて眠れない。
それでも身体を休めておかなければ、明日の授業中に居眠りする
羽目になるので、自分の天蓋付きの寝台の中で時々、身体の向きを
変えてやり過ごしていた。ピーターの寝台から高鼾が聞こえてくるが、
残りの二つの寝台は静かだった。ジェームズもシリウスもクディッチ
の練習で疲れて熟睡しているのだろう。夜が更けた頃、隣の寝台で
身動きする気配がした。ベッドのカーテンの隙間から覗くとジェームズ
が扉に向かって歩いていく姿が垣間見えた。透明マントを被ったのだ
ろう、ドアノブが一人でに回って扉が開いてから、そっと閉じられた。
ジェームズが部屋を抜け出して、どこに向かったのかわかった。恋人
のところだ。今までも何度もジェームズは、こうやって部屋を抜け出し
ていた。

 ある日、悪質なゴーストがでるという噂で普段めったに人が通らない
エリアを近道なので早足で歩いていると、階段から聞き慣れた声が
したので驚いて足を止めた。階段を降りようとするスリザリンのセブ
ルス・スネイプを、ジェームズが止めていた。ジェームズたちとスネイ
プの争いはグリフィンドールとスリザリンの長年にわたる確執そのま
まに日に日に激化して校内の風物詩のようになっている。ジェームズ
とシリウスを止めるのが自分に期待されている役割だとわかっている
のに、あの二人に対してどうしても遠慮が働いてしまう。人狼とわかっ
て友達になってくれた魔法使いは彼ら以外にいなかったからだ。揉み
合うジェームズとスネイプにいつもの小競り合いかと思ったのだが、

「ごめん、セブルス」

といつもの自信に溢れた声とは違う、悄げきったジェームズの声に驚
いて思わず足が止まってしまった。うな垂れながらも階段を降りようと
するスネイプを通せんぼして行かすまいとしていた。

「退け、ポッター。高潔なグリフィンドールは、狡猾なスリザリンと話す
だけで汚れるのではなかったのか。僕はおまえと違って忙しいんだ。
教育の機会を与えられた時間を一秒でも無駄にはできない」

ジェームズは何も言い返せずにうな垂れていたが、スネイプの両肘を
しっかり押さえて離さなかった。それからしばらく押し問答が続いたが、
やがてジェームズがスネイプを腕の中に包んで、スネイプの姿が見え
なくなった。ジェームズの背中から安堵のため息が聞こえたような気が
した。二人の間の空気からつき合いはしばらく前からはじまっていたこ
とが察せられた。なるべく足音をたてないようにその場から立ち去った。

(2012.5.11)
 

 
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