エメラルドの眸

 
 地下の書斎兼研究室を出て階段を上ってからは足音を忍ばせて廊下
を歩いた。居間の前で日付が変わるのを暫し待つ。室内のホールクロック
が時を告げる音を聴いて一呼吸おいた後、扉をノックした。返事を待たず
に扉を開け、つかつか部屋に入っていく。私を見つめるかつての教え子の
エメラルドの眸から放出される親愛の情は眼鏡のレンズをも通過していて
気味が悪いが仕方ない。それでも、昔、この鮮やかなエメラルドの眸を初
めて見た時のことを急にまざまざと思い出した。11歳の少年とは思えな
い生意気さだった。あの時、私はこいつを放置しておいては大変なことに
なると教育者として確信したものだ。
「あれ、どうしたの?セブルス」絨毯の上に座り込んで愛用の箒を磨いて
いた手を休めて、私のかつての教え子であり、何故か今は同居しているハ
リー・ポッターこと眼鏡は私をファーストネームで呼んだ。馴れ馴れしいが
もう慣れてしまった。私もすっかり甘くなったものだ。
「おまえ、今日が誕生日だったな」
「え?あぁ、もう日が変わってたんだね」つい先ほど時計が時を知らせた
ばかりだというのに眼鏡は聞いていなかったのだろうか。
「この一年、健康と怪我に気をつけて暮らせ」部屋を訪ねた目的の言葉を
かけると、
「覚えていてくれたんだ」と眼鏡は顔を輝かせた。全く分かりやすい男だ。
実を言えば、私に限らず大抵の成人した男は誕生日などに特別な感情
を持たないものだ。子どもの時ならいざ知らず、誕生日など一つ年をと
るだけの話ではないか。しかしながら、眼鏡は幼稚な部分を多く残して
いるらしい。 
 あれは眼鏡に懇願され一緒に暮らし始めた去年の眼鏡の誕生日の
ことだった。私は眼鏡の誕生日のことなぞまるで気にしていなかったの
で、今日からちょうど一年前、地下の書斎兼研究室で、ある魔法薬を
作っていた。既存の作り方を改良してより効用を高めようという実験で、
朝から鍋につきっきりで作業をしていたものだ。複雑な作業だが、元来
私はこういう作業が得意なので苦にならず、ひたすら作業に没頭して
いた。あの日、眼鏡はたまたま仕事が休みで、朝食時に私に予定を尋
ねてきたが、私が研究室で一日過ごす予定を伝えると、ふんふん頷い
ていたと思う。その日、眼鏡がどのように過ごしていたかはしらないが、
時々、サンドイッチや、冷たい飲み物を地下室に差し入れてくれていた。
眼鏡は特に何も言わなかったので、こちらも適当に礼を言ってすませて
いたのだが、眼鏡が夜食のスープを持ってきた時、眼鏡の視線に何か
違和感を覚えた。しかし、マッシュルームのポタージュの匂いに鼻孔を
擽られて、自分が空腹なことに急に気づき、眼鏡に礼を言って早速、ポ
タージュを飲み始めた。そして、気づいたときには眼鏡の姿は消えていた
のだった。私が食べ終わった空の皿を持って階段を上ると、眼鏡は箒を
持って外に出ていこうとしているところだった。
「こんな時間にどこに行くのだ?」と尋ねると、散歩してくると言う。仕事
ならともかく、「こんな夜更けに出かけなくてもいいだろう」と言ったのだ
が、眼鏡は箒に跨ると空中に飛び上がり、あっと言うまにどこかに消え
去った。後からわかったことだが、眼鏡は私が眼鏡の誕生日を忘れて
いた(覚えていなかった)ことに拗ねて家出したのだ。しかも、眼鏡は
その事実を今に至るまで隠しているつもりでいる。
 二日後に家に帰ってきた時も、空中散歩が面白くて遠出になってしま
い、魔法省の近くのホテルに泊まったと私に説明した。しかし、眼鏡の奥
のエメラルドの眸は呪いを吸収したように暗く濁っていた。私は眼鏡が
箒で飛び去った後、家に届けられていたカードやプレゼントの小山を
見つけて眼鏡が誕生日だったことにようやく気づいた。眼鏡が私に不
満を抱いていたことも察したが、眼鏡は何故かそれを完全否定した。
「もう誕生日が楽しみって年じゃないよ」と言ってと眼鏡は微笑ったが、
その眸は暗かった。眼鏡は表面的には陽気でさばさばした物わかりの
良い性格なのだが、内面は陰気で頑固なところがある。こういうことが
あった以上、私としては、眼鏡が仕返しに私の誕生日を無視してくれた
方が有り難いのだが、降誕祭から年明けの私の誕生日までの期間を
眼鏡は一年でもっとも重視していると宣言し、一ヶ月以上も前からあれ
これ計画を立て、その期間、眼鏡に付き合ってやるのに疲れはてた
が、退屈というわけでもなかった。だからというわけではないが、今年
の眼鏡の誕生日は一番に名乗りを上げることにしたのだ。朝になれば、
眼鏡の親友たちからの梟便が着くだろうし、私もクリーチャーに誕生日
を祝うような献立を頼んでおいた。子どもを気遣うのは本当に面倒だ。
しかし、眼鏡の眸を曇らせる事態はなるべく避けたいのが本音でも
ある。私は本当に眼鏡に甘くなってしまった。
 気がつけば、眼鏡が私に密着して、髪なぞ指で撫でている。暑苦しいが
好きにさせていると、
「セブルス、これあげるよ」と眼鏡がズボンのポケットをごぞごそ探った。
眼鏡がポケットから取り出したのは非常に美しいエメラルドの指輪だった。
古風なカッティングで鶉卵より大きく、眼鏡の眸とよく似た色をしている。
「グリンゴッツのうちの金庫で見つけたんだよ。クリーチャーに見せたら、
僕の祖母がブラック家からポッター家に嫁ぐ時に持参したものじゃないか
って。グリモールド・プレイスのブラック邸に同じ指輪をした貴婦人の肖像
画があるって言ってた」
そんな由緒ありげなものを無造作にポケットから出してくるなと呆れて
思わず、
「それでは貴重なものではないか。グリンゴッツの金庫に戻しておけ」と
注意してしまったが、眼鏡は首を横に振って微笑った。相当上機嫌にな
っているようだ。
「セブルスが持っててよ。セブルスの黒い髪と眸に似合うと思ったから金
庫から持ってきたんだ」
そんなことを言いながら、指輪を私の指に嵌めようとする。
「それは女物だから、私の指には無理だろう」と言ったのだが、指輪は私
の薬指にぴたりと嵌った。一瞬、眼鏡の祖母は骨太だったのだろうかと思
ったが、嵌める指に合わせて伸縮する魔法がかかっていたようだ。
「わぁ、やっぱりすごく似合うね!」
眼鏡は薬指に指輪の嵌った私の左手をとって、嬉しそうに笑った。眼鏡の
奥の宝石と同じ色の眸も輝いている。それは結構だが、何か変な気がして
ならない。
「本来なら私がお前に何か渡すべきではないのか?何か欲しいものがあ
ったら言え」と言ってみたが、眼鏡はへらへら笑って取り合わない。これか
ら箒に二人乗りして空中散歩に行かないかなぞと言い出した。私は箒に
乗ると翌日必ず肩凝りになるので断ったが気にした様子でもなく、今度
は明日、というか今日したいことを話しだした。去年もそうしてくれたら面倒
がなかったのだが、眼鏡は妙なところで気難しいところがあるのだ。
「乾杯でもしておくか?」と声をかけると、眼鏡はすぐにワインセラーに飛
んでいった。これから、八月になるまでの一日を眼鏡に合わせて過ごさな
ければならないが、仕方あるまい。私は何故か薬指に輝くエメラルドを見つ
めて溜息をついた。

(2013.7.31)

★後日、指輪を外そうとして、外れないことに気づいて焦る教授。
 魔法使いの強制婚約(笑)

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