真夏の庭

 
 灼熱の炎天下、ゴドリックの谷にあるポッター家の庭の一角で
古い魔法薬学書に書かれてある「真夏の正午に素手で収穫す
べし」という指示通りにセブルス・スネイプはある薬草を摘んでい
た。幼馴染みのリリー・ポッターからこの薬草を栽培していると聞
いたのは、久しぶりに暖炉ごしにとりとめのない雑談をしていた
時のことだった。リリーは庭の隅に雑草に混じって自生していた
薬草に気づいて庭の一角に作ったハーブ園に植え換えた。それ
から地道に株を増やしていき、現在では群生するまでになって
いるらしい。ホグワーツ魔術魔法学校の魔法薬学教授のセブ
ルスが、その薬草が住宅地で繁殖するのは珍しいと言うと、リリ
ーはゴドリックの谷という地名の通り、今でも谷の植物が自生し
ているのをよく見かけると答えた。見た目の景色は変わっても、
生育環境には影響しない事はよくあることだ。セブルスが薬草を
少し分けてもらえないかと頼むと、リリーは気前よく了承した。
話のついでを装ってリリーが一人息子の誕生日パーティーにセブ
ルスを誘うとセブルスは例年のごとく丁重に辞退した。セブルス
はポッター家の一人息子であるハリーがホグワーツ魔法魔術学
校に入学して以来、ハリーの誕生パーティーに出席しなくなった。
それまでは、毎年欠かさず出席していたのだが、ハリーの入学と
同時にきっぱりと個人的な付き合いを絶ったのだ。ホグワーツの
教師である自分が特定の学生と親しくするわけにはいかないか
らという理由にリリーは笑って、
「セブ、ルシウス・マルフォイの息子のドラコがお気に入りなんじゃ
ないの?ハリーがよく文句言ってるわよ」
と、軽口を叩いた。セブルス・スネイプはすぐに自分はそういう私
情は一切持っていない。しかし、自寮の生徒には特に注意して
監督しているのでそういう誤解をされているらしいと幾分早口で
答えると、炎の中に浮かんでいる顔が揺らめいた。少し困惑して
いる様子だ。
「スリザリンの結束力って凄いものね。うちは仲がよいって感じな
んだけど」
うちというのはグリフィンドール寮のことだ。リリーも夫のジェーム
ズもグリフィンドール寮出身で、一人息子のハリーもグリフィンドー
ルであり、一家の友人たちもグリフィンドールが多い。その中で
スリザリン寮出身のセブルスは異色の存在だ。リリー曰く、セブ
ルスは組分け帽子を被る前から友達だったので、寮が違っても幼
馴染みに変わりはないということだった。
「薬草、届けてあげたいんだけど、明日からしばらくジェームズと
旅行に行くのよね。今の時期がいいのよね?」
「ハリーは一緒じゃないのか?」
とセブルスが尋ねると、
「ついに断られたの。あの子ももう家族旅行って年じゃないのね。
デートの予定があるんですって」
炎の中でリリーは明るく笑いながら説明した。
「あの子を一人で置いていくのか?」
間をおかずにまたセブルスがリリーに疑問を投げかけた。
「ううん、夜はシリウスが来てくれるの。親は嫌でもシリウスは
いいらしいわ。私たち同い年なのにね」
リリーの言葉にセブルスは特に感想を述べることはなかったが
あまりよい感情を持たなかったらしく顔の周りの炎が不完全
燃焼をおこしたようにしばらく燻っていた。結局、セブルスがポッ
ター家の庭から勝手に薬草を摘んで帰ることで話がまとまり、
「セブ、帽子被ってこなきゃ駄目よ。飲み物を用意しときたい
けど、ハリーは役に立たないし。ちゃんと水分補給するのよ。
キッチンにジュース置いておくから飲んで帰ればいいわ」
などとリリーがくどくどと注意するのでセブルスは苦笑して薬草
を摘ませてもらったらすぐに帰るので心配なくと言ったのだった。

 額から滑り落ちてきた汗の滴の感触にセブルス・スネイプは
眉を顰めた。体質的にあまり暑さを感じない方なのだが、流石
に真夏の炎天下に屋外にいると暑い。薬草が変質してはいけ
ないので早く帰らなければいけないが、少し休もうと思い木陰
に設えられているベンチに腰を下ろした。
誰もいない庭は静まり返っていた。セブルス・スネイプは切れ長
な黒い眸を眇めて、太陽の強烈な日差しに照らされている庭を
見渡した。ブランコも砂場も遊び主がいなくなって久しい。ほん
の数年前までは、庭中を所狭しとばかりに玩具の箒で飛び回
る小さな男の子のはしゃぎ声がいつも響いていたものだ。ポッタ
ー家の一人息子のハリーは、歩き出すよりも箒で飛ぶ方が早
かったほどで、母親の友人であるセブルスによく舌足らずな幼
い口調でクディッチの技を説明しては、実演して見せてくれた
ものだ。改造した玩具の箒に跨って大人の背丈を越す高さまで
飛び上がり、ぽっちゃりした片手をかざしてきょろきょろと頭を
揺らして何かを探すふりをする。見ている方は片手だけで箒に
跨っているので気が気ではないのだが、本人はまったく意に
介さず「あっ」とわざとらしく大声を出して地面を指さす。そして
次の瞬間に箒ごと急降下し、地面に叩きつけられる寸前に急
浮上するのだった。
「ウオンスキ・ホントね!わがはい、見てた?」
ウロンスキー・フェイントはシーカーが敵方のシーカーに仕掛け
るフェイント技なので、一人でするものではないのだが、小さな
ハリーはこの技が大好きだった。セブルスが一瞬落下事故との
区別がつかないのでぎょっとして思わず立ち上がると、ハリーは
いつも楽しそうにくすくす笑った。父親譲りの癖のつよい縮れ髪
と母親そっくりの緑色の眸をした小さな男の子はセブルスにとて
も懐いていて、ポッター家を訪問すると、いつでもセブルスに
まとわりついて離れなかった。子どもの遊び相手として適任とは
自分でも思えないので不思議だったが、小さなハリーの陽気さ
や優しさにセブルスはいつでも心を慰められていた。
 人気のない庭を見ていると、昔の思い出が次から次へと甦っ
てきて、セブルスはひっそりと微笑んだ。今のセブルスはハリー
にとって天敵に等しい存在だ。教師と生徒という間柄となって
数年になるが、ハリーがホグワーツに入学した時点で一線を
引くことはその前から決めていたし、本人にも説明していた。
教師は特定の生徒を依怙贔屓するわけにはいかないから
だ。ハリーも聞き分けてくれて、学校では親しくしないと納得
してくれていた。その代わり、休暇の時は元に戻るという約束
だった。幼いハリーの短い指と指切りをした感触を今でもよく
覚えている。
 ハリーとセブルス決別したのは、ハリーが一年生にしてクデ
ィッチチームのシーカーに選抜されたことが原因だ。マクゴナ
ガルが校長のダンブルドアに100年ぶりの特例として許可
させたのだ。もちろん、グリフィンドール寮は若きスターの誕生
に沸き立った。セブルスがそのニュースを知ったのは発表後
のことで、おそらく反対を危惧したマクゴナガルによって体よ
く蚊帳の外におかれていたらしい。しかし、セブルスは知ると
同時にハリーのシーカー就任を取り消すべきだときっぱり
主張した。スリザリンの寮監がグリフィンドールに横槍を入
れたようにしかみえないだろうと自覚していたが構わなかっ
た。何故ならクディッチ自体が危険なスポーツではあるが、
シーカーの怪我率は他のポジションと比較しても格段に高い。
そして、幼い頃からヒーロー扱いされることは健全な成長を
阻害されないかねない。しかし、ハリーは初出場した試合で
見事にスニッチを捕ってグリフィンドールを勝利に導き、セブ
ルスの危惧したとおりスター選手としてもてはやされるように
なった。セブルスは試合の間中、密かにハリーの無事を祈っ
て無言で守護の呪文を唱え続けていたのだが、その事でハ
リーを呪詛していたという噂をたてられた。不本意だが学生
達の大半は軽率で馬鹿だから仕方ないことだ。しかし、その
頃からハリーはセブルスに対して反抗的な態度をとるように
なった。おそらく、ヒーローとして周囲にちやほやされるように
なった弊害が出始めたのだ。セブルスとしては、危険なスポー
ツとはいえハリーに一生クディッチをするなと思っていたわけ
ではない。二、三年後に骨格が出来上がってから参加すれ
ばいいのだ。そもそも敏捷さが求められるシーカーは小柄で
体重が軽い者が向いているといわれているが、本物の子ど
もを使うのはおかしいではないか。1年生ではルールを完璧に
理解できまいし、あやふやな認識で試合に出てはそれこそ
怪我をするに決まっている。マクゴナガルもダンブルドアも
グリフィンドール寮出身だ。セブルスがスリザリンの寮監に
なってから寮杯はずっとスリザリンが獲得し続けている上に、
グリフィンドールはチャールズ・ウィーズリーが卒業してから
はクディッチの優勝からも遠ざかっていた。手っとり早くハリ
ーをスターに仕立てあげ、グリフィンドールの志気を高めようと
いう見え透いた魂胆なのだ。ハリーの父親もクディッチのヒー
ローだったので、親の七光り的なものを期待していた節もある。
セブルスが苦々しい思いに囚われている間に、ハリーはクディ
ッチのスター選手になり、予想通りしょっちゅう大怪我をして
戦線を離脱しては復帰して活躍し、相変わらず小柄で痩せ
ていた。グリフィンドールとスリザリンが対戦する試合では、
セブルスもスリザリンの観客席から空中のハリーの様子を
観た。グリフィンドールのシンボルカラーである赤のローブに
身を包んで箒にまたがったハリーは、敵ながら素晴らしい動
きで空中を飛び回っていた。母親譲りの明るいグリーンの眸
は今は父親と同じ眼鏡をかけているというのに、空中のスニ
ッチを誰よりも素早く見つけては捕らえる。かつて玩具の箒
で庭を得意げに飛び回っていた子どもは、今は本物の箒に
跨り、歓声に応えるようになったのだった。
 
 気がつくと、部屋のソファで横臥していた。セブルスは一瞬、
何がどうなっているのかわからず視線を彷徨わせていると、
顔を覗き込んできた黒猫と目があった。ポッター家の飼い猫
だ。昔、ハリーが生まれる前からこの家にいるときいたことが
ある。
「ジョー、ダメだって」
扉のあたりから声がした。黒猫がソファから飛び降りると、足
音がすぐ傍まで近づいてきた。
「気がついたんですね」
ポッター家の一人息子だった。Tシャツにコットンパンツ姿で
右手にピッチャー、左手にグラスを持ち、量の多い癖毛は寝
起きのままのように跳ね返っている。子どもの頃は、緑の眸
といい、明るくて人懐っこい性格といい母親似だと思っていた
が、今は完全に父親と瓜二つだ。クディッチのヒーロー
というところも父親譲りだ。
「先生、ベンチに座ったまま全然動かないから見に行ってみたら
気絶してました」
ハリーが状況を説明した。おそらく軽い熱中症で意識を無くして
しまったらしい。そういえば、少し頭痛がする。セブルスが起き
あがると、ハリーは背の高いグラスになみなみとアイスティーを
注いでセブルスにぐいと差し出し目で飲むように促した。
「すまなかった。その場で起こしてくれたらよかったのだ」
と、セブルスが話しかけると、ハリーは怒ったような表情でアイ
スティーを飲むようにとセブルスを睨みつけて促した。セブルス
は無言の圧迫に屈してグラスに口をつけたが、茶葉とレモンの
香りと微かな甘味が美味しくてあっと言うまに飲み干してしまっ
た。すぐにまたハリーがアイスティーをなみなみと足してくれた
ので、セブルスは遠慮なく渇いた喉を潤した。三杯目になると、
セブルスの飲む速度もゆっくりと落ち着いたので、ハリーもアイ
スティーの入ったピッチャーをテーブルの上に置いた。
「先生は黒づくめだから太陽光を吸収したんだと思います」
ハリーが授業で当てられた時のような口調で話すのが可笑しか
ったが、セブルスは頭がぼんやりしていたので大人しく肯いた。
「そうだな。普段日に当たらない生活をしているので油断してい
た。そういえば、きみのお母さんにも帽子を被ってこいと注意
されていた」
そう答えるとハリーは何故か眉をしかめて肯いた。気難しい年
頃ではあるが、クディッチのヒーロー扱いされている弊害が出て
いるようだ。セブルスは内心嘆息したが、ふと自身から甘い香り
を感じて個性的な形の鼻をひくひくとうごめかせた。自分の服の
袖や肘に鼻をつけて匂いを嗅いでから、
「きみが私をここまで運んでくれたんだな。どうやって?」
と、ハリーに質問した。ハリーは杖でセブルスを宙に浮かせてか
ら両腕で支えて部屋まで運んだのだ答えたが、どこか不安そうな
表情になった。
「臭いですか?」
「いや、香料の匂いがしたものだから。コロンとお菓子だな。それ
より、人体を宙に浮かせることができたのなら、そのまま杖で
方向を指示すればいい。重かっただろうに。重い患者の場合は
担架を出す必要があるが、まだそこまでできなくていい」
 ハリーは悪戯が見つかったような気まずい表情をしていたが
下ろし方がわからなかったのだと言うので、セブルスは杖をハリ
ーに向けると、ハリーをその場にと浮き上がらせてから、そのま
まふわりとソファに着席させた。
「下ろしてしまうまで気を抜かないことだ。丁寧にすれば難しくは
ない」
 いきなりのセブルスの個人授業にハリーは呆気にとられていた
が、「わかりました」と素直に答えた。
「そういえば、デートではないのか?リリーがそう話していたが」
と、セブルスがふとリリーとの会話を思い出して質問するとハリ
ーはぎょっとした表情になった。
「母さんときたら。おしゃべりめ…」
ハリーの小声の愚痴にセブルスはぷっと吹き出した。
「夏期休暇中は教師は生徒の個人的事情には関与しない。節度
のある付き合いを心がけなさい」
「先生が言い出したんじゃないですか?」生意気な口調で口答え
してくるハリーが面白くて、セブルスは片眉をつり上げた。学校
にいる時だったら、叱責して減点しなければいけないところだが、
今は誰もいないので構わない。
「ふられたんです」と膨れっ面で打ち明けたハリーに、セブルスが
「ほう。学校一の人気者を振るとは、ずいぶん自信家の女の子
だな」と慰めの言葉をかけると、ハリーは驚いたように目を見張
ったが、「いつもふられるんです。向こうが声をかけてくるのに」
と呟いた。
「そのうちうまくいくだろう。自分から好きになった場合とか」
セブルスがそう言うと、ハリーは黙って首を傾げた。何か考えて
いるようだったが、何も答えなかった。
「あっ。先生が摘んでた薬草ってこれですよね」急に思い出した
ようにハリーがテーブルの上を指差した。水を入れた硝子瓶に
薬草の束が活けてある。セブルスは何か言いかけたが、一端
口を噤んでから、「そうだ。手間をかけた」と短く答えた。ハリー
は神経質そうにセブルスを見つめたが、「水に活けたら駄目だ
ったんですか?」と質問した。セブルスが答えるよりも早く薬草
の束がいきなり震えだすとポッポッポッと小さな白い花が弾けて
満開になった。唖然としているハリーに、
「これはこれで使いようがある」と魔法薬学教授は静かに声をか
けた。
「でもこうなる予定じゃなかったんでしょう」思いがけない失敗に
ショックを受けているハリーに、
「予定は変更する」と短く答えてから、
「気分が直ったからそろそろ失礼しよう。ハリー、世話をかけたな」
ハリーははっとした表情になったが、セブルスはその意味には
気づかず花束を持って庭に出た。一日の中で最も眩しく暑い時間
は過ぎていた。
ハリーも一緒について来て、少し離れた場所に立った。いつの間
にか、黒猫がハリーの足下に寄り添っている。セブルスはハリー
が見送ってくれるらしいことに内心驚いていたが、黙って無事に
姿眩ましができるように辺りを用心深く見渡して確認していると立
ち尽くすハリーと黒猫が目に入った。昔もこんな事があった気が
した。ハリーは屈んで黒猫を抱き上げて腕に抱えた。昔は両手で
一所懸命抱えていたのに、今では片手で楽に抱いている。
「先生、お気をつけて」ハリーの声が低くなっていることにセブル
スは初めて気がついた。いつのまにか声変わりしていたのだ。
セブルスは肯いて目配せすると、感傷を振り払うようにその場で
旋回した。

(2014.5.28)
 
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