ファザーコンプレックス

 
  久々の休日の夕暮れ時、長い昼寝から目覚めてキッチンで何か飲も
うと階段を降りるとちょうどセブルスが地下の研究室に降りようとしている
ところだった。昼食後に街の書店に行くと言っていたから戻ってきたばか
りなのだろう。最近ではセブルスもマグルの街に慣れて気軽に出かける
ようになっている。といっても、家の地下室に閉じこもって何日も太陽の
光を浴びずに研究に没頭していることも珍しくないので頻繁に外出する
というわけではない。

「やっと起きたのか」

 階段を下りてきた僕に気づいたセブルスが声をかけてきた。

「うん、寝たら疲れがとれたよ。喉が渇いたから何か飲もうかなと思ったん
だけどセブルスも飲む?」

 不機嫌な表情でセブルスが引き返してきたが、実際はそうでもない。
セブルスの複雑な心理の魅力について親友のロンに話してきかせると
いつも不気味がられるのだが、僕は同年代の中では落ち着いている方
なのかもしれないと少しばかり自惚れている。

「紅茶と珈琲、どっちがいい?」

「珈琲を」

 キッチンで珈琲を淹れて居間に行くと、テーブルの上にカラフルな包装
の袋が幾つか置いてあるのが目に付いた。平凡なマグル製の棒キャンデ
ーやゼリービーンズや立派な肥満体型の持ち主である僕の従兄弟ビッグ
Dが好きそうなスナック菓子などだが、セブルスは甘いものを好まず、
間食も殆どしないので珍しい買い物だ。僕の視線を察してセブルスが、

「よかったら食べるといい。子どもが食べているのを見かけて少し懐かしく
なったのだ」

 砂糖もミルクも入れない珈琲の香りを楽しむようにカップを微かに揺らし
ながら説明した。セブルスは父がマグルなので子供時代はマグルの世界
で育っている。こういう菓子類が懐かしがっているのかというとそうではな
いことを僕は知っている。セブルスのマグルの父は自分が使えない魔法
に対する恐怖心の裏返しで、家族を暴力で抑えつけようとし家庭は荒廃
し、悪循環でマグルの父の仕事もうまくいかず生活は困窮した。セブル
スの子ども時代は両親が揃っていたにもかかわらず孤児だった僕と
同様に辛いものだったのだ。セブルスは淡々と当時を考察しなが回想
していたが、僕は小さなセブルスが可哀想で美味しいものをいっぱい
ご馳走したくなったものだ。ホイップクリームとイチゴで飾ってウエディ
ングケーキみたいに積み上げたパンケーキとか、バケツくらいある
プディングとかそういう甘くて夢のあるお菓子だ。今でも小さなセブル
スを幸福にしたい気持ちにかわりはないが、目の前のマグルの菓子を
見て、何か苦いものが胸にこみ上げている。

「どうした?食べないのか」

 適当に袋を開けて、きれいな指が脂ぎったチップスを摘んだり、袋の
後ろの原材料の表示を熟読している様子を見ながらさりげなく溜息を
零したがセブルスは気にも止めない。

「ダンブルドア先生って、マグルのお菓子が好きだったね」

 ちょっと悔しくなってついに名前をだしてしまったが、セブルスは僕の
言葉の刺を全く意に介さなかった。

「あぁ、魔法界の菓子も好きだったがな。校長室でよく菓子を渡されて
閉口したものだ。アルバスはいつまで経っても私を子ども扱いにした」

 文句を言っているのにセブルスはやわらかい表情になった。

「マグルの新聞も何誌か定期購読していて、よく校長室で一緒に目を通
してから議論したものだ。私はマグル育ちだが、母がマグルの世界に馴
染めなかったので隔離されていたようなものだったからとても新鮮だった」

 ふうん、そうだったんだと相槌を打ちながらも僕は内心穏やかではなか
った。実はセブルスがこの話をするのは初めてのことではないのだ。
校長室で新聞を読みながら談笑していた事はわからないでもないが、
ダンブルドアの提案でマグルの世界に視察に行ったりもしていたらしい。
いつだったかセブルスと初めて映画を見に行った時、座席に座ってセブ
ルスがくすりと微笑った。セブルスの謎の微笑みが気にかかった僕が、
映画を観た後でカフェで休んでいる時に訊ねてみると、セブルスはまた
くすりと微笑んで、

「アルバスと映画を観に行った時に…」

と話し出した。タイトルだけで適当にチケットを買って入ったら何とバイオ
レンス作品だったらしい。二時間あまりの暴力シーン、悲惨な死を遂げ
る者が続出し、救いようのないエンディングにセブルスがマグルの恐怖
と絶望に対する感性について考察していると、前に座っていたカップル
が座席で硬直していたらしい。わりとよくある話だ。

「アルバスはおそらく初めてのデートだったに違いないと気の毒がって
いた」

 その時の微妙な雰囲気を思い出したのか、セブルスの口元に微笑が浮
かんだ。それからも、ふとした折りにセブルスの口からダンブルドアの話が
何気なく出るので、セブルスとダンブルドアがかなり親しかったことがわか
ってきた。あの偉大なダンブルドアに嫉妬するなどおかしいとわかって
いるが面白くない話だった。マグルの生活を知るという目的でセブルスを
連れ出していたらしいが、気軽にマクドナルドに入ってみたかと思えば、
リッツで食事をしたりもしているところが伊達に一世紀以上生きてこなか
った大人の余裕を感じさせる。、もしも僕が同じことをしたら、子どもっぽ
いか背伸びしているようにしかみえない。親からの遺産では、上品な茶目
っ気や風格は醸し出せない。僕は知性に煌めく澄んだブルーの瞳を苦々
しく思い出した。それにセブルスとダンブルドアはそうしょっちゅう一緒に出
かけていたわけではないのだ。セブルスが一つ一つの思い出を、それこそ
掌中の玉のように大切にして細部にいたるまで鮮明に覚えているのだ。
セブルスがダンブルドアの腹心として働いていたのは知っているし、ダン
ブルドアは生真面目なセブルスの心を解そうとしていろいろと話し合った
り、出かけたりしていたのだろうから焼餅を焼く筋合いではないとわかって
いる。でも、あのセブルスがダンブルドアをアルバスと呼んで懐かしむ表情
には忸怩たる思いがするのだ。
 そういえば、逆の意味で少々厄介な問題もある。ロンドンの雑踏に紛れて
二人でそぞろ歩いていた時のことだ。ダンブルドアがまだロンドンに馬車
が走っていた頃の話をしてくれたことがあるとまたもや懐かしそうにセブ
ルスが言い出したことがあった。何となく思いついたまま、

「あっ、トム・リドルがいた孤児院に行ってみたの?」

と訊いてみると、セブルスは怪訝そうに眉を顰めた。

「僕はペンシーブで見たんだけど」

 僕がダンブルドアの記憶を見せてもらった話をすると、セブルスはみる
みるうちに不機嫌になってしまって、その後機嫌をとるのにかなり苦労し
たのだった。それから徐々に理解したのだが、セブルスはダンブルドア
の信頼を得ていたことに強い誇りを抱いていて、僕とダンブルドアの関係
にはすぐに神経を尖らせる。自分がダンブルドアに一番信頼されていた
という確信が揺らぐと臍を曲げてしまうのだった。僕にしてみれば見当違
いの嫉妬の的にされて困惑するばかりだ。ダンブルドアにとって僕は
庇護の対象であると同時に、最大の持ち駒だった。ダンブルドアがいつ
でも僕に優しかったのは自身が構想していた世界平和の闘争の生贄に
対する憐憫の情からだろう。その事でダンブルドアを恨む気持ちは毛頭
ないし、今でもとても尊敬している。しかし、僕は生き残り、予言は成就
した。現在の僕にとって邪悪な闇の帝王より、魔法使い史上においても
指折りの知性、アルバス・ダンブルドアの方が頭が痛い存在だ。僕が
あと120年くらい生きたら見た目は追いつけるだろうが、能力的には
到底無理だ。セブルスは理想が高く、執念深い。ダンブルドアへの憧憬
は永遠に続くに違いない。もう少し僕の器を大きくするしか道はなさそう
だった。

「おい、さっきから食べ過ぎだぞ、夕食前だというのに。それぐらいにして
おけ」

 不意にセブルスが叱責する声で我に返った。気づけば、ポテトチップス
を機械的に口に運び続けていたらしい。袋が空になりかけていたし、
指が油で汚れてコンソメ臭くなっていた。

「夕ご飯どうする。僕、何か作ろうか?」

 亡きダンブルドアの幻影を振り払って、明るい声でセブルスに話しかけ
た。

「いや、折角の休みなのだからどこかに食べにいけばいいだろう。何か
注文してもいいが」

 最近、やたらと忙しく家を空けがちだったので気を使ってくれている
のであろうセブルスの返事に、

「じゃ、でかけようか。歩いている間にお腹も減るだろうし」

 セブルスは呆れた表情をしていたが、さっと杖を振ってテーブルの上を
片づけた。こういう所作は魔法薬教授時代と少しも変わっていない。

「途中でいつものパブに寄っていこうよ。黒ビール飲みたくなった」

と、ジャケットを取りに二階に行く前に提案すると、セブルスは塩辛いもの
を食べ過ぎるからだと叱責しながらもさっさと玄関に向かった。セブルス
もパブでビールを飲むのが好きなのだ。早くしろ、ジャケットを着る前に
手を洗えとくどくどと文句をいう声を背に僕は急いで階段を駆け上がっ
た。ダンブルドアの位置を狙いたいのは山々だが、この立場も悪くはな
い。セブルスに五月蝿いくらい構われているのがいい。まだまだこれか
らも二人の時間は続いていくのだ。

(2012.6.19)

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