お誕生日準備中

  今年は同居している眼鏡の誕生日会をすることになった。
眼鏡からの申し出だ。眼鏡は自分の誕生日を忘れた振りをし
ては私を試した挙句、私がうっかり忘れていると家出する。
そして、それを否定するというかなり面倒くさい心理を披露して
いたのだが、今年はどういう心境の変化か、自分の誕生日は
家で一緒に過ごしたいので予定を空けておいてほしいと頼ま
れた。脱狼薬を煎じるのに忙しい満月期を外れていたので、
私は快く申し出を受けることにした。眼鏡はハウスエルフのク
リーチャーにも誕生日の料理のリクエストをしたらしく、クリーチ
ャーから味見をしてほしいと頼まれ、クリーチャーは腕利きの
料理人なので、私は内心喜んで承知したのだった。そういう理
由でここ数日、美味しい料理に舌鼓を打つ毎日を送っている。
昨日のアイスクリームは濃厚な味わいで最高だった。しかし、
今日のキッチンは様子が違った。焼き菓子の甘い香りが満ちて
いる部屋中を色とりどりの蝶が乱舞しており、さながら熱帯の
ジャングルのようだ。高貴なるブラック家の誇り高いハウスエル
フは私の姿を認めると、走り寄ってきて恭しくお辞儀をした。
「ミスター・スネイプ、本日、クリーチャーが作りましたのはバタ
フライカップケーキというものの筈でございます…」
 明らかに自信がなさそうなクリーチャーに話を聞いてみると、
眼鏡は「バタフライカップケーキを作ってほしい」と言ったらしい
が、バタフライケーキを知らなかったクリーチャーがどういうもの
か質問すると、
「実は食べたことがないから味はわからない。カップケーキの
上に蝶々が載っていて、マグルの子どもの誕生日会の定番」
という答えが返ってきたという。どうやら眼鏡がホグワーツに
入学するまで一緒に暮らしていたマグルの従兄弟の誕生日
に必ず用意されていたらしいが、酷く冷遇されていた眼鏡の
口には一欠けらも入ることはなかったそうだ。眼鏡のホグワーツ
入学以前はこういう哀れな話が数え切れないほどある。
クリーチャーは想像力と魔法力を駆使して、今回バタフライカップ
ケーキを作ってみたのだが、どうも違うものができてしまったよう
だ。あの重度の魔法アレルギーの眼鏡のマグルの伯母は自分
が焼いたカップケーキから本物の蝶が舞いだしたら間違いなく
発狂する。
「私はマグルの世界で育ったが、母が魔女だったのでマグル
のものには疎いのだ」
と、顔のあたりにいる蝶を手で払いながらクリーチャーに打ち
明けると、クリーチャーは蝶々が二、三匹留まっている大きな
耳をぱたぱた震わせて、
「マグルかぶれのシリウス坊ちゃまがいらしたら…」と溜め息
まじりに呟いた。嫌がらせを兼ねて眼鏡の伯母に急ぎ梟便で
問い合わせようかとクリーチャーと相談しているところに、ポンッ
と軽い音がしてハウスエルフが出現した。
「ドビー。あなたは何という格好をしているのですか?」
年長のハウスエルフが年若いハウスエルフをくぐもった蛙のよう
な声で叱責した。ドビーは独特なファッションセンスをしているの
だ。
「ドビーは自由なハウスエルフでございます!まぁ、この蝶々は
一体どうしたのですか?とっても綺麗です!」
ドビーは眼鏡の誕生日に向けてクリーチャーの手伝いと、眼鏡に
プレゼントを渡しにやってきたのだ。プレゼントは手編みの手袋
だそうだ。言うまでもなく、今は夏の盛りだ。しかし、眼鏡は喜ん
で毎年受け取って、箪笥の隅にしまい込んでいる。
バタフライカップケーキを焼いたら、キッチンが蝶の楽園になった
と聞かされてドビーはくすりと笑うと、テニスボールのような大きな
目をキラキラ輝かせた。
「ドビーはバタフライカップケーキを作れます!ドビーはドラコ坊ち
ゃんのお誕生日のたびにお年×100個のバタフライカップケー
キを徹夜で焼いておりました!」
「は?ということはバタフライカップケーキはマグルの菓子では
ないのですか」クリーチャーが鋭い声でドビーに質問した。
「魔法使いのお子さまもたいていお好きでございますよ!ドラコ
坊ちゃんはお誕生日会でツリー仕立てに積み上げたバタフライ
カップケーキをお友達に自慢なさってました。ドビーはドラコ坊
ちゃんのお誕生日のたびにオーブンで両手の指全部に火傷の
水膨れができたものでございます!」
クリーチャーは魔法界で作られている菓子を自分が知らなかった
ことに衝撃を受けたが、そういうこともあるだろう。
「ブラック様は特別でございますから!」
と、ドビーはクリーチャーを慰めたが、クリーチャーは意を決した
表情で、
「ドビーがバタフライカップケーキをミスター・ポッターに作って
差し上げてください」と頭を下げて頼んだ。
「頭を上げてください、クリーチャー!ケーキはもう出来ています!
あとは飾るだけなんです!」
慌てふためいたドビーがキーキーと叫んだので、怪訝な顔になっ
たクリーチャーと私にドビーはくすりとわらいかけると、指をパチン
と鳴らし、クリーチャーが泡立てておいたクリームの入ったボウル
とナイフを呼び寄せ、作業を始めた。おもむろにカップケーキの上
をくり貫き、クリームを載せ、くり貫いたケーキを蝶に見立てて切
り、その上に飾る。
「出来上がりでございます!他にいろいろ飾っても可愛いので
喜ばれます!」
クリーチャーはあまりに単純な仕上げに一瞬呆気にとられていた
が、
「こういうものは奥様はお気に召さない。奥様はクリーチャーに
いつでも最高のものをお命じになった」
そうぶつぶつ呟いた。おそらく、シリウスとレギュラスの誕生日に
クリーチャーがバタフライカップケーキを作ることがなかったのは、
兄弟の母親の好みではなかったからだ。ちなみに私の母は家事
全般が不得手だった。
「クリーチャーはミスター・ポッターのお誕生日にバタフライケーキ
を作って差し上げることが出来ます。ドビー、ありがとう。クリーチャ
ーは食べきれないくらいバタフライカップケーキをお作りしますとも。
マグルには負けられません」とクリーチャーが丁寧にお辞儀したの
で、慌ててドビーも頭を下げて、しばらく二人で頭を下げあってい
た。その間に、私は杖を振ってキッチン中の蝶をひとまとめにし
て、ロンドンにある植物園の温室に送っておいた。和気藹々とクリ
ーチャーとドビーがバタフライカップケーキの飾りつけの練習を始
めたので、一つ摘んで味見してみた。素朴な美味しさでいかにも
子供が好きそうな味だった。
 キッチンの窓を梟が嘴でコツコツ叩いているのに気づいたドビーが
走っていって、窓を開けると荷物を足に括りつけた配達梟が室内に
ひらりと飛び込んできて、私の前に着地した。ドビーが梟の足から
荷物を外して、
「ミスター・スネイプにお荷物でございます!」と叫んで私に渡して
から甲斐甲斐しく梟の世話をしてくれた。私は梟の頭を撫でて労って
から、
「薬の材料が届いたので、私は書斎に戻る。ポッターのことで世話
をかけるがよろしく頼む」そう断って、キッチンから退散した。おそらく
後でクリーチャーかドビーが飲み物を運んできてくれるだろうから、
鍋で何か適当に煎じておくことにするが、梟が運んできたのは実は
眼鏡への誕生日プレゼントの骨生え薬・スケレ・グロだ。ハナハッカ
エキスは常備しているので、この二つを持たせておけば眼鏡が闇
払いの職務中に怪我をしても何とかなると考えて用意した。
毒消しのベゾアール石は既に持たせてある。たかが一つ年をとる
だけだというのに私も眼鏡に甘くなったものだ。

(2014年7月31日)
 
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